可愛い可愛いお嬢様
私は、とある男爵家の従僕でございます。
十二の歳からお仕えし、十五になった今、少しはお役に立てるようになったつもりでおります。
悲しいことに、この男爵家では二年前に奥様が病で亡くなられました。
後に残されたのは可愛い可愛いお嬢様、お一人。
お嬢様が幼いこともあり、男爵様は方々から後添えを薦められました。
それで、奥様を亡くされて丸一年が経ったところで、新しい伴侶を迎えられたのです。
新しい奥様が、初めて屋敷にいらっしゃる日。
旦那様とお嬢様、そして使用人一同は屋敷の前に勢ぞろいしてお出迎えいたしました。
ところが……
「これはどういうことかしら?」
新しい奥様はお嬢様を見るなり、顔をしかめておっしゃいました。
一同は青ざめましたが、当のお嬢様は首を傾げただけでした。
「なんと醜い娘なの!」
お嬢様は、今度は反対側に首を傾げます。
「わたくし、出直しますわ」
奥様はそうおっしゃると、乗って来た馬車で去ってしまいました。
残ったのは青ざめたままの一同と、キョトンとしたお嬢様だけ。
可愛い可愛いお嬢様を醜いとおっしゃるなんて、新しい奥様は目が相当にお悪いのではないでしょうか。
このご縁談は駄目になるのか、と一同は沈痛な面持ちでおりました。
しかし、奥様はその日のうちに戻ってこられたのです。
再び馬車から降りてこられた奥様の後には、三人の神官が続きました。
「この屋敷、何かおかしくないでしょうか?」
三人の神官は奥様に訊ねられると、外からじっくりと屋敷を見渡します。
「確かに、おかしいですねえ」
「これは……強い祝福がかけられているようです」
「あまりの強さに、呪いになってしまっているのかも」
「呪いを解くことは出来ますか?」
「もちろんです。しかし、なかなか体力のいる仕事になりますので……」
「呪いが解けた暁には後日、出来る限りの寄付を約束いたしますわ」
「お任せください!」
三人の神官は、報酬を確約した奥様に笑顔で応えると、屋敷を囲んで祈り始めました。
やがて、すっかり日が沈み、あたりが闇に包まれた頃。
一瞬、明るい光が屋敷の周りに満ち、何かが弾ける音がしました。
「成功です!」
「やった! 疲れた……」
「早く帰って休みたい」
「神官様方、ありがとうございました。お礼は後日、必ず」
「はいはい、期待しております。ではおやすみなさいませ」
馬車に送られ、神官たちは帰っていきました。
それまでのやり取りを、ぼんやりと屋敷の前で見ていた一同はハッと我に返りました。
すっかり暗くなっていたので、私は他の従僕やメイドたちと協力してカンテラを用意いたします。
灯りをともしてから周りを見まわしますと、見慣れたご主人様と執事さん、家政婦長、メイドたちに料理人、従僕仲間がおりました。
そしてそして、可愛い可愛い、丸々と太ったお嬢様も。
……え? 丸々と太った?
お小さい頃のお嬢様は、子供らしさでぷっくりとはしていたものの、太っているという程ではありませんでした。
しかし、七歳になられた今のお姿は、どう見ても太り過ぎ。
健康的とは言い難い太りようです。
皆でお嬢様を凝視していると、奥様が近づいて来られました。
「良かったわ。皆、正気に戻ったのね」
「こ、これは、どういうことだ!?
うちの娘が、まるで太り過ぎた子豚のようだ!」
ご主人様が尋ねます。
新しい奥様は答えました。
「きっと、この子を産んだお母様は娘の幸せを願いながら亡くなったのでしょう。
想いが強すぎて、この子を見たら誰でも、食べ物を与えたくなる呪いになってしまったのではないでしょうか」
後妻に子が出来れば、前妻の子が疎かにされるのは、よく聞く話です。
我が子にそんなことが起こらぬように、飢えることが無いようにと、前の奥様は願われたのでしょう。
「最初にここに来た時、何か変だと感じたので、神殿に相談しました。
気付かずに屋敷の中に入ってしまったら、わたくしも同じ呪いにかかってしまったかもしれません」
奥様がお嬢様のことを『醜い』と悪くおっしゃっても、誰一人、何を言われたのかわかっていない様子もあって、これはおかしいと神殿に相談に行かれたのです。
新しい奥様ご本人は、少しばかり不思議な気配に気づきやすいだけだとおっしゃいますが、その家系には遠い昔、聖女様がいらしたとか。
しかも、ご実家は裕福な商家。
神殿への礼金も、持参金から払いますわと微笑まれる奥様に、一同、心から首を垂れました。
さて、それからのお嬢様は、相変わらず皆に大切にされました。
そして同時に、食事と運動で健康的に痩せるよう、屋敷の者が一丸となって協力したのです。
大事にされ過ぎて、家の外にあまり出ていなかったお嬢様は、新しいお母様と毎日散歩に出かけるようになりました。
しかし、しばらくすると、散歩のお供は私に任されることに。
嬉しいことに、奥様が新しい命を宿されたのです。
お嬢様の散歩コースはいくつかありますが、今日は丘の上の大木から折り返して屋敷に戻ります。
「さあ、急いで帰らなきゃ。
お母様との、おやつに間に合うように!」
「お嬢様、ドーナツは逃げませんよ」
「あら、今日のお菓子はドーナツ?
それは聞き捨てならないわ!」
「お嬢様! お待ちください!」
すっかり健康になったお嬢様は、ずいぶん速く走れるようになりました。
本気でかからなければ、私も置いて行かれそうになります。
『お嬢様は、こんなにお幸せそうですよ。
どうぞ、ご安心ください』
私は空へと祈りを捧げてから、お嬢様の後を追いました。