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コルクが軍を辞めるとなった時、様々な制約を課された。
その一つが、コルクが辞めたことは対外的には秘密にする、というものである。
最強魔術師がいなくなったということが他国に知れれば、攻勢にかけてくるかもしれないし、見くびられるかもしれない。外交上にもいいことは一切ない。そういったわけで、コルクが辞めたことを知るものは、王家に軍の上層部、そして所属していた魔術師団くらいである。とは言え、いずれどこかで知られることは承知の上なので、それまでに様々な体制を整えなくてはならないわけだが。
そういった背景もあり、ドルトがコルクの退役について知っていたことに驚いたのだ。思っていたより伝わるのが早いなと。
だが、結果的にそれは勘違いで、コルクを探していた軍がドルトに伝えたということであれば、余計な心配は必要ないだろう。
ティーカップにお茶が無くなったので、コルクはポットにお湯を継ぎ足した。
「横着せずに給仕を呼べ。一度出した茶葉だぞ」
「いいよ、いいよ。味するし」
さっきの紅茶よりずいぶんと渋く感じるが、飲めるし問題ない。コルクは美味しいものが食べたいという割に、横着でもあり、優先順位はその時々であった。
ヴィクトールは呆れたようにため息をつく。
「本題に移ろう。あなたが軍を抜けた後の魔術師団ことはどのくらい知っている?」
「いや……特に何も」
「軍を抜ける前に辞めることを伝えていた魔術師団員は、現魔術団長のウィズだけだったな?」
コルクはうなずく。
コルクが除隊されるまで、ウィズは副団長としてコルクをサポートしてきた。彼ならうまくやるだろうと思い、コルク自ら後任に指名したのだ。
ウィズ以外には辞めることを伝えず、そのまま王都を出た。全て丸投げだ。師団長のころから大体いつもウィズに丸投げで、そのたびにウィズは苦い顔をしていた。
ヴィクトールは、ふう、と諦めたように息を吐いてから、コルクの顔を見た。
「コルク殿が軍を、魔術師団を抜けたことを、ウィズは魔術師団の全員会議で皆に伝えたそうだ。団員の衝撃は大きかったと聞いている」
コルクは表情を変えない。
ヴィクトールは硬い表情で続けた。
「リディアは分かるか?」
「そりゃあ魔術師団での部下だったからな。お前の妹だろ?」
ヴィクトールはもう一度大きなため息をついた。
「報告を聞いたリディアは随分と動揺したらしい。取り乱したリディアは魔術棟を半壊させた」
「は?」
コルクはヴィクトールを凝視した後、ゆっくりと部屋の天井を見て、腕を組んで目をつぶった。
王宮から離れた位置にある魔術師団の研究棟から飛び出る形で作られた魔術塔は、建物の装飾的な意味合いで作られたらしく、使い勝手が悪いため普段の業務ではあまり使用することはない。一応、監視塔としての意味合いはあるそうだが、コルクはそのように使っているところを見たことはない。
恐らくウィズが、軍の他の部隊にもしばらく機密扱いであることを考慮して、人の出入りの心配のない魔術塔で報告したのだろう。
とはいえ、リディアが、発狂して、塔を、半壊。
考え込むコルクを制するように、ヴィクトールが話を続けた。
「けが人は出なかったらしい。一緒にいたのが己の身を守れる魔術師だけだったのが良かった。」
「まあ……。それはね」
「塔内は荷物も少なかったようで、物損の被害は少なかった。とはいえ国の建物を半壊させたんだ。こんなことをすれば普通はクビだが、我が家、ファレル家が塔の修繕費を持つということで、リディアは謹慎処分で済んだ。俺の顔を立てる意味もあったが、一応リディアも魔術師という貴重な存在ではあるからな」
はあー、とコルクの大きなため息が静かな部屋に響く。
「ヴィクトールはいつもトラブルばっかり抱えているな」
「人聞きの悪いことを言うな!俺がトラブルを起こしているわけじゃない。巻き込まれているだけだ!コルク殿の件が片付いたと思ったら、今度は年の離れた妹のトラブルだ。言いたくないが、昔本当に呪われているのかと思って、呪術師に見てもらったことだってあるぞ」
コルクの知る限り、ヴィクトール・ファレルは頻繁にトラブルに巻き込まれている。
確かに本人の言う通り、彼はトラブルに巻き込まれているだけで、彼自身が周囲に迷惑をかけているわけではない。だが、ヴィクトールがトラブルに巻き込まれているのには彼自身に原因があるとは思っている。
ヴィクトールは貴族出身なのに、しっかり腕の立つ騎士だ。心身ともにタフで、戦略面での能力も高い。真面目で真っすぐな性格で、平民上がりの騎士にも平等に接し、能力を重視して人材を起用している。そのため部下からの信頼も厚く、周囲からも一目置かれる存在だ。
故に、周囲から頼られ過ぎるきらいがある。細かなトラブルをヴィクトールのところに持っていく奴はいないが、逆に言うと重いトラブルが持ち込まれやすい。本当に困ったらヴィクトールへ、といった流れができていると言っても過言ではない。
幸か不幸かヴィクトールも持ち込まれたトラブルを解決できる能力があるし、なにせタフだしこなせてしまう。そのため周囲の信頼度が上がり、さらに厄介なトラブルが持ち込まれる。
騎士団だけでなく、軍のトラブル、はては王宮のいざこざにも駆り出されていた。詳細は不明だが、ヴィクトールの家、ファレル家の後継ぎ問題でもヴィクトールが色々と振り回されたという噂をコルクは聞いたことがあった。
押しに弱い性格とも思えないが、やむにやまれず引き受けている様子を見ると、そういった星の元に生まれた人間なのだろう。
「安心しろ。ヴィクトールは呪われているってわけじゃないだろう」
「じゃあ何だ」
「きっと、尻拭いの神に愛されているのさ」
「それは呪いと何が違う……」
魔道具の仮面を直すため、落ち着いて作業できそうな場所に移動した。そこは石切り場のようで、眼下には街を見下ろせる高台になっている。周囲は石が切り出されており、剝き出しになっている白い崖壁が眩しい。
周囲に人がいないようなので、適当な石の上に腰かけ、仮面の縁に彫られた回路をルーペで確認する。黙って作業をするオーフィンの様子を、女神は心配そうに見守っている。
「この魔道具、ちゃんと機能していたのか?」
「はい。家を出て、しばらくの間はちゃんと効果があったんです。2~3時間前から周囲の人にジロジロ見られるようになって、おかしいなと思ってはいました」
「効果が切れた状態じゃ目立つわな。この仮面、認識阻害の魔道具とは思えないほど派手だし」
仮面のデザインをあたらめて見ると、今度は満面の笑みに見える。デザインは変わっていないのに、仮面の印象の変わりようにオーフィンは首を傾げる。
魔石は四か所だけだと思ったが、念のため仮面に少量の魔力を通して、反応が無いか確認する。
「すごい……!魔力操作お上手なんですね。私なんかよりよっぽど上手い……」
「あー。魔道具師はある程度魔力を操作できる必要があるんだ。でないと動作確認できないからな。今やったのは他に隠れた魔石が無いか確認するため、少しだけ魔力を入れて魔石の場所を確認しようとしたんだ。他人が作った魔道具は作りが分からないから、多くの魔力を入れて事故が起きないようにしてる」
とはいっても、さっき外した魔石以外に設置されていないようだ。
オーフィンは仮面をじっと見る。どことない違和感は拭えないが、このまま考えても解決は難しいと判断し、作業を進めることにした。
「魔道具師って魔力持ちなんですね。知らなかった」
「魔力の有無は血筋で決まるから、貴族以外では珍しいのは確かにそうだ。俺も祖父が魔道具師でその影響だ。父親は魔力が低くて魔道具師にはならなかったけど」
「じゃあ運が良かったんですね。魔力の強さって生まれつきですから。……私ももっと魔力が強ければよかった」
女神は残念そうに笑った。
魔力の強さは血筋でおおよそ決まるため、貴族は家の魔力を高めるため、婚姻において相手の魔力量を気にする場合がある。そのため、魔力の高い子供が生まれると良縁を得やすく、その結果家の金回りも良くなる。貴族女性にとって美貌と共に優先される要素だ。
女神の話し方では、自身の魔力量に不満気な様子だが、出力の強い魔道具を使用していたので、一般貴族の中ではそれなりに魔力が高い方だろう。それでもまだ魔力が足りないと感じているのだとしたら、随分と欲深い。
「魔力量なんて気にする必要ない。俺の顧客は貴族ばかりだが、婚姻で魔力量を気にするなんてよっぽど気位の高い家しかない」
悲しげな女神の様子を見て、それとなくフォローしたものの、オーフィンは不思議と女神を異性として見れない。女神があまりに作りもののように美しすぎるからか、動く芸術品を相手にしているように感じてしまう。
「それに、魔術なんて使う機会無いからな。よっぽど……魔術師団員くらい上手く扱えれば別だが、魔術が日常で役に立つ機会なんて無い」
「そうなんですよね。……実は私、魔術がちょっと使えるんです。あんまり上手くは無いんですけど」
「下手に上達しない方がいい。魔術師は変人ばっかりだ。魔術の道に進みすぎるのは危険すぎる」
女神は少し驚いた顔をした後、声をあげて笑った。
「あははは。魔道具師様のお客様は、魔術師も多いのでしょう?いいのですかそんな言い方をして」
「本人たちに言ったとしても気にしないし、事実だからな」
オーフィンは最も付き合いの多い魔術師の顔を思い浮かべた。「魔術師だぞ、当たり前だろ」とでも言いそうだ。
改めて仮面を見直す。仮面の端をぐるりと一周するように書かれた回路は、今まで見たことのない模様で、まるで植物をモチーフに絵を描いているような自由さがあった。
「自由すぎるな、この回路。この魔道具が作られた場所では、魔術もさぞ自由なんだろうな」
魔術と魔道具の術の発動はよく似ている。魔術師が肉体と精神で魔力を操作して術を発動させる。それを擬似的に複雑な回路を用いて再現させたのが魔道具だ。
魔道具が自由なつくりなのであれば、再現元の魔術はより自由なのだろう。
「魔術が自由って、よく分からないです。魔術って理論の積み重ねで出来ているのに」
オーフィンはおや、と顔を上げた。
魔術を理論の積み重ね、という発言はしっかり勉強していないと出てこない発言だ。ちょっと使えると言っていたが、謙遜かもしれない。
「なんだって魔術を勉強したんだ?魔術一家か?あ、いや……答えなくていい」
「ふふふ。そういうんじゃないんです。魔術は私の……勝手な想いで始めたことなんです」
女神はためらいがちに、だが、その続きを話したそうな素振りが見え隠れした。何かトラブルがあって家を出てきているんだろうし、鬱憤も溜まっているんだろう。
これきりの付き合いだろうし、少し彼女の重荷をおろしてあげてもいいかもしれない。そんな風にオーフィンは思った。
「……なんで魔術を勉強し出したのか、気になるな」
オーフィンはぽつりと、やや唐突につぶやいた。
ちょっと下手な話の振り方に、オーフィンが意図してこの質問をしたことに女神もすぐに気付いた。そして、これが思いやりで質問してくれているのだということも。
女神は少し嬉しそうにして、ポツリポツリと昔話を始めた。
居心地がいいであろうスイートルームに、重苦しい空気が流れる。
「トラブルは分かったよ。とりあえずリディアは家で大人しくしてるんだろ?」
「…………」
「……黙り込むなよ。不安になるだろ」
ヴィクトールの様子を見てコルクの顔もこわばる。
本日何度目かのため息をついて、ヴィクトールはコルクの方を向いた。
「リディアが謹慎中に逃走した」
「あーもう。いい加減にしろ」
思わずコルクはソファに持たれかかって仰け反る。
そんなことある?
コルクにとってリディアは大人しくて生真面目なイメージだった。確かにたまに突っ走るところはあったが、謹慎を無視して逃走なんて信じられない。そこまで滅茶苦茶なやつだっただろうか。仮にも軍に所属しているとは思えない行動だ。
「調子がいいと思われるかもしれないが、できれば今回の件は内々で片づけたい。ファレル家の“影”を使って調べているが、足取りが全く掴めない」
「魔術師相手だと捜索は難しいから……。いや待て、リディアが見つからない?あいつ攻撃魔術以外の魔術はほとんど使えなかったはずだぞ」
「どんな効果のものかよくわからないが、家にあった魔道具がいくつか無くなっていた。それらを使ったのかもしれない」
前にオーフィンから聞いたことがあった。貴族の中には、使いもしない魔道具を収集する人間がいると。
ファレル家にも収集癖のある人間がいたのだろう。魔力さえ流せば道具から一定の効果が出るため、今回の逃走に際して、リディアが苦手な魔術の代替にしているのだろう。
「いつからいなくなったんだ?」
「逃げ出したのは2週間前だ。父とリディアの今後について考えていた最中だったというのに。リディアはほとんど着の身着のままの状態で家を出たはずで、装備も脆弱だ。捕らえるのはたやすいと思っていたんだが……」
「甘いなあ。世間一般の貴族のご令嬢だとでも思ってるのか?魔術師団では遠征も多かったし、団員は魔術を含めたサバイバル術を一通り身につけてる精鋭だぞ。リディアにとって野宿なんてなんでもない。よっぽどうるさく説教されて、謹慎が堪えたんだろ」
ヴィクトールは心外だと言わんばかりの不満気な顔で反論した。
「むしろその逆だ。半壊事件が起きてすぐは説教したが、それ以外はファレル家としての修繕対応の話と、謹慎中の生活について話したくらいだ。本人が己のした愚かさを分かっていた様子だったから、それ以上追及はしなかった。自宅謹慎だったのもあって、屋敷から出ない分には好きにさせていたし、対応としては甘いくらいだったと思ってる。……とはいっても騒動後のリディアは毎日泣いてばかりいて、自分の部屋からほとんど出てこない状態だったが。こんなことならもっときつく叱っておくべきだった」
コルクはリディアの顔を思い浮かべた。
リディアは馬鹿じゃない。それはコルクが団長だった時に感じていた印象だった。だからこそ塔半壊についても、本人が十分に理解して反省していたのだろう。
そんなリディアが、きつく叱られたからといって逃走するしないの判断を変えるだろうか?ヴィクトールの考えは甘い気がした。
「コルク殿は任期を待たずして魔術師を辞めることをどう考える?」
「なんだ今更」
「あなたのことじゃない。リディアは魔術師の任期まであと5年ある。ルールから外れるが、今回のこともあるし強引にでも魔術師を辞めさせることも考えている」
騎士団と違い、魔術師団はちょっと特殊だ。
魔力はほぼ貴族しか持っていないため、所属する者のほとんどは貴族で占められる。
そのため魔術師は貴重な人材で、そう易々と人員の補充ができない。その対策として、一度魔術師団に所属したら、最低でも8年以上は所属することが決まっており、それまでは基本的に辞めることができない。とはいってもメリットは多く、魔力が高く魔術の素養さえあれば、家の跡取りになれない次男以下の貴族の子息にとって魅力的な就職先だ。王宮の魔術師になれば国から保障されたも同然の立場で、魔力を求める良家からのアプローチが絶えない。コネやカネに頼らずとも、魔力だけで出世できる貴重なチャンス。つまりエリート街道というわけだ。
だが不思議なことに、金や結婚相手を求めて魔術の道に進んだはずが、魔術の深みどっぷりハマり、出世や結婚のことなど忘れ、魔術の探求に人生を費やしていく者も少なくない。魔術師に変わり者が多いと言われる理由は、変わり者が魔術の門を叩くのか、それとも魔術に触れると変わり者になっていくのか。たまごが先か、ニワトリが先か、その謎は今だ解明されていない『魔術7不思議』の一つに数えられている。
とはいえ、8年も魔術師という立場に縛られるとなると婚期を逃す可能性があるため、貴族令嬢が魔術師になる例はとても少ない。
故に、コルクもリディアもとても希少価値の高い女魔術師という存在だ。
リディアは魔術師団に所属して3年ほどのため、任期終了までまだ長い。
ファレル家としては、身内の不祥事をなんとか補填することで、クビを回避して汚名を軽減させる。さらに謹慎が明けたら本人に退役という形で責任を取らせる。そうすることで、出来るだけ家の面子を保つという考えなんだろう、とコルクは予想した。
「貴族と言うのはややこしいな。元々リディアだって8年勤めるつもりだったわけだろ。私とは違って終わりがあるんだから、勝手に決めてやるなよ」
貴族には魔術師団に入団すると任期の縛りがあるが、平民の場合は任期が無い。なぜなら定年まで辞められないからだ。
そもそも平民で魔術師団に入団できるほど魔力が高い者はめったにいないし、さらに秘匿とされがちな魔術の知識を蓄えて使いこなしている状態でなければ、入団テストすらさせてもらえない。魔術師団へ入団する最低条件があまりにも高いため、平民にとって、とてもではないが簡単に手が届くものではない。そもそも平民が魔術師になることは想定されていない。
騎士団ほどカネとコネが必要としない実力主義と言えば聞こえがいいが、結局のところ貴族として生まれなければ魔術を学ぶ機会は無い。その分、平民が魔術師となった時は一気に上流階級への足掛かりができるため、信じられられないほどのチャンスとなる。
その代わり、一生を国に、魔術に捧げる。
本来であればコルクも一生を国に尽くすはずだった。
「まだリディアの意見は聞いていない。父は魔術師を辞めさせて、さっさと結婚して落ち着けさせた方がいいのではと言っているが、俺は任期前に辞めさせる方がよくないと思っている。リディアにとってもファレル家にとってもな」
「へえ。結婚」
「あの顔だ。元々は大人しくて引っ込み思案な性格なのに、昔からトラブルに巻き込まれやすい。父としても早く落ち着かせたいんだろう」
「まあ、あの顔だとな……」