2-1
それは、街の中心にある噴水が見えてきた時だった。
「あー。誰かいるなこりゃ」
コルクを見ると渋い顔をしている。
オーフィンにはコルクが何を言っているのか分からなかったが、コルクがこう言うのであれば誰かいるのだろう。
「心配しなくていい。あの貴族の魔術師じゃない。多分知り合いだ」
噴水に近づくにつれ、観光客やそれを目当てにした出店が立ち並び、ますます活気が出てきた。噴水のある広場に足を踏み入れると、観光シーズンとはいえ祭りのような賑わいを見せている。豪華な彫刻と優れた建築技術で飾られた噴水は見事な造形美を誇り、その魅力は街のシンボルとしてふさわしく、人を集めるのに納得いく美しさだった。
だが、そんな周囲の賑わいとは一線を画し、明らかに観光客とは思えないフードを目深に被った地味な服装の男が立っていた。
その男はオーフィンから見ても只者ではない雰囲気を漂わせている。
2メートル近い上背、外套ではとても隠せない体格の良さ、明らかに筋肉の鎧を身にまとっている。
男に近づくとコルクは合点がいったようだ。
「ヴィクトールか」
「数か月ぶりだな、コルク殿」
男はフードを外すと笑顔でコルクを迎えた。
オーフィンもヴィクトールという名前には聞き覚えがあった。たしか第三騎士団の団長の名前がヴィクトールだったはず。
清潔感のある短髪で明るいブロンドヘアー。顔立ちは端正な男前で、30代前半くらいだろうか。オーフィンにとっては思わぬ大物の登場で緊張感が走る。
だが、コルクは相変わらず何か考えているのか考えていないのか、よくわからない表情をしている。
「なんだって騎士団長がこんなところに?」
「……込み入った話がある。少し時間を貰えないか?」
深刻そうな表情のヴィクトールを前に、苦い顔をするコルク。
「ここじゃマズいんだな?」
「ああ。個室を用意してある。1、2時間で済む」
コルクはため息をつくと、オーフィンを見て指示を出した。
「悪いが少し時間を潰してくれないか?」
「……わかりました。では2時間後にまたこの噴水に」
オーフィンはコルクがなぜ軍を辞めたしたのか知らないし、滞りなく辞められたのかも知らない。
コルクは辞めたと言っていたが、まだ繋がりはあるようで、どういう立場なのかオーフィンには判断がつかない。最強魔術師の立場は、そう簡単に軍と切り離せないのだろう。
辞めたと宣言している元魔術師団長の元に現役の騎士団長がわざわざ来るということは、軍あるいは国防に関する重要な連絡なのであろうし、一介の魔道具師が入り込む余地は全くない。
彫刻に適した石が近くで採掘されることもあって、この街は彫刻の技術者が集う彫刻の街だ。
噴水近くに掲示されていた観光用の地図によると、西側が職人街になっている。
例外はあるものの、基本的に魔力は貴族特有の能力であるため、作動させるために魔力が必要となる魔道具は、必然的に貴族専用の道具となる。そうなると魔道具は美しい装飾が施されているものが良く、宝飾品としての役目を担うために、魔道具師も必然的にジュエリー職人と同等の技術や美的センスが求められた。
それだけならまだいいが、大型の魔道具となるとオブジェとしての役割を求められ、貴族の屋敷に置く彫刻や陶芸品と同等の美術品である必要がある。そこまでくると、さすがに魔道具師の手に余るため、大型の魔道具を作る際は、彫刻家や陶芸家を始めとした芸術家との連携が欠かせない。
つまり、芸術家あるところに魔道具あり。
実際に魔道具になる美術品は、全体からすればほんのわずかではあるが、職人街に行けばそんな魔道具を見つけられるかもしれない。ダメ元でも見つかれば御の字、そんな考えでオーフィンは職人街に向かっていた。
職人街までの道は、観光地らしく採掘された石を使った工芸品の土産物屋が並び、観光客向けのカフェからは甘い匂いが漂っている。
街の奥を進み、さらに細道に入ると、女のわめき声が聞こえてきた。
「信じられない!だましたのですね!」
「ええい、うるさいな。お前さんもさっき納得して買っていただろう。うちは骨董屋だからね、返品はできないよ!」
観光地ならではの光景。価格を吹っ掛けられたか、偽物を掴まされたか、どちらもよくある話だ。
巻き込まれるのは御免だと、オーフィンはさっさと先を急ぐことにした。
女を横切る直前、それまで女が後ろ向きだったためオーフィンは気が付かなかったが、女が異様なデザインの仮面を顔に着けているのが目に入った。異国のデザインなのか、悲しんでいるのような、憤怒のような、何とも例え難い表情。そのあまりの異質さから、思わず凝視してしまう。
すると、オーフィンは急に女の腕を掴んだ。女はびっくりした様子で、オーフィンを見上げる。
「おい、アンタ。こんなことしてる場合じゃない」
「え……。何?あなた……」
「いいから!走れ!」
腕を強く掴んだまま、オーフィンは強引に女を引っ張って走り出した。
来たばかりの街で道はよく分からなかったが、とにかく人が少ない方へ向かって走った。
周囲に建物の無い採掘場近くまで来て立ち止る。そこは白い岩山と鬱蒼とした緑の入り混じる、観光とは程遠い静かな場所だった。
息を切らしながらオーフィンは言う。
「早く仮面を取れ」
「はあ、はあ、……いったい何なの!?もう!さっきの骨董店に言いたいことがあったのに!」
女はオーフィンに気圧されて一緒に走ってしまったが、我に返ると怒り出した。
「その仮面は魔道具だな?魔力の流れが途中で止まって破裂しかかっている。放っておくと顔ごと吹き飛ぶぞ!」
「ええ!?」
コルクとの対談のために用意された部屋は、個室などではなかった。
噴水からほど近い、大きな高級宿のおそらく一番いい部屋がその場所であった。明らかに貴族か豪商が使用するためのスイートルーム。広いリビング、豪華な調度品、なんか置いてある茶菓子。
ベッド以外の家具など置く余地のない、ぎゅうぎゅうの二人部屋を使用していた旅だったため、コルクは思わず「広っ」と呟いていた。
「私が借りた部屋だ。元軍人とはいえ、あなたも女性だ。宿に連れ込んでいるようで、すまない」
「いや、今さらだ。気にしない」
弁明するヴィクトールを制し、気にせずドカッとソファーに座るコルク。
部屋まで案内した給仕がお茶を入れ、ケーキを出し、軽い退席の挨拶をして静かに出て行った。
「安心してくれ。外にこの話は漏れない」
ということは、あの給仕はただの従業員ではないのだろうとアタリをつける。
どちらにしても今の時点で色々考えても仕方がないのだ。コルクはのんびりと伸びをする。
「にしても、よく私がここにいると分かったな」
少し渋い顔をして、ヴィクトールもコルクの対面に席をついた。
「……隠しても仕方がないから言うが、王都を出た後からずっとコルク殿の動向は探っていた」
「ほー」
「白々しい。わかっているんだろう?」
ヴィクトールは気持ちを切り替えるためかのように、茶を一口飲み、ガチャンと音を立ててカップを置いた。
「あなたが王都を出てからすぐ、一切追跡不可能になった。認識阻害か追跡阻害か、またはその両方か。厄介な魔術を……!」
「まあ、もう軍を辞めたからな」
ニヤリといたずらが成功したかのように笑うコルク見て、あっけに取られたヴィクトールだが、思わずフッと笑ってしまう。
元軍に所属していた最強魔術師の動向が分からないなど許されない。他国との兼ね合いだけではない。万が一にも裏切ることがあれば、まさに国難ともいえる状況になる。
彼女は全て分かった上で、ちょっとした遊び感覚で軍の追跡部隊を撒いていたのだ。
ヴィクトールはわざとらしく大きなため息をついた。
「まったく、こちらの身になってくれ」
「わかってるって。軍法会議で危うく処刑宣告されかけたんだ。さずがに王への誓約は違わないさ」
「当たり前だ。そうなったら、あの場であなたを庇った俺の立場はどうなる」
コルクも当時を思い返すと、よくあんな無茶なことをしたなと思う。普通は反逆の意図ありと判断されて処刑だ。
こうやって今、のんきな旅を続けられているのも、周囲のおかげだ。
心の中で感謝しつつも、ケーキをつつきながら茶を啜った。
「……さて、あなたの居場所が分かった理由だったな」
「そういや、途中で変な奴がいたぞ。タリティアの魔術師だ。あんなの入り込ませてて大丈夫なのか?」
コルクは軍を抜けたとはいえ、他国の魔術師が我が物顔で自由に国内を動き回っている状況を心配しないわけではない。
恨みつらみがあって軍を辞めたわけではないのだから。
「ドルト・スーチカ殿だな」
「あれ?知ってるのか?」
「彼の能力に頼らなければ、コルク殿を見つけることは出来なかっただろう」
コルクは意味が分からず首をかしげる。
「スーチカ公爵家ってのは諜報で名が通った魔術一族だ。調査系統に秀でた一族秘伝の魔術を持ち合わせているらしい。ドルト殿はどういう訳か前線希望の魔術師になったようだが」
「なるほどね……」
コルクにも話が見えてきた。
ドルトは以前からコルクに師事したいと我が国の上層部にアポイントを取っていた。
王都を出たコルクの所在が分からなく、手がかりもつかめなかったであろう軍としては、なんとしてもコルクの居場所を掴みたかった。
タイミングよく再度連絡が来たドルトに頼む形で、彼に追跡を頼んだのだろう。
コルクが追跡を妨げるために魔術を使っていたのは、王都を出てからの一か月間だけ。その後は王都から遠く離れたので面倒くさ、必要ないと判断したのだ。
コルクとしても、人を探すための魔術はいくつかあれど、そう便利なものは無いという認識だった。探索範囲が狭かったり、初めから視認している状態から魔術を使用しないと追跡がうまくいかなかったりと色々と制限があるため、魔術を使って人を探す際は、そういった点を考慮して複合的に術を構築する必要がある。
魔術は万能ではないのだ。
だが、ドルトの魔術はそういった制限から抜けた力があるのだろう。コルクが勝手に始めた追いかけっこだが、さすがに未知の魔術まで想定してはいなかった。
「……同盟を結んでいるとはいえ、他国軍の魔術師だろ。国内を自由に闊歩できるような裁量与えて大丈夫なのか?」
「そこは問題ない。今回の調査で見知ったことは一切口外できない契約魔術を結んだうえで、彼は動いている。さすがに期間と内容は指定しているがな」
「契約魔術!正気か!?」
ヴィクトールの説明に、コルクは思わず大声で反応してしまう。
絶対の誓約を課し、その内容を裏切ることができないのが契約魔術だ。その絶対的な制約といった意味以上に、契約相手に自分の魔力の痕跡を残すことになるため、秘密主義者の魔術師は契約魔術の使用を強烈に嫌がる。
軍を辞めたコルクでさえ、王への誓約は口頭と書面のみで、契約魔術は行わなかった。コルクもまた魔術師であり、契約魔術は絶対に嫌だったのだ。なぜそこまで契約魔術を避けたかというと、絶対嫌だったからだからだ。
「コルク殿の言う通り、初めはこちらも頼むつもりは無かった。だがドルト殿が自ら契約魔術を行うとまで提案してきたんだ。初めは何かの罠かと思ったが、そういう訳でもないようだったからな。彼は、本当にあなたに師事したかったんだろう」
あのプライドの高そうなドルトが、どれほどのプライドを投げ捨ててコルクを追っていたのか、それだけでよく分かる。
コルクの心に、ドルトに対して様々な想いが沸き起こる。
とはいえ弟子は取りたくないという想いと、やはり何かしてやるべきだったかという想いと、もっとそのプライドを捨てろという想いと、さっさと国に帰れという想い。
「ドルト・スーチカねえ……」
「彼から伝達術でコルク殿の居場所について報告があったが、その後すぐに居場所が分からなくなったと言っていた。きっとコルク殿が追跡阻害かなにかの魔術のかけ直しでもしたんだろう。違うか?」
「さてね。でもドルトと出会ったのはもっと遠くだったはずだ。この街とは結構離れていたのに、なんでここだと分かったんだ?」
ヴィクトールは紅茶を一口飲んでニヤリと笑う。
「あの場所から街道沿いに行けば、この街までは遠いだろう。だが、道の無い東の山を強引に抜けるルートを選べばすぐだ。あなたのことだ、何かしら街道沿いに進んだと思わせる罠を仕掛けたろう?ドルト殿が街道沿いに進むと聞いてピンときた。あなたは追っ手がいるとなったら、必ずそのルートを選ぶ」
「…………」
ヴィクトールの言うことは全くその通りだった。
元同僚にはバレバレな工作であったと言われると、なんだか癪だ。
「ドルト殿は土地勘が無いから、何か策を講じなくても街道沿いを進んだだろうがな。普通は山を突っ切るルートは選ばない。危なすぎるからな」
コルクはソファの背もたれに寄りかかり、つまらなそうに言った。
「なんだかなー。ヴィクトールも腹黒くなっちゃったな。昔はピュアで真っすぐな騎士だったのに」
「誰のせいだと思っている。いや、あなたに散々振り回されたおかげで、王宮の魑魅魍魎に対抗できる工作や腹芸を身に着けたんだ。今思えば感謝していると言えるな」
コルクは不満気な表情を隠さなかったが、それを見てヴィクトールはまた笑った。
仮面の女は慌てた様子で、だがそれでも仮面を取ろうとはしなかった。
「こ、困るの!これが無いと……!」
「そんなこと言っている場合か!人気のないところまで来たんだ。諦めて外せ!」
仮面の魔道具にどのような効果があるか分からないが、顔を隠す意図もあっての仮面なのだろうとオーフィンは思った。そのため、せめてもの配慮で人がいない所まで走ったのだ。
骨董屋前でのトラブルをきっかけに、女のつけている仮面を眺めていたオーフィンだが、それが魔道具であることに気が付いた。しかもそれが壊れかけの危険な状態だったため、慌てて女を引っ張ってきたのだが、冷静に考えると面倒なことに首を突っ込んでしまっていることを後悔していた。
魔道具を使えるということは、それなりに魔力を持っているということ。ということは貴族である可能性が高い。貴族が顔を隠したがっているという状況で、しかも女一人……。なんという厄介事の塊であるか。
「でも……でも……」
これ以上の面倒は御免なのだが、もう仕方がない。ため息をついてオーフィンが言う。
「わかった。その魔道具を直してやるから。俺は魔道具師だ」
「え!ほ……本当!?」
「ちゃんと見てみなきゃ分からないが、出来る限りはやってやるよ」
仮面の奥で女がホッとしたのを感じた。
女は恐る恐る仮面を外す。オーフィンは一応の配慮として、女の顔を見ないようにしつつも仮面を奪うように受け取る。
その場で座り込み、仮面の四か所についていた小さな魔石を携帯している小刀で急いで外す。本来は魔道具用の道具を荷物から出すべきであったが、仮面の魔道具は時間設定がどれだけされているか分からない時限爆弾の様な状態だったので、細かいことを言っていられない。
出来るだけ本体に傷をつけないように慎重に外す。
ガリ、ギリ、と硬質な音を立てて魔石が外れる。1個、2個……。
「……はあ、全部魔石を外した。これで爆発はしないだろう。」
緊張していたのだろう。オーフィンは袖口で額の汗をぬぐう。
後はこの魔道具がどんな作りかを調べなくてはならない。
オーフィンは今までも魔道具を修理することもあったが、他人が作った魔道具の修理は新たな魔道具を作る以上に苦労させられてきた。
ぱっと見た印象では、見たことのないデザインの仮面だ。ということは、この国で作られた魔道具であるかどうかも怪しい。全く知らない見たことも無い魔力の回路だと、修理の難易度は格段に上がる。少しでも魔道具の情報が必要だ。
「この魔道具はどこのものだ?何かわかることはあるか?」
オーフィンは質問を投げかけると同時に、思わず女を見上げる。
だが、いつの間にかオーフィンは夢を見ていたのか、妖精に化かされているのか、視界に入ったものの現実感がなく茫然としてしまう。
女は……女なのか?
仮面を外した女は、人とは思えないほど美しかった。
「……家にあるのを勝手に持ってきたんです。おじい様は異国から持ってきたと言っていました。認識阻害の効果がすごく強くて、まるで透明人間になったかのように、周囲に存在を察知されなくなります」
人が喋っているという気がしない。恐ろしいほど美しい。
白に近いブロンドに、白い肌。目も鼻も口も、外見を構成する要素が全て作り物のようだ。ここは彫刻の街なのだし、芸術家が作った女神像を精霊が人智を超えた魔法で動かしていると言われても納得する。
これほどの美人であったならば、仮面を着ける理由もわかると言うものだ。いかんせん目立ちすぎる。
オーフィンは安易に手を貸したことを深く後悔し、思わずため息が漏れる。
「思った以上に厄介な案件だったな……」
「やはり修理が難しいのでしょうか!?」
「いや……。とりあえず仮面の回路を見てみるから……」
力なくオーフィンは答えた。