1-2
翌日も気持ちの良い快晴で、朝食の量がやや少ないことを除けば満足のスタートであった。
前日にラリイが教えてくれた、まれにユニコーンが出没すると言われている湖畔があるそうで、ユニコーンウォッチングに出かけてみることにした。オーフィンは角を採って金に換ようと言い出したがコルクは却下した。
湖畔まで馬を借りても良かったが、天気も良いし歩いていくことにした。ところが、街道から外れてしばらくすると思わぬ客が現れた。
「待て!そこの!」
二人が声の方に振り返ると、そこにはいかにも高級な旅装束に身を包んだ男が立っていた。身に付けているアクセサリーも、宝石か魔石がはめ込まれた高そうな指輪に腕輪。外套でよく見えないが、服も品質の良いものを身につけているように感じられた。
20代半ばくらいの年齢に見えたが、身なりを考えると貴族だろう。先日護衛の依頼を断った貴族かと思ったが、周囲にこの男以外の人間が見えない。貴族が一人で出歩くなんてことは考えられないため、二人とも正体が分からず訝しむ。
「貴殿は、コルク・ロッサで間違いないな?」
「はあ」
オーフィンは「下手に対応する必要ありませんよ」とコルクに耳打ちする。どう考えてもコルクにとって面倒くさそうな客だ。
「私の名前はドルト・スーチカ。隣国タリティアの魔術師だ。名前くらいは知っているだろう?」
「えーと……?」
「は!?タリティアのエース魔術師だぞ!知らないなんてことないだろう!?」
そこまで言われると知っているのだろうかと、腕を組んで考え込むコルク。
隣国タリティアと友好関係にある本国は、隣地として接している敵国と対抗するため軍事同盟を結んでいる。コルクが師団長をしていたころ、何度かタリティアとの共同演習があった。コルクが演習の打ち合わせを行った相手はタリティアの師団長以上の数名だったが、その中にこの男はいなかった。となると、今の時点では男の言っていることを信じる材料は何も無い。
長考し始めたコルクを見て、ドルトは慌てた様子で外套の内側から、ペンダントを見せた。それはタリティアの国章に魔石が装飾された、タリティアの魔術師だけが持つペンダントだった。それを見て、さすがに二人とも目の前の男がタリティアの魔術師であることは事実であるらしいと判断した。
「そういえばタリティアの魔術師団長と話したときに、それなりに力のある若いのがいると言っていたが、もしかしたらお前のことか?」
「そうだ!そうに違いない!若手魔術師の中で一番魔力量も多く、前線で結果を出しているのが私だ! ドルト・スーチカだぞ!?スーチカ公爵家の優秀な魔術師と言えば有名だろう!なんですぐ思い出さない!」
「わかったわかった。それでなんの用だ。用が無いならもう行くぞ」
興味のないコルクは冷たく言い放つ。
「なんて無礼な奴だ、最低限の礼儀も知らんのか!まったく!こっちは国にいた時からコルク・ロッサとの面会を求めても拒否され、ようやくまともな回答が来たと思ったら出立しただと!王都から離れた貴殿を探し出すのがどれほど大変だったと思っている!こっちは3週間以上も国中をさまよったのだぞ!」
「そっちの事情は知らん。なんだ、タリティアから私を探すよう指示があったのか?」
「いや、個人的に探していたのだ」
「なんなんだよ……」
警戒した分、どっと疲れが出る。他国軍からちょっかい掛けられるのかと警戒してしまった。個人的事情であればまだいいが、紛らわしい客は勘弁願いたい。
言いたいことを言って満足したのか、ドルトは急に真面目な態度でコルクに向き合った。
「貴殿のことは共同演習で何度かお見掛けした。今まで想像したことのないほどの魔術に私は圧倒され、その魔術に近づこうと、プライドを捨て貴殿に教えを乞うことができないか、面会を申し込んだこともあった」
「そうかー」
「今回貴殿を追ったのも、貴殿の魔術の秘密をつかむため!あの桁違いな魔術を私も自分のものとしたいと!」
コルクと貴族の会話が始まったため、オーフィンは口を挟まずいる。よほどのことが無い限り、自分より地位の高い者同士の会話にしゃしゃり出たりはしない。そもそもこういった面倒な相手の対応をするときのコルクは、飄々とした態度で相手を煙に巻くことが多いのでオーフィンも心配はしていなかった。
「秘密ねえ……。魔術師は秘密ばっかりだ。お前もそうだろ?」
「貴殿の魔術は、魔術師としての秘密といった領域を逸脱している!普通じゃない」
「そう言われてもねー」
「貴殿は魔術師団を抜けたと聞き及んでいる。もう軍と関係無いのであれば、私が貴殿に同行しても何も問題ないだろう」
「え、まさか……。お前……付いてくるつもりか?」
思ってもみない展開に、オーフィンの顔が曇る。
「貴殿が魔術の秘密を語らないのであれば、それも仕方が無い。もちろん簡単に明かすとは思っていないのでな、元よりそのつもりだ」
「はあ!?勘弁しろよ。あ、お前仕事は?まさか軍を辞めたわけじゃないよな?」
「当たり前だ。貴殿と一緒にされては困る。私が魔術師団から抜けたら大事だからな、力のある者には責任がある。現場には出れないが仕事はしている。フッ、私ほどの魔術師であれば伝達術を使うなど造作もない。」
ドルトは、流行りの『気ままな旅』の変則系、『気ままなコルクを探し出す旅』をしていた。
「馬鹿か!付いてくるな!邪魔でしょうがない!くそ、本来は一人で旅する予定だったというのに」
「ん?彼は貴殿の従者ではないのか」
ドルトはオーフィンを見た。明らかにコルクより多く荷物を持っており、これはコルクの荷物を肩代わりしてバックパックに背負っているということだろうと思っていた。コルクに必要かは不明だが、若い男の従者であれば力仕事や盾役、雑務を任せるのに便利であるし、彼の派手さの無い服装と従者らしい態度は、何よりそれらしかった。
オーフィンにとって、荷物が多いのは旅先でも魔道具開発やメンテナンスに必要な道具を持っているからで、立ち振る舞いが従者らしかったのも、貴族などの地位にいる顧客が多かったため、必要に迫られて身に着けた振る舞いがそれらしかっただけであったのだが。
「ああ、こいつは従者じゃない。私の、えーと。魔道具師だ」
色々なことをおざなりにしがちなコルクだが、さすがに借金取りと伝えることは憚られた。そのため、ドルトに伝える必要のないオーフィンの情報まで口を滑らせてしまう。
ドルトは大きく目を見開き、少し間を置いて静かに息を吐く。
「なるほど……。そういうことか」
「ん?」
ドルトは自信に満ちた様子で、コルクを勢いよく指さした。
「出立して、なおそばに置く魔道具師!それこそが貴殿の魔術の秘密というわけか!」
「は?」
「ククク。何が天才魔術師だ。桁違いの魔力なんてやはり無かったのだな、すっかり騙されてしまった。結局のところ、貴殿の魔術は特殊な魔道具で底上げされていたに過ぎぬということか」
なんだか話の流れがおかしくなっていたので、オーフィンは思わず会話に割り込んだ。
「スーチカ様。私ごときが口を挟み恐縮ですが、魔道具で魔力を底上げするには限界があります。魔道具はあくまで魔術師をサポートする役割にしかなりえないのです」
ドルトはニヤリと笑い、オーフィンを興味深そうに見つめる。
「主であるコルク・ロッサの秘密を守りたいのは分かる。だが、君のその才能をコルク・ロッサただ一人に縛られるのは惜しいと思わないかね?君の魔道具を使えば、いくらでも彼女と同等の力を持つ魔術師が生まれるのだ!そう、君は怒るべきだ。自分の才能を埋もれさせられている!と」
「オーフィン、こいつ多分分かってないぞ」
目の前の男の勘違いから、嫌な方向に話が展開する予感がした。
「コルク・ロッサにどのような恩があるか知らないが、君は羽ばたく時が来たのだ!私がその環境を用意しよう!タリティアで存分に力を発揮すればいい。もちろん給与も破格の金額を提示しよう!君にはその価値がある!」
「オーフィン、金がいっぱい貰えるらしいぞ」
「コルク様は黙っててください」
まさか矛先がコルクから自分に向くとは思わなかったため、どうしたらいいものか思案する。当然断る一択だが、一応相手は他国とはいえ貴族だ。上から話を通されたらどうにもならない。コルクはオーフィンが旅の同行者であることを渋々承知しているに過ぎないため、ドルト・スーチカを退かせるため力になってくれるかどうか怪しい。オーフィンの背中に嫌な汗が流れた。
「お褒めの言葉、大変ありがたく思います。ですが、私の魔道具にそれほどの力はありません」
「フッ。主へのその忠誠は美しいと思うぞ。だが、君は仕える主を間違えている。その様子から見て、なかなか厳しい旅のようじゃないか?従者にろくな装備や環境を与えられぬ主など、仕えるに値しないということを君は知っておく必要がある。そんなみじめな思いをしてまでコルク・ロッサの旅に同行する必要があるのかね?」
「もちろんあります!」
今度はオーフィンと貴族の会話が始まったので、コルクが黙っている。面倒くさいことになったなと思いつつも、頃合いをみて二人の会話に口を挟む必要があるかもしれないな、とぼんやり考えていた。
「私はコルク様から回収しなければいけない代金があるのです!それを回収するまではコルク様に同行させていただかねばなりません!」
ギョッとした顔でドルトはコルクの方を見る。その表情は徐々に驚きから軽蔑の眼差しに変わる。
「貴殿は業者のツケすら払っていないのか!」
「いや!違う違う!!これには深いわけがあってだな……」
コルクは自分がだらしないのも知っていたし、上流階級者としての立ち振る舞いに問題があるのは認識しているものの、金にだらしなくて借金しているなどと他者から思われるのは心外だった。実際そうなのだが。
ドルトはちょっと引いていた。潤沢な資産を持つスーチカ家では、業者の支払いが滞るなんて考えられなかった。とはいえ、ドルトは頭でっかちな金持ちでは無く、できるだけ品性と教養のある人間であろうと心掛けていた。そのため、人々の環境も様々、中には金銭的に困窮している貴族もいるであろうことは理解している。ただ、コルク・ロッサは魔術師団長ではあるものの、貴族出身ではないと聞いたことがあったので、得た給与を領地経営のためにつぎ込んでいる、ということは無いであろう。もしコルク・ロッサが大家族出身者で、養う家族が多くて、さらに病弱な身内がいて薬代が高かったとしても、金に困ることは考えにくい。何故ならば、仮にも魔術師団長であったならば一般市民とは、それこそ桁違いの給金を貰っているはずだからだ。他国だから単純に比較はできないが、少なくともタリティアではそうである。つまり、この事実から導き出される答えは……。ギャンブルか……男か……。
ドルトは品性の無い人間を一時的にでも尊敬していたという事実に少々考え込んでしまう。己の人を見る目はこんなものだったのかと。
とはいえ、この状況は考えようによっては金で解決するということでもあった。
「まあ、いい。ではその金を私が払おう。そうなればオーフィン君は晴れて自由の身ということだな。借金を取り立てている人間にいう言葉ではないが」
「いえ、そのような支払いをスーチカ様がする必要はありません!」
はー、と大きなため息をついてコルクが口を挟む。
「待て待て、ドルト・スーチカ。お前が勝手に決めることじゃないだろ」
「元々は貴殿の支払いが滞っているから彼が苦労しているんだろう!私が貴殿の借金を肩代わりしてやろうというのだ、何の損がある」
確かにそれはそうである。ドルトの提案はコルクにとって得しかない。オーフィンへの支払いを肩代わりして貰えれば、晴れてこちらも自由の身。オーフィンもわざわざ王都の店を閉めてコルクに付いてくる必要が無くなる。
「コルク様……」
コルクを見つめるオーフィンの顔色は悪い。
ドルトへの反応から見て、オーフィンはタリティアに行くことは望んでいないのだろう。他国とはいえ、相手は貴族なのだ。身分が下位のオーフィンがはっきりと断ることは難しい。目の前の貴族の魔術師が納得する形にならないと、この話もズルズル伸びてしまうだろう。
オーフィンは屋敷を売って金を払うと言っても断り、わざわざ店を閉めて長期の旅に付いてきて、なんやかんや共に依頼をこなし、たまに一緒に観光にいく日々を過ごしてきた。さすがのコルクもオーフィンが旅に同行する意図はなんとなく察していたつもりだ。
「じゃあこうするか。私は魔道具一切無しでお前と勝負しよう。お前が勝ったらオーフィンはタリティアに付いて行く。私が勝ったらもうオーフィンに関わるな」
「ほほう……。魔道具無しとは随分大きく出たな」
「どちらかが降参するか、戦闘不能になったら勝負は終わりだ、いいか?」
結局、手っ取り早く話をつけるにはこの方法が一番分かりやすい。
コルクは外套を脱ぎ、荷物とともにオーフィンに手渡す。外套の下は、ひざ下まであるワンピースに動きやすいパンツを合わせた旅装束で、最低限の防具代わりに皮のベストを身に着けている。
「公平を期するなら、これらも外しておくか」
魔道具ではないが魔術に影響を与える皮ベストを脱ぐ。ベストの素材は一見ただの牛皮に見えるが、魔術耐性と衝撃吸収力の高いミスティバイソンの皮と、エンチャントスパイダーの糸を使った生地で出来ている。
最後に杖をオーフィンに預け、コルクは完全に手ぶらになった。
「フッ。いい心がけだ」
「お前は魔道具つけたままでいいよ。大した違い無いし」
「な、なんだと!後悔するなよ」
「オーフィン、もっと離れていた方がいい。自称若手エース魔術師の魔術は威力が高そうだ。何かの拍子に飛んでくるかもしれない」
オーフィンは頷き、小走りで後ろに下がる。その間コルクは軽く腕を回したり、屈伸したりとストレッチを始めた。一方、ドルトは杖に魔力を溜め、魔術を発動する準備をする。
オーフィンも旅の間に遭遇した魔獣戦でコルクの強さは知っており、心配する必要が無いと分かっている。それでも対人戦のコルクを見るのは初めてだったため、不安は拭えない。これで負けたらタリティア行きで、コルクとの旅も終わりを迎える。魔術師を手助けするはずの魔道具を一切持たないというルールならば、自分がコルクにしてやれることは何も無い。出来ることと言ったら、コルクを信じて祈ることだけなのだ。
コルクはオーフィンの方を見て、自分たちとの距離を確認する。オーフィンは魔術避けの魔道具を持っているので、この距離であれば術がオーフィンの方へ向かったとしても、魔道具の発動は十分間に合うだろうと目算を立てた。
魔術師団内でややこしい話になった場合、いつもこの決闘方式をとっていた。魔術師は無駄にプライドの高い人間が多かったため、決闘で話をつけるやり方は騎士団の連中のような野蛮な方法だと批判する者もいたが、決着のつかない平行線の話し合いを何日も続けるより、よっぽど早期に解決すると判明するとすぐ定着した。魔術師達は面倒な人間だが合理的な人間でもあるのだ。
「もういつでもいいぞ。さっさと来い」
コルクがスタートの合図とばかりに、20mほど離れたドルトに声を掛ける。
「よし……」
ドルトの杖に溜めた魔力が、光の玉となってシャボン玉のように空中に浮かび上がる。
自らを若手のエースだと言っていたが、それは嘘ではないようだとコルクは思った。
ドルトを取り囲むように配置された光の玉は、攻防のどちらにも使える実戦的な魔術だ。光の玉を飛ばすことで攻撃になり、自分の周囲に配置することで相手の攻撃を防ぐことができる。味方が巻き添えにならないよう気を配る必要があるが、逆に味方がいない場面で効果を最大限に発揮しやすいため、今回のような一対一の対戦であれば最適といっていい術の選択であった。そうこうしている間に空中を漂う光の玉は百を超え、彼の魔力の高さを示していた。
ドルトは立てて持っていた杖を、楽団を指揮するように前に向ける。刹那、凄まじいスピードで空中を漂っていた光の玉がコルクに向かって飛んでいく。
向かって行った光の玉を、コルクは飛んでいる羽虫を追い払うように手で払い落した。地面に落下した玉は、爆発とともに土煙を上げながら破裂していく。
よく見ると、コルクの腕から指先まで、うっすらと魔力による光が帯びていた。光の玉による爆発は自身の魔力を纏うことで弾いているが、高速で飛んでくる光の玉自体は、単純に本人の動体視力で追い落としているようだった。
「ハッ、戦い慣れているということか」
ドルトは魔力を高め、さらに無数に光の玉増やす。短期で勝負を決めるかのように、一度にコルクにぶつける。
絶え間なく飛んでくる光の玉を正確に弾いてはいるが、コルクは防戦一方といった具合だ。
現状は優勢に見えたが、ドルトは油断していなかった。彼女は光の玉を弾きながら魔術を練っている可能性もある。とはいえ、杖が無い状態では高難易度の魔術は難しくなるので発動までまだ時間がかかるだろう。
と思っていた。
ドルトのそこからの記憶は曖昧だ。
油断なく警戒していたのにも関わらず、いつの間にかコルクは目と鼻の先にいた。顔面に強い衝撃を受けたと思った瞬間、意識が飛んだ。
固唾を飲んで見守っていたオーフィンも、あまりに呆気なく終わった勝負に放心してしまった。
防戦を強いられているように見えたコルクだったが、急に思い立ったようにドルトに向かって走った。その早さは走るというより、突風のようだった。
光の玉の防御網なんて無いかのように器用に回避し、ドルトの目の前でコルクが一瞬静止したかと思ったら、右手を大きく振りかぶって、ドルトの下顎に向かってアッパーを放った。
パンチはクリーンヒットし、重い音を発した後、静かにドルトは膝から崩れ落ちた。
周囲を取り囲んでいた光の玉が儚く消えていく。
コルクの右アッパーは、人間からダウンを奪うには十分な威力だったようで、ドルトはピクリとも動かない。
コルクは魔術だけでなく、体術も強かった。
我に返ったオーフィンは、慌ててコルクに駆け寄る。
「コルク様……。お疲れ様でした……」
オーフィンから荷物を受け取り、身支度を整えていく。コルクには怪我どころか疲れた様子も全く、朝のストレッチでも終わった後かのようだ。
「さて、こいつどうするか。軽い脳震盪だと思うから、放っておけば勝手に回復すると思うんだけど」
「放っておきましょう」
コルクはきょろきょろと辺りを見渡し、近くにあった大きな木を指さした。
「とりあえず、こいつをあの下で休ませるか。さすがにそのまま放置したら物取りに遭うだろうし」
「そこまでしてやる義理ないですよ!まったく、本当に……お人好しが過ぎます」
オーフィンを無視して、杖を取り出す。杖の先が揺らめいたとおもうと、ドルトの身体がふわっと宙に浮く。気絶していることへの考慮か、ゆっくりと木の下へ運ばれていく。程よい木陰を作った場所に優しくドルトを降ろすと、その隣にコルクはポフっと座り込み、軽く伸びをした。
「え……もしかして起きるまで待つつもりですか?」
「物取りに遭うってさっき言っただろ」
今までで一番大きなため息をして、オーフィンもコルクの隣に座った。
「ここまでしてやる義理はありません!」
「ふふふ、まあな」
普段以上に憤っているオーフィンだが、コルクは相変わらずその小言を気にする様子は無く笑っている。
オーフィンは思わずコルクの顔をじっと見てしまう。今まで以上にコルクの考えが分からないからだ。
「何か言いたそうだな」
「……なぜ魔術を使わなかったのです?勘違いしてほしくないですが、私はこの対戦を望んでいたわけではありませんでした。でも……少なくともドルト・スーチカは魔術での戦いを望んでいたはずです」
ドルトはこの旅の中でコルクの魔術を何度か見てきた。旅を始めて早々、生ける伝説となっているコルク・ロッサの攻撃魔術を始めて見た時は、彼女の強力で正確無比な魔術を前に腰を抜かしそうになり、高難易度の魔術を同時発動している様子を見て、人間のレベルを超えていると実感した。
あの魔術を見たであろうドルトに、コルクに憧れるなと言うことは無理であろう。魔術の高みを目指している魔術師であれば猶更。
コルクも自分を目標とする魔術師が多いことは分かっているだろうし、彼女の性格であれば相手の魔術師の想いを汲んで、魔術の対戦申し込みをされたら安請け合いしそうでもある。
だがコルクは魔術を使わずに、この勝負に決着をつけてしまった。
コルクは空を見上げながらしばらく黙っていた。
「まあ、魔術で人を攻撃するのは十分やってきたしな。もう飽きたってことさ」
「それは…………」
それは、秘密主義者のコルクの心を少し覗かせた発言のように思われた。
隣国との戦闘後だったのであろう、オーフィンの魔道具工房にコルクがやってきた。
当時コルクはオーフィンの大得意先で、いつもはオーフィンがコルクの屋敷に赴き、コルクが愛用している杖や魔道具のメンテナンスを行っていた。国一番の魔術師、いや世界一の魔術師の魔道具を任せられていると思うと、オーフィンにとってコルクの仕事は誇りだった。例えそれが祖父の後を継いだだけで得た名誉だったとしても。
最強の魔術師コルク・ロッサ。魔術を齧ってたら知らないものはいないし、敵軍でも知らないものはいないだろう。たった一人で一千人の軍隊を退けるとも言われる、無尽蔵とも思える魔力と高度な攻撃魔術で敵軍を薙ぎ倒してきたと聞いている。
そんなコルクが折れた杖を持って、わざわざ自分の工房まで来たのだ。
コルクは言葉少なに杖の新調を頼んできた。杖とは魔術師にとって手のような存在だ。最も重要な魔道具といっても過言ではない。コルクがこれから使う杖だと思うと俄然気合が入った。採算なんてどうでもいいと、祖父が現役時代に集めていた高価な魔石や貴重な素材を惜しげもなく使った。祖父には及ばないかもしれないが、それでも今のオーフィンができる精一杯の杖を作った。
意気揚々と屋敷に納品に行くとコルクにこう言われた。
「私は軍を辞めて王都を出ていく。代金はこの屋敷で足りるか?」
オーフィンにとってコルクは誇りだった。これまでも、そしてこれからも。
「う……。私は……」
爽やかな風が頬を撫で、ドルトの意識を呼び覚ました。周囲は涼しく穏やかで、魔術を使った後のドルトの身体の熱も冷めていた。
「起きたみたいだな。オーフィン、こいつどのくらい気絶していた?」
「2分くらいですかね」
オーフィンは懐中時計を見ながら答える。
あまり長い時間意識が戻らなければ頭に後遺症が残ることもあるが、今回は問題ないだろうと、コルクは元軍人らしく大雑把に判断した。
「私は負けたのか……。くっ、あんな負け方……!」
「おい、急に起き上がろうとするな。少し寝とけ」
コルクはドルトを抑え、何かを呟いた。すると、ドルトの手足が地面に貼りついたかのように動けなくなる。
「おのれ、拘束の魔術か!厄介な……!」
「お前の魔力が私の魔力を上回れば、この拘束を破ることができるかもな?」
ニヤリと笑うコルクに、殺さんばかりの視線を向けるドルト。そんな二人を眺め、ため息をつくオーフィン。
「スーチカ様、これでお分かりになったでしょう。コルク様は私の魔道具を持たずとも、その力が減退することはありません。コルク様にとって魔道具は『あると便利だから使う』程度のものなのです」
「そういうこと。お前の負けだ。もうオーフィンにちょっかい出すなよ」
ドルトはどうにか拘束の魔術を解こうと必死に魔力を集中させたが、拘束はビクともしない。拘束魔術を通してドルトの魔力の動きを観察しているコルクは、ドルトの変化を楽しんでいた。
「なるほど、面白いこと試しているな。単純な魔力のぶつかり合いでは負けるから、一点に魔力を集中してどうにか破壊の糸口を掴もうってわけか」
「ええい!いちいち説明するな!」
「だが、その程度ではこの拘束は解けないぞ。お前はテクニカルな術はうまいが、魔力の扱いはまだまだだな。もっと魔力の圧縮を覚えたほうがいい」
コルクの言葉に、パッと顔を上げるオーフィン。「圧縮……」と小さく呟いた後、突然何かを思いついたように荷物から旅仕様の薄手の布団を取り出した。
「できますよ!コルク様!」
「なんだ急に」
「布団です!我々は思い違いをしていました。布団を形状変化させる魔道具にするのではなく、布団を圧縮させる魔道具を作ればいいんです!携帯時に圧縮の魔道具を使い、布団を小さくすれば携帯性が上がります。寝るときは魔道具の使用を辞めればもとの大きさの布団になりますから、布団自体を魔道具にする必要はありません!」
急にテンション高く話し始めたオーフィンを、怪訝な目で見つめるドルト。初めは落ち着いて聞いていたコルクだが、説明を理解した途端、オーフィンのテンションが乗り移ったかのように、おおー!と叫び出した。
地面に貼り付けられているドルトを放っておいて、二人はふかふかの布団がどうのとか、まだ課題は多いだとか、布団の話で盛り上がる。
完全に無視されだしたドルトは、例えようのない悔しさに襲われていた。
魔術の高みを目指すべく、隣の国で放浪までしてコルクを探したというのにこの始末。決闘ではコルクに魔術なしで破れ、おまけのように披露されたコルクの拘束魔術すら太刀打ちできない。これほどまで魔術師として相手にされず、自分の力不足を実感させられたことなど無かった。
「おい!これで終わったとでも思っているのか!」
「ん?」
「確かに、私は彼をタリティアに連れていくことは諦める!だが、貴殿に付いて行かないとは約束していないぞ!」
「はあ!?」
さっきまでの二人のテンションは吹っ飛び、表情がまた曇る。
たしかに決闘での約束は、コルクが負けたらオーフィンがタリティアに行き、コルクが勝ったらオーフィンに関わらないというものだった。ドルトの発言は詭弁のようだが、厳密に約束していなかったのは事実である。少なくとも立場上、オーフィンから言葉を挟むことは出来ない。
「あー!もう!面倒くさい奴だな!オーフィン、もう放っておこう!」
「え、どうするんです」
「こいつにかけてる拘束魔術の効果時間を長くする!その間に我々はここから退散しよう。追跡阻害の魔術を強めにかければ、追ってこれないだろう。少なくともこいつは目も覚めてるし、物取りを遠ざける程度の魔術は仕えるだろう」
コルクは置いていた荷物をさっさと抱えだしたので、オーフィンも慌てて荷物を背負う。
外套の内側にしまっていた杖を左手に持ち、騎士が軍を指揮するときのように前に突き出す。すると、ドルトの顔から表情が消えた。
身体への拘束が強くなったわけではない。だが、今までとは比べ物にならないほどの魔力の圧力をぶつけられ、とても人間業とは思えなかった。例えるなら、今まで鎖に拘束されていたのが、今は地下深くに埋められたような感覚。人間の力でどうにかできるレベルでない。抵抗しようのない圧倒的な魔力量。
ドルトの額から脂汗が流れ出る中、二人はドルトを置いて歩き出した。
だんだんと離れていく二人を見つめながら、ドルトはこれで終わらせるわけにいかないと決意するのだが、コルクがその暑苦しい情熱をぶつけられるのはしばらく先である。
「はー、面倒くさい奴だった。今日はユニコーンを見るはずだったのにな」
「勘違いとは言え、本当にタリティア行きになるところでした。ありがとうございます」
元はと言えばコルクと一緒にいたせいでドルトが勘違いしたので、ありがとうございますという発言は正しくないかもしれない、とオーフィンは思ったが、別に間違えてもいないか、とも思い直した。
「先ほどの拘束魔術の効果時間はどのくらいあるのでしょうか」
「単純な拘束魔術だから効果時間は長いよ。一般人相手だったら一週間くらいかな。魔術師相手だと人によるけど、まあ半日は効くか」
12時間前後だとすると、時間があるようで無いような、微妙な効果時間。
街道までは戻ってきたので、ここから街に戻って馬か馬車を借りれば今日中に隣町までは行ける。とは言え、本来ドルトから逃げるための旅でもないし、優先度は迷うところ。どうするかはコルク次第。と思っていたのだが。
「オーフィンはどこか行きたい場所ないか?どこでもいいぞ。せっかくだし」
「と言われましても……。私はコルク様の向かうところに一緒に行くだけです」
この旅が始まってから、コルクが行きたい・食べたい・見たいと言う場所について行く生活で、自分がどうしたいかなどと問われても、まったく考えていなかった。
「いい休みになってるよな。こうやってずっと一緒に旅を続けられたらいいのに」
「えっ」
笑顔でこちらを見つめるコルクを見て、オーフィンの脳みそが急加速で回転する。
いやいや、別に私のことが好きで一緒にいたいとか、そういった理由ではないはずだ。本人も言っている通り、旅が楽しいから旅を続けたいと言っているに過ぎない。私だって別に彼女のことが好きとかそういった邪な想いがあるわけではない。だからこそ私は一緒に旅をすることができるし、同じ宿に泊まることだってできるのだ。いやだが、もしかしたら自分の言動から何か感じ取って、彼女はこの発言をしているのか?私は別に彼女のことが好きとかそういうのは無い。無いはずだ。だから自分の言動から、彼女に気持ちが伝わることもあるまい。だがしかし、このような柔らかな表情を男に向けることの功罪を彼女は考えた方がいい。私だから良かったものの、他の男ではこうも鉄の意志を保ち続けることは難しいのだとわかっているのか。
この間、0.1秒。
「オーフィンは私に借金取りとして付いてくる体じゃないと休みが取れないから、一緒に旅に出たんだろ?」
「えっ」
遠くで山鳥の鳴き声が聞こえる。
「オーフィンは真面目そうだし、休みなんて今までほとんど取ってないんじゃないか?王都にいたころから、店の定休日も魔道具のことをずっと考えてるって言ってたじゃん。だからこそ、何かを理由にしないと長期の旅行なんて行けなかっただろ?」
「いや……。そういう訳では……」
空を見上げてコルクが続ける。
「根を詰めて仕事に励むのはいいけど、誰だってどこかで休みたくなることはあるよ。プレッシャーのかかる仕事だったらなおさらだ。魔道具師なんて貴族相手の仕事なんだし、ストレスだって多いだろ?」
「…………」
「あれ?楽しくないか、この旅?」
初めはコルクに付いて行くことだけが目的だった旅。客として対応している時には分からなかったコルクの大雑把さや不器用さに戸惑い、面倒を見ているうちに気安い主従関係が生まれた。旅の中で、今までとは違う経験をしたり、行ったことのない場所を観光したり。それは仕事漬けだった二ヶ月前では考えられないほど刺激的でリラックスした日々だった。思えば、この旅にこれといった不満は無く……それどころか……。
オーフィンは、たった二ヶ月とは思えないほど、充実した日々を過ごしていることに気が付いた。
「楽しいです……すごく」
「だろ。こんな贅沢な旅、なかなかできないぞ」
コルクは満足そうに笑った。
ああ、そうか。それでいいのだ。
「ではコルク様。私も行きたいところを提案してもいいですか?」
これはオーフィンにとっての気ままな旅でもあるのだ。
オーフィンの嬉しそうな顔を見て、コルクは笑顔で頷く。
「パープルレイクに行ってみたいです!紫色の水面がとても幻想的だと聞いて気になっていたんです。しかも、あの周辺では特殊な魔石も取れるとか」
「え、あそこ行きたくないんだよな……。別の場所にしない?」
「どこでもいいって言ったじゃないですか!」
ここからようやく、二人の気ままな旅が始まるのだ。
1話おしまい
読んでいただきありがとうございます!
2話は準備できたら投稿します。