プロローグ『破滅の裏切り』
華やかな王就任の儀の中で放たれた絶望の一言。
「この場を持って、貴様との婚約を破棄する」
王妃になるはずだった私に、王子は言い放しました。
栄光から奈落へ。
王子の言葉で、一瞬にして今まで築き上げたものがすべて崩れ去りました。
よく見ると、王座の隣に私の席は用意してありません。
会場にどよめきが走る……ということもなく、
ただただ静寂が広がっていました。
まるで、王子の言葉を知らなかったのは私だけだと言わんばかり。
注目だけが、私と王子に集まっていきます。
「王子なぜなのですか? 理由を聞かせていただいてもいいですか」
胸に手を当て、動悸を抑えながら、
なんとか私は言葉を絞り出すように言いました。
「私は、お前のことを信頼していた、本当に愛してもいた。だが、お前はそれでも許されないことをした」
王子は、金子のように艶やかな髪を振り乱しながら言いました。
「それは何ですか?」
私が問うと、アメジストのような瞳で睨みつけてくる。
「お前は数名の女学生を殺し、怪しげな術を使用していたらしいな」
私たちの通っていた学園で、女学生が数名行方不明になっている。
そのことは私も知っています。
「なぜ私がそのようなことをしたと……そんな噂、王子は真に受けたのですが」
「噂ではない。事実だ。目撃者もいる」
王子に促されて、隣に進み出てきた娘。
確か男爵令嬢といったところ。
顔を真っ青にして、よろよろとわざとらしく倒れる娘を王子は支える。
「この娘は、お前が、他の女学生を殺していたのを見たとのことだ」
小顔で可愛らしく、スタイルもいい。
十人中十人が、彼女はいい子であると言ってしまうような女の子。
「王子は、そのような娘の方が好みなのですか」
女である私が見ても可愛いと思える女の子。
王子が惚れてしまっても無理はない。
「なんと空々しいことを論点をずらすでない」
王子は私に、言い訳の機会も与えてくれないらしい。
周りをみると、兵たちが静かに私を取り囲んで言っているのも見て取れる。
どうやら、追放とか生易しいものではないらしい。
捕まったら処刑される。
「そうですか。残念です。王子とはこれまでのようですね」
私は覚悟した。
なぜなら王子の言ったことは……。
すべて……。
事実。
私は、仮初の姿を捨てて、本当の姿を現す。
あなた色に染めてほしいといった意味の白のドレスは、何物にも染まらない漆黒のローブに変わる。
窓辺で、幸せを歌っていた鳩たちは、天井に止まり不吉な蝙蝠へと変化していた。
どこからか舞い降りてきた三角帽が、この世のものとは思えない声で「クカカカカ」と笑い、私の頭の上に収まる。
大きな鍔を軽く掴むと、綺麗な銀髪を隠すようにくいっと持ってかぶり直した。
「ま、魔女だ」
誰かが怯えた声で言った。
私は、にたりと笑みを深める。
そう私は魔女。
200年前、世界を破滅寸前までに追いやった史上最悪の魔女だ。
「本性を現したな! 皆のもの囲め」
王子の声で、兵士達は統率のとれた動きで私を囲む。
ただ震えているのは私ではなく、兵士たちの方だった。
私と視線を合わせるだけで、死が絡みつくのを感じているのだろう。
私はぺろりと唇をなめる。
「ふふふふ、女学生と同じように殺して差し上げましょうか」
羨望の眼差しばかり向けられる日々も悪くなかったが、やはり恐怖に怯えさせる快感には及ばない。
目的には、達したとはいえ、犠牲は増えれば増えるほど、気持ちがいい。
「信じたくはなかった……すべて本当のことだったとは」
そう、すべては事実。
若い女学生たちを何人も殺したのは、秘術の生贄にささげたため。
娘たちを殺していた時、物音と猫の鳴き声がしたことがあった。
きっと王子の隣で、腰を抜かしてへたり込んでいる娘だったのだろう。
しっかり確認しておけばよかった。
あの娘も、若くて美しく生贄の候補だったというのに。
「残念ですね。王子が気づかなければ、幸せでいられたものを」
王族の婚約者になりすまし、王族を中から腐敗させる作戦は失敗してしまいまった。
せっかく、純情な侯爵令嬢を殺して、吐き気を催すほど甘ったるい声を出す演技をしていたというのに。
「絶対逃がすな」
そんな逃げるなんて無粋なことをやるはずない。
三角帽がぺっと吐き出した魔法の杖を握りしめる。
魔杖変形「冥王の花嫁」
杖が氷の結晶を模した形に変化する。
私は杖を一振りした。
訪れることのない春。
永遠に続く極寒の冬に抱きしめられて、世界が色褪せる。
兵士たちはうめき声すら漏らさずに、一切の動きを停めてしまった。
心臓すら。
じっくりしっかり熟成させて、滅ぼしていくのも楽しいが、
「一夜で滅ぼしてしまうのも乙ですね」
我さきにと逃げ出そうとする貴族たち。
行動するのが、あまりに遅すぎた。
開けようとした扉は、人の力では開けれないほど、凍りつき閉ざしている。
貴族たちの足は、みるみるうちに凍り付いていく。
天井に張り付いていた蝙蝠たちが貴族たちにとびかかると貴族たちの首筋にかぶりつく。
蝙蝠たちは生きたままの貴族たちの血をすすっていた。
栄華から一転して破滅に落とされたのは、私以外の者たちだった。
あまりに凄惨な光景に私は笑みを深くする。
「ふふふふふ」
私は笑いながら、王子に向き直った。
「どうですか? 王子あなたの一言がこの事態を招いたのですわ」
血を吸われすぎてミイラのようになってしまった貴族達を見せつける。
さも王子にすべての責任があるかのように。
寒さのためか、恐怖のためか。
もしくは、その両方か。
生まれたての小鹿のように、震える王子。
「昔のお前は、そんな奴ではなかったはずだ。い、いつかわったのだ?」
成り代わったことにも気づくとは、なんという慧眼。
王の資質はあるのだろう。
ただし、それは芽をだすことはもうない。
なぜなら、
「もう五年になりますかねぇ」
あまりに遅すぎるから。
「そんな前から……」
「でもさすがですわね。姿も話し方も完璧にトレースしたはずですのに」
「優しかった笑い方が、ほんの少しだけ変わっていた……」
「愛の力ですわね。妬けてしまいますわ。ですが、そんな力、本当の力の前には無力」
魔杖変形「冥王の鎌」
魔法の杖は、冥王の使用する大きな大きな鎌、デスサイズへと姿を変える。
刃はガラスよりも透明で、恐ろしいほどの冷たさをはらんでいた。
今度の冷たさは冷気ではなく『死』の冷たさ。
「さてあなたには生贄になってもらいましょうか」
この鎌が刈り取るのは草などではない。
魂そのもの。
私は大きく振りかぶる。
「すまない。ニルナ、お前だけでも逃げ延びてくれ」
実体を持たない鎌は、体を傷つけることなく王子の魂を刈り取ると冥界へと送った。
「あっ……」
王子の隣にいた娘が声をもらした。
自分を置いていかないでとでもいうように。
虚空に伸ばした手はなにもつかむことができない。
「さてさて、あなたはこれから自分がどうなるかわかっているのでしょう?」
私の儀式を目の当たりにしたのだ。
女学生たちがどうなったのか知っている。
そして、これから自分がどうなるのかも。
「たすけて……」
この場にいる彼女以外はもう死んでいる。
その声が私以外に届くことはない。
美しい娘の顔が恐れに歪むのがなによりも快感だった。
絶望に染まる娘の顔をひとしきり堪能した。
「ああ、楽しいですわ」
元の形に戻った魔杖の尖った柄で、娘の心臓を突き刺した。
胸から噴き出した血しぶきが、玉座を綺麗な真紅に染める。
「あとこの場にいない王族は、あなたの妹だけですわ」
人形のようになった王子を見下ろす。
この国で口封じが必要なのは、王子の妹、ニルナ王女だけ。
私を姉と慕ってくれていた美しい娘。
彼女には飛びっきりの絶望を用意してある。
「あちらはうまくいったのかしら?」
私は王子ではない別の人に思いを馳せる。
「ふふふふふ」
私は血に濡れた玉座に腰を下ろし、優雅に足を組む。
そうして、空に浮かぶ魔性の赤い月に笑みをこぼした。