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盾の用心棒と白の魔女  作者: 海藻 若芽
用心棒と白の魔女
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3話-1 明朝の礼拝

 朝日がイッスの村を照らす前。規則正しく起きたアイアスは、日課をこなすために独り外に出ていた。格好は、パツンパツンになった袖がなく襟ぐりが深い白の肌着と膝上の青いズボン。雪が降る季節ではないが、少し肌寒さを感じさせた。

 この服はアイアスのものではない。村人の一人が以前使っていたものをサージャが借りてきてくれたのだ。その村人はすでに村を出て、別のところで暮らしているとか。アイアス自身も彼女からまた聞きした内容で、根掘り葉掘り質問しなかった。


 薄い上下の服とは裏腹に、足元は流れ着いたときに履いていた長靴を履いていた。彼が寝ている間、日向に干してくれていたのだ。ちなみに、昨日アイアスが村を出た時は勿論裸足である。幸い、土道には踏んで怪我をするようなものは落ちていなかった。

 まだ静寂と暗闇が包まれる丘で、彼は両膝を降ろす。雑草の絨毯に紛れて米粒大の石ころたちが脚を突いてくるが、彼は石ころたちを除けず、両手を地面につく。右腕を気遣って、左に重心を傾ける。そして、そのままこうべを垂れた。


 重心がずれて、脚への重みが増した。雑草に当たるまで深々と頭を下げると、朝露に潤んだ雑草から、土と草のそれぞれが混ざり合った独特の人を選ぶ臭さが鼻に侵入してくる。アイアスは独特の臭みにも顔を顰めることもなく、その独特の姿勢から動かない。

 姿勢が低くなることで、自然の音がより鮮明に届いてくる。母なる海が奏でる波の子守歌が鼓膜を揺さぶる。山から吹く葉擦れの音が実に心地よい。今なら一寸の虫の羽音さえ聞き分けられそうだった。


 どこかで、朝告げ鳥が鳴いたような気がした。

 アイアスが顔を上げた。その表情に変化はないが、心なしか晴れやかになったような気もする。


 他人が見れば、奇怪なことをしていると思われるだろう。だが彼は、そんな目を意に介さず、毎朝これを行っている。

 儀式めいたこの一連の動きは、神への祈祷でも邪神への崇拝でもない。では、日々の修行のため、精神統一を行っているのかと言われれば、そういうわけでもない。この意味も分からない動きをすること自体が、彼にとって必要なことなのだ。なぜなら、この動きは彼が思い出せる数少ない両親への記憶なのだから。


 アイアスは幼いころに両親を亡くしている。何故両親が死ぬことになったのか、どうやって死んだのか、全くと言っていいほど彼の記憶に残っていない。師匠にそのことを話したことがあるが、心の安定を保つためだ、無理に思い出さなくていい、と諭された。師匠を慕っていた幼少の彼はその言葉を素直に受け入れ、両親の死の真相を探るようなことはしなかった。

 そうしてアイアスは、楽しかった記憶も悲しかった記憶を仕舞い込み、念入りに鍵をかけてしまった。ふとした瞬間に蘇って悲しまないために。こうして残ったのが、両親が毎朝行っていた、何かに対する祈り。彼が唯一思い出すことのできる両親の姿。悲しい記憶でも、楽しい記憶でもない。だからこそ鍵をかけられなかった。どういった理由があってこの儀式めいたことをしていたかは重要ではない。同じ行動を取ることで――二人の存在と重なることで、両親との思い出を確かめることが、彼が生きていくうえで必要な精神安定剤だったのだ。


 振り返ってみると、陽が水平線よりはみ出ていた。海面が陽を反射させて、燦燦と輝いている。彼は立ち上がって、土でついてしまった膝を手で払う。

 手紙を出してから二日後、予定ではそろそろラバンがミゴの村に到着したころだ。


 師匠は無事だろうか。ラバンさんは師匠に会えただろうか。手紙は問題なく届けられただろうか。返事を待つしかないと分かっていつつも、逸る気持ちがアイアスを静かに急している。運動でも会話でも、読書でもなんでも、何かをしていないと落ち着かない。普段ならば訓練と称し、肉体を苛め抜く運動をするのだが怪我を悪化させることをするわけにはいかない。

 アイアスは深く息を吸って、勢いよく息を吐いた。呼吸を整えると、両の拳を固め、肘を脇腹の横で曲げる。ゆっくりとした動きで、右拳を突き出す。痛みは引いたものの、それでも動かすと違和感が残っている。下手に動かすと悪化したり、変な治り方をしてしまうから、極力動かさないように。サージャからすでに釘を刺されている。彼女は手当ての心得もあるようで治療をしたのも本人だと、昨日教えてもらった。


 そろそろ、サージャが起きてくるころだ。アイアスは昨日、自分がいないことを外にまで探してきた彼女の慌てっぷりを思い出す。きっと、怪我をおして旅立ったのだと勘違いしてしまったのだろう。

 その時、アイアスは例の動きをしている最中だった。その姿を見たサージャは大きく目を見開いて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まってしまった。そんなに奇怪な姿勢だったろうか。アイアスは急に恥ずかしくなって、耳を朱に染めてしまったが、その後のサージャはというと、会った時と変わらない落ち着いた態度から、杞憂だったと安堵した。


 アイアスは屋敷に戻った。扉を開けたところで起きてきたサージャと鉢合わせた。サージャは寝間着である膝にかかった黒いスカートと黒い長袖の服に灰色の肩掛けを羽織った格好で出迎える形になった。華奢な細脚が初めて顔をのぞかせ、アイアスの目が本人でも気づかないほどの間であるが、その魅惑の脚に奪われてしまった。


「また外に行かれていたんですか?」


 サージャが怪訝な表情で目を細めた。アイアスはまた運動していたことを疑われているのかと、首を横に振った。


「日課をこなしていただけです。運動はしていません」

「あれ、今日もやっていたんですか?」


 サージャが小首を傾げる。


「はい、あれは毎朝するようにしているので」


 彼の返事に、サージャは顎に手を当てて考える素振りをした。アイアスが返答を待っていると、彼女が口を開いた。


「アイアスさんって、見かけによらず信仰深いんですね」

「え?」


 アイアスは呆気にとられた。あの姿勢が信仰とどうやっても結びつかなかったからだ。言ったサージャも呆気に取られていた。彼女もその返答を予想していなかったからだ。


「だってその姿勢は、神様を信仰するときの姿勢なんですよ。もしかして、知らずにやっていたんですか?」


 彼は素直にこっくりと頷いた。


「……もし興味があれば、神話に関する本をお貸ししますよ」


 サージャが苦笑いを浮かべて提案する。アイアスは少し考えてから、「そうですね、暇があれば読んでみます」と返した。


「そうだ、朝食を用意しますね。食卓で待っててください」


 食卓は入り口から右の手前の部屋――サージャの寝室の隣にある。

 サージャは一足先に奥へと消えていく。踵を返したときに髪留めで一まとめにした白髪が揺れて、花の匂いがアイアスの鼻をくすぐる。朝から身嗜みを整えていることへの細かさに感心しつつ、彼も黒髪の寝癖を手櫛で直そうとしながら、食卓へと歩いていく。

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