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盾の用心棒と白の魔女  作者: 海藻 若芽
用心棒と白の魔女
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2話-4 島の地図

「おう、サージャ様でないか」


 老人が首をもたげた。枝垂れた綿のような髭を口が見えなくなるほど蓄えた老人――ラバンが膝にのせていた本を閉じてから二人を交互に見やると、アイアスを指さす。


「お前さん、目覚めたんかぁ!」


 店内に響き渡ったしわがれた声はその老人らしからぬ騒がしさで、アイアスはぎょっと目を剝いた。右手に挟んでいた手紙を落としそうになるが、ぐっと堪えた。その拍子に右腕に鋭利な痛みが走るが、今度は悲鳴を上げるほどの痛みではなかった。


「いやぁ、いやぁ! よかったなぁ。お前さん!」


 ラバンが立ち上がって、カウンターを激しく両手で叩く。その動きは喜んでいるようにはとても見えなかったが、破顔した表情からアイアスは感情表現が変わった人だ、と率直に思った。しかし、この老人はどうしてここまで喜んでくれるのだろう。いや、助けた人物が大事に至らなかったのだから、喜ばしいことではあるのだが、喜び方が大袈裟ではなかろうか。


「ラバンさん落ち着いて。アイアスさんも困惑しているでしょう?」


 サージャが宥めると、ラバンはスカスカの頭に手を当てた。


「いやぁちょっと興奮しすぎましたわ! はっはっは」

「もう、お年なんですからもう少し気を付けてくださいよ?」


 半ば呆れたようにサージャが注意する。ラバンは破顔したままへこへこと頭を下げた。


「それで、今日はどんな用事で?」頭を上げたラバンが顔を戻し、質問する。「そちらの兄ちゃんが目覚めたことを伝えに来たわけじゃなさそうですが」

「そうでした。手紙を一通出したいんです」


 アイアスは促されて、カウンターの前に出る。ラバンは彼を見上げ、想像以上の大きさに口をぽっかり開けて驚いた。


「これをお願いします」


 アイアスが手紙をカウンターに置く。ラバンは手紙を手に取ると、書かれた宛名を遠ざけたり近づけたりしながらじっと見つめる。それから、カウンターの下に手を突っ込んだ。


「えーっと、地図地図」


 取り出されたのはセピアに色あせた、巻物状に丸められた大判の紙。老人はそれの端を持って勢いよく広げた。


「……この島の地図ですか?」

「そうでな」


 洋墨の匂いがアイアスの鼻を突いた。

 真ん中にでこぼことした円が洋墨で、でかでかと描かれている。その周囲には、打ち付ける波を表現した記号が四方に散らばっていた。円の中心は緑の丸が塗られ、さらにそれを茶色が囲んでいるのが目を引いた。その周囲に視野を広げると、青や緑、焦げ茶色など、色とりどりの丸や三角が地図いっぱいに散りばめられている。そして、地図の上部には『神の住む島 ティーク』と書かれていた。


「今いるイッスの村がここでな」


 指さしたのは、アイアスたちのちょうど正面でちょうど島の末端にあたった。地図には村の名前はおろか、記号も何も描かれていない。他の地図を見たことがあるアイアスはそもそも村と認識されていないのではないかと訝しんだ。だが、流石にそれを指摘するわけにもいかず、口を噤んだ。


「んでだ、お前さんの宛名のところ。ミゴはこの辺り」


 指をそのまま左上に持っていき左側の中腹から少し外れた、ひと際色の濃い緑の記号が集まった場所を数回叩いた。そこには小さな文字でミゴと書かれている。


「ミゴは山間の村でな。ここから届けるとしたら、往復四日ぐらいでだなぁ」

「そんなにかかるんですか」


「そりゃあ、直線で繋げば一日で行けるだろうが、ここは見ての通り山に囲まれてるでな。どうしても一度フツっていう、この村から出て北にある町に出ないといけないんでな」


 ラバンが指で弧を描いた先に、これまた小さくフツと書いてあった。


「分かりました。ではそれでお願いします。ところで、出発はいつですか?」

「明日の早朝でなぁ。ラダクに乗っていって、二日目の昼にはミゴに着くと思うでな」


「ラダク、いるんですか」

「おう、一頭だけだでな。今も裏の庭で草むっしゃむっしゃしてるだな」


 ラダクとは、背中に大きなコブが三つの特徴がある四足歩行の動物である。黒い蹄以外をクリーム色の短毛に包んでいる。胴体から長い首の先についた顔を下ろして道草を食べる姿におとぼけた愛らしさを感じる人たちが多い。成人女性並に成長するが、大人しい性格をしていて、しかも成人男性を二人乗せても倒れることのない力持ち。実際、アイアスも何度か乗ったことがあるが、苦しそうな顔一つせず、難なく歩いてみせた。その穏やかさと強靭さから、コブの間にロープを通して、荷物運びをさせたり、ロープを巻き付けて、荷車を引かせたりなど、荷物運び用の家畜としてよく飼われている。

 現に、アイアスも商業用の積み荷の護衛した際に何度か乗ったことがあるが、呑気に草を食べていたのが記憶に新しい。


「それでは、改めてお願いします」

「はいよ。料金は二百ゴルーんだな」


 料金を支払い終えたアイアスたちは、踵を返すと店を後にした。店を出たサージャが前を行くアイアスの肩をぽんぽんと叩いた。振り返ると、彼女が上目遣いでこちらを見つめていた。その甘える子犬のような可愛らしい表情に、思わず頬を赤く染めそうになる。


「どうかされたんですか?」


 心臓の鼓動が速くなっていることを誰にも悟られないよう落ち着いた声で聞くと、彼女は口元に人差し指を当てて、左手で庭を指さした。指さした方向を見ると、一匹のラダクが家との間に組まれた柵越しに、こちらをまじまじと見つめながら、口をもっそもっそと動かしていた。アイアスは一瞬目を丸くしたが、すぐに平静になってサージャに話しかける。


「あれが、さっき言っていた?」

「そうですよ。この村のみんなのペットみたいなものです。名前はラクダって言います」


「ラクダ?」

「ラダクの、クとダを入れ替えたのと、乗って散歩できるのが、楽だ、からだそうです」


「そうなんですねー」


 なんて適当な名前の付け方なんだ、とアイアスは少し呆れた。サージャはそれが生返事であることに気づかず、ペットの頭を撫でに行く。ラダクも慣れているようで、首を朔の隙間からのっぺりと伸ばした。

 アイアスはこのラダクがどうしても可愛いとは思えず、撫でまわして無邪気に笑うサージャだけを終始眺めていた。


 サージャはひとしきり満足したのか、一息吐く。


「この後は、戻って食事にしましょうか」


 振り返ったサージャは服についてしまった毛を払いながら言う。そういえば、とアイアスは起きてから碌に何も食べていなかったことを今になって思い出した。サージャもアイアスが何も言わないので機会を逃していた。意識すると、途端に空腹感が吹き上がる火山のように噴出した。


 ぐうううぅぅぅうう!


 身体に似合った、彼の腹が地獄の底の住人のような唸り声をあげた。その音は勿論、彼自身の耳にも届いたし、サージャの耳にも、ラダクにも届いていた。

 サージャは成長期の男子を見守る母親の眼になって、彼を見つめた。一方ラダクはというと、流石にびっくりしたようで、眠り眼の目が飛び出るのではないかと見開き、ずっと動かしていた口がぴたりと止まっていた。


「先に戻りますっ!」


 何度目の赤面か、いよいよ顔の赤さが抜けなくなるのではないか。そうなったら、いよいよ彼は赤鬼だな。そんな突拍子もないことを考えながら、サージャは先に去ってしまった彼を追う。歩幅は赤鬼の彼の方が広く、サージャがどれだけ大股に歩いても追いつくことはない。それでも、行き先は一つだから急ぐことはないだろう。サージャは自分の歩幅で歩いていく。

 お互いがお互いを気にかけているようで、気にかけていない。この二人の歩幅が揃う日は、いつか来るのだろうか。


 丘を登っていく二人の背中を眠り眼に映しながら、道草を食べるラダクは二人の先行きを一匹、黙々と思案するのであった。

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