2話-3 手紙を出しに村へ
サージャはローテーブルに手紙を移動させ、飲み物を用意するために書斎を出ていった。
その間、アイアスは師匠への謝罪と懺悔、そして現状を伝える手紙をしたためた。読み返してみて、くどくどしさが鼻につく内容だったが、彼も師匠も礼儀に口うるさい人格者ではないので、そのまま出すことにした。利き手でないほうで書いたので、多少文字が崩れたが読めないわけではない。
サージャがカップをトレイに乗せて戻ってきた。トレイをローテーブルに置くと、手紙を覗き込んだ。
「手紙は書けましたか?」
「書けました。ありがとうございます」
アイアスが左手だけで紙を折ろうとしているのを見かねて、サージャが手を貸そうと、白く細い指を伸ばす。
「もう少し頼ってくださっていいんですよ?」
困り顔のサージャにアイアスは同じ顔を返した。問題ない、とどことなく言いたげな様子だったので、試しにサージャは手を引っ込めて見守ることにした。だが、やはりいうべきか綺麗に折れず、不器用な人間が頑張ったような皺がところどころに寄ってしまった。
その出来にアイアスは不満そうに八の字に眉を曲げるが、自分がやったことなので仕方がないと嘆息を漏らした。長方形の封筒に形が崩れないよう、気を付けて入れると、念入りに封をする。この一連の工程に、サージャは何も言わずに、自分が入れた花茶を自分で嗜みながら眺めていた。
「お疲れ様です。じゃあ、これを配達場に持っていきましょうか」
サージャがアイアスにトレイを差し出す。アイアスはカップを受け取ると口をつける。少しの渋みが深いコクと清涼感のある香りが喉を潤した。花茶初心者であろう彼にも飲みやすい味を選んで正解だった。頬を緩ませる彼を見て、サージャはほっと胸を撫で下ろした。
「この島の配達はどういう風になっているんですか?」
「そうですね。大陸の方では国営の配達業が一般的だと思いますが。そういえば、アイアスさんはどこから来られたんでしたっけ?」
「ワンゴ帝国です」
「あのダリビスタ大陸一の?」
アイアスたちがいるティークより海を挟んで西にあるのが、世界一の大陸とされているダリビスタ大陸である。そのうち、大小さまざまな国が数十ある中で、最大規模を持つのが、アイアスが暮らすワンゴ帝国だ。
アイアスが太い首を軽く縦に振る。
「サージャさんはどこの出身なんですか?」
「私は……この島ですよ。話が逸れちゃいましたね。この島では、国が存在しないことはご存知ですよね?」
「はい、それぐらいは」
そう、ティークには国というものが存在しない。神話でティークは神が住んでいる島とされており、それにより、神が住んでいる島を人が統治するのは傲慢、という考えが、この世界の暗黙の了解である。人々が住むのは許されているが、それはあくまで住まわせてもらっているというのが、この島に住む人たちだけでなく、この世界の人たちに浸透している考え方だ。
なお、アイアスは国が存在しない不可侵の島であるということしか知らない。以前、ティーク出身の依頼人を護衛した際に、雑談で教えてもらったのを覚えていただけである。
「なので、国が経営している配達業はありません。島内でいくつかの町には組合があるんです。大体は一つの町に数日滞在して運ぶ荷物を受け取ります。目的の町に着いたら、駐在している人に渡して、そこから個人を特定してもらうことになります。それを島一周するように繰り返すんです。この島、丸いですから、一周すれば元の村に帰ってこられるんです」
サージャは宙に真っ白な人差し指で丸を描く。その美しい爪先をアイアスは思わず目で追ってしまった。
「じゃあこの村にも、そういった人が来るんですか」
サージャはあからさまに目を泳がせて細い首を横に重く振った。
「ここは、そのですね……。町から遠すぎて来ないんですよね。だから、個人でやっているところしかないんです。しかも、年配の方で、あまり仕事は早くないです……。で、でも仕事はきっちりやってくれるので、安心してください」
サージャが無理に作った笑顔に、やはり村を出たほうが早いのではないかと、アイアスは不安に思うが、今更前言撤回するのも申し訳なく、言葉を茶と一緒に胃の中へ飲み込んだ。
「早速出しに行かれますか?」
アイアスが頷くと、サージャは頷き返した。
「じゃあ早速行きましょう」
アイアスたちは書斎を出て、中庭を横切って入り口まで歩く。サージャの屋敷を出ると、眼前の村を見渡すことができた。
前方に波風穏やかな青い海と、後方を覆う頂高い新緑の山。その山間にできた小さな村。草原の丘からゆらりゆらりと蛇行して伸びる一本の土色の道は、途中で村の外からやってきた支流の道と繋がり、本流となって村に流れていく。その脇には、不均等な感覚で建てられた茶色の屋根が点在している。その間に一棟だけ灰色に塗装されたひと際大きな屋根が見えた。
あそこは何の建物だろうか? とアイアスはその建物が目に留まった。
アイアスは道に沿って、視線を奥へとやった。港町だとサージャは言っていたが、アイアスが視認できたのは、村の端に桟橋とそのそばに建つ人一人が入れるぐらいの大きさの小屋。そして、近くに停泊する小型の船が四隻。港町という割には確かに規模が小さい。
丘を下り始める。アイアスが普段通りに歩くと、徐々にサージャが遅れてしまうので、時々、筋肉が盛り上がった脚を止めて、振り返る。サージャはその度に申し訳なさそうに小走りになるが、アイアスは服装で歩きにくいのだろうと思い、怒ったり急かしたりしないように気遣った。丘を下りきると、草を編んだ籠を背負った色黒の肌をした白髪交じりの老婆が二人を見つけて声をかけてきた。いたるところに皺の寄った老婆がのそりのそりと亀の歩みで近づいてくると、サージャが短くお辞儀をする。それにつられて、アイアスも軽くお辞儀をした。
「おやおや、サージャ様じゃないですかい~。こんにちわぁ」
老婆は曲がった腰をさらに曲げて挨拶する。うねりのある乱れた髪が少し揺れた。その話し方は間延びしていて、アイアスたちまで話す速さがゆったりしそうになる。
「こんにちは、マリさん」
「おやおや、そちらの殿方はあの人ですかい~?」
マリがアイアスに話しかける。アイアスは何のことを言われているのかさっぱり分からず、困惑する。
「えぇ、あの流れ着いた人です」とサージャが代わりに答えた。
サージャが運んだのは村の人たちだといっていたことを、彼が思い出した。この老婆には自分は運べまい。村に流れ着いた人として、噂がまわっていたのだろう。人なんてまず流れ着かないので、噂ぐらいにはなるはずだ。
「まぁ~やっぱりぃ~」
うんうんと頷いて、緩やかな動きでアイアスの手を取ろうとするマリ。アイアスが服で左手を拭いてから前に出すと、老婆はその手を握った。
「あんたぁ~無事でよかったねぇ~」
マリが皺くちゃの顔をさらに皺くちゃにして、満面の笑みを浮かべる。屈託のない笑顔に、アイアスは何も言えないまま、出来の悪い作り笑いを顔に引っ付けた。その様子を横目に見ていたサージャがマリをやんわりと窘める。
「私たち、配達屋さんのラバンさんのところに行かないといけないから、ね?」
うんうんと頷いてから、マリはゆっくりと手を離した。
「これはすまんねぇ~。気を付けていってくるんだよぉ~」
この村の狭さで気を付けることもないだろう。アイアスは思ったがおくびに出さず、軽く首を縦に振って返事をした。お互いお辞儀をしてマリと別れる。そのまま進んでいくと、灰色の屋根の建物の間前までやってきた。
「ここの建物だけ灰色なんですね」アイアスは丘で見つけた疑問をサージャに尋ねる。「ここは何の建物ですか?」
「ここは、村の集会を行う場所です」とサージャが答えた。「元々は、神様に祈りをささげるための場所だったのですが、今では村の集会代わりに使われています」
「集会?」
「まぁ、漁が大漁だったり。たまに来る行商人の方が売ってくれるお酒のパロットが手に入ったりすると、ここにみんな集まってパーティするんです」
サージャが笑顔でそう言う。
「アイアスさんがこの村を出るときは、ここでお別れ会をしましょうね」
その朗らかな笑顔に、アイアスも顔を崩しそうになって、慌てて口元を左手で覆い隠した。
元教会を横切り、二軒隣の、看板が立てつけられている建物についた。アイアスが看板に書かれた文字を読んでみる。木製の看板は虫食いで欠けているが、「ラバン配達所」と読めた。
「ラバンさん、いますか?」
サージャはノックもなしに店の扉を開けた。アイアスがそれに続いて中に入る。前を歩くサージャの髪からあの甘い匂いがほのかに香ってきた。
店内は、左右の二つの窓と天井から吊るされた円柱型の透明な器からの灯りである程度の光源が保たれていて、外よりも少しくらいぐらいだった。器の中では光源である木片に灯された火がその身を不規則に揺らしている。
広さは特別狭いというわけではないが、長身かつ常人離れした筋骨をしているアイアスは頭上に注意しないといけなく、手狭に感じられた。
店の奥はカウンターになっていた。そこには椅子に座って、黙々と読書をする禿げ頭の老人の姿があった。