8話-1 出発の朝
新しい朝が来た。
アイアスはいつもの時間に起きて、いつも通りに外へ出る。朝日の光がいつも通りに出迎える。その朝日に彼は目を細めた。
明日、アイアスたちはこの村を出る。
村人たちへの挨拶を終えた後、村人たちはそれこそ蜘蛛の子を散らすように出ていった。そこからの騒がしさは普段のゆっくりとした村からは想像できない。慣れなのか使命感なのか、老人とは思えぬ素早さでお別れの会の準備を進めている。来ていなかった村人への声掛けや料理の下ごしらえ、教会の飾りつけなど、誰が指揮するわけでもないが、長く付き合ってきた村人たちは言葉を交わさずとも理解しているようだった。アイアスはきびきびと動く村人たちを見ながら感心した。
アイアスも屋敷に戻る前に教会の飾りつけを手伝った。アイアスが初めて入った時は気づかなかったが、椅子は留め具がついていて取り外しが可能だったのだ。だが、老体には四人掛けの椅子を運ぶのはなかなかに難しく、筋肉担当のアイアスが大変重宝されたのは言うまでもない。
アイアスは屋敷に戻ると旅の準備を始めた。とはいっても、準備できるものは限られている。装備品で回収できていたのは防具と大盾だけで、他の私物は海の底に沈んでしまっているからだ。アイアスは夕食後の装備品の点検――主に留め具に支障がないことの確認――を終えると手持ち無沙汰になってしまった。寝てしまってもいいが、このまま彼女一人だけに準備させるのも忍びない。アイアスはサージャを手伝おうと彼女の部屋を訪れる。
アイアスが彼女の部屋のドアをノックする。しかし、反応がない。確か戻ってきたとき、玄関にはサージャの靴は置いてあったはずだ。耳を澄ませると、微かに物音が聞こえてくる。アイアスは少し悩んでから、一声断ってドアをそっと開けた。
サージャの様子を窺ってみると、クローゼットから取り出した服や下着やらをベッドにひっくり返されていた。当のサージャは腰に手を当てて、うんうんと唸っている。そして、傍らには空っぽの肩掛け鞄が口を開けていた。アイアスはそっとドアを閉めた。
長い旅になる。加えて、サージャにとっては死出の旅になる。ここに戻ってくることはないと考えれば持っていきたいものは多いはずだ。だが、あれもこれもと大荷物では動きが悪くなる。大型の荷車があればそれを借りていくのだが、そんなものはこの村にはない。他のもっと大きい村や町に行けばあるかもしれないが、まずそこまでに運ぶ手立てがない。一つの鞄に収めてくれるのが一番いいのだが……。予定通りに出発できるといいが、とアイアスは短く切り揃えられた黒髪をぽりぽりと掻きながら床に就いた。
サージャとはまだ会っていない。今日の夜からは宴の予定だから、準備が出来るのは夕方までになるが……朝食のときに進捗をそれとなく聞いてみるしかあるまい。予定を一日ずらすわけにもいかないが、彼女を置いていくのは本末転倒だ。
アイアスは立ち上がって、朝日から目を背け、腰に手を当てると大きく背中を伸ばす。姿勢を戻すとアイアスは村を一望する。
朝日に照らされる村は、昨日の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
「ん?」
アイアスがそろそろ屋敷に戻ろうと踵を返そうとした。だが、その直前に視界の隅に映ったものが気になって、また村に振り返った。
視界の端に捉えたのは赤髪の老人。教会でアイアスをひたすらに睨みつけていた老人だった。その老人は周囲を警戒した様子で頭を振ると何かを抱えて教会の裏に消えていったのだ。アイアスには、それがなにかを視認するには遠すぎて、何か棒状の物を運んでいる事しか分からなかった。教会の裏手に何故そんなものを運び入れているのか訝しんだが、それもお別れの会で使うのだろうと、思い直すと、再び屋敷に踵を返した。
「あ、おかえりなさい」
アイアスが戻ると乳白色の裾長のワンピースをきたサージャは朝食の準備を始めていた。
「ただいま戻りました」
アイアスは返事をして席に着く。サージャは魚を焼いているようで、潮の香りと煙が漂ってくる。アイアスがそれを眺めると、いつもは綺麗にまとめられている白髪が、ところどころ跳ねているのが目に入った。
「今日は髪を整えられなかったんですか?」
指摘されたサージャは少し恥ずかしそうにしながら髪を束ねていた黒い紐を押さえる。
「これですか。実は今日、起きるのが少し遅れちゃって」
「準備、そんなに遅くまでかかったんですか?」
サージャは目を逸らすように魚を焼く火に気を向ける。
「実はまだ終わってなくて……」
「えぇ?」
呆れと驚きの混じった声が漏れてしまい、取り繕うように開いたままの口に手を当てた。アイアスが、すみません、と口を押えたまま一言謝る。
「中々持っていく物が決まらなくて」
「あの今日中には終わりそうですか?」
「ま、間に合わせます。大丈夫です」
サージャは焼きあがった魚を取り分けると皿に盛りつける。アイアスは食器を迷わせながらも、その魚を受け取ると不安と魚の身を一緒に飲み込むしかなかった。小骨があったのか少し飲み込みにくかったが何とか胃まで送ることが出来た。
「村の様子はどうでしたか?」
サージャは口元にほぐした身を運びながら、村の方に顔を向ける。
「昨日は準備を手伝いましたが順調ですよ」
アイアスが身を飲み込んでから答える。
「あ、いえ、そういうことじゃなくて」
サージャがサッパリと否定する。アイアスは、何を聞きたいのかと考えたのち、ああとなって食器をテーブルに置く。
「皆さん、あまり気にしていないというか。受け入れてくれているように見えました」
「そうですか。……それは良かったです」
目を合わせずに応えるサージャにアイアスは何も言わなかった。
朝食を食べ終えると、アイアスは村へ、サージャは荷造りへと戻る。荷造りを手伝わなくていいのかと尋ねるアイアスに、サージャは大丈夫ですから、の一点張りで押し返されてしまった。なくなく、アイアスは教会へ手伝いに向かうことにしたのだ。
アイアスが村へと続く丘の道を歩いている最中に、三人の村人たちが教会の前に集まって話しこんでいるのが見えた。何かあったのかと思ったアイアスは声を掛けようと早足で下っていく。
「それで、あっちの準備の方はどうなんだ」
近づいていくと、話している内容がアイアスの耳にも届いてくる。あっちの準備という言葉にアイアスは脚を止めた。彼らを怪しがっているわけではない。彼らが自分たちには内緒でサプライズを計画しているのではないか、と思ったからだ。ここで聞いてしまっては、村人たちの計画が台無しである。
アイアスは咄嗟に民家の物陰に隠れると、こっそり聞き耳を立てた。
話をしていたのは、今朝見かけた赤髪の男性の老人と口髭を胸まで蓄えた男性の老人、そして、アイアスを山菜取りに誘ったマリだった。
アイアスに気づかず、三人は話を続ける。
「本当にやるんですかい?」
恐る恐るといったふうに口髭の老人が尋ねる。
「当たり前だろう。このままでいいわけがない」
赤髪の老人喉が焼けた声で答える。
「でも、サージャ様がどう思うか」
マリが胸の前で皺の寄った手を組み、不安を口にする。
「サージャ様がどう思うかじゃない。私たちがどうしたいかが重要なのだ。分かるだろう?」
語気を強めた赤髪の老人に他の二人は委縮し、何も言えなくなってしまった。その様子に、アイアスは何も言わずに隠れたままだった。予想と違って和やかな雰囲気ではない。
村人たちには、サージャが村を出ていくことに、まだ不満を持っているものがいる。彼らが何をするつもりなのかは分からないが、今まで彼女を慕ってきた人たちだ。行き過ぎたことは決してしない、はずだ。
アイアスは三人がその場を離れるのを待って教会に入ると、夕方になるまで宴会の準備に手を貸した。その間、入れ替わり立ち替わりに村人たちが教会での準備に参加していく。そのたびに、アイアスは悟られないように注意しながら、村人たちの動向に気を配る。彼らを疑いたくはないが、用心棒としての性分がそれを許さない。
どうか、無茶だけはしないでほしい。アイアスはそう願いながら手を動かし続けた。




