7話-2 サージャからの依頼
磨いている途中でアイアスが屋敷に戻ってきた。
サージャはそれを匂いで感知すると、玄関先で出迎える。扉を開けたアイアスは彼女を呼ぶ前からいると思っていなかったので、少し驚いた。いつもより大きく目を開いたアイアスのごつごつとした手には一通の茶色い封筒が握られていた。サージャが、「おかえりなさいませ」と言いながら口が破かれた封筒に視線を落とす。待ちきれずに帰ってくる道中で読みながら歩いている姿が容易に想像出来て、苦笑いを浮かべそうになる。アイアスは「ただいま戻りました」と軽く会釈する。
「返事はどうでしたか?」
サージャはその場から動かずに聞いた。アイアスは一度相槌を打って、封筒から手紙を抜き出すと、彼女が見やすいように手紙を広げた。
「師匠からは怪我が治り次第至急来てほしいとのことでした。それまではこちらで何とかする、と」
サージャは返信を黙読してから、純白の睫毛を閉じ合わせる。アイアスが口を開こうとするが、彼女から出された、人差し指に止められてしまった。
サージャは黙々と今後のことを考える。この世界のことや他の魔女たちのこと。村の住人や、彼のこと。長々と考えなくても、全てはもう決まっていたのかもしれない。私はやらなければいけないことをやる。サージャが透き通った水色の瞳で、彼を見つめると、自分の顔が彼の灰色の瞳に映し出されていた。
「何を考えているんですか?」
「いつ、出発されるおつもりですか?」
アイアスの質問を無視して、逆にサージャが質問を投げかける。アイアスは顔色を変えずに予定を教える。
「怪我は順調に治ってきているので、予定通りに2日後の朝一には発ちます。装備品を揃えないといけないですから」
「そうですか」
サージャはアイアスの方を向いたまま、一歩後ずさりした。数本の髪が肩をするりと抜けていく。
「アイアスさん、以前お礼をするって言っていましたよね?」
そういえばそんなことを言ったな。思い出すと当時は焦って何が何でも師匠の元へたどり着こうと躍起になっていた。あれは去るためのあの場限りの言い訳だった気もするが、一宿一飯どころがもう何日もお世話になっている。膨れた大きな恩を返さないわけにはいかないだろう。返せるなら返しておいたほうがいい。アイアスは胸をどかっと叩いて頷いた。
「じゃあ、一つお願いを聞いてもらえませんか?」
「なんでしょうか」
「私も同行させてください」
そういってサージャは腰を直角に曲げてお辞儀をする。長い銀の髪の毛が背中から垂れ下がっていく。
アイアスは固い唇を真一文字に結んだ。師匠と同じく命の恩人の頼みである。ならば応えるべきなのだが、危険なことに巻き込むわけにはいかない。
「旅をしたいんですか? それなら、師匠の頼みが終わってからでも――」
「ごめんなさい。あなたの言いたいことは十分理解しているつもりです。ですが、私にはもう時間がないんです」
必死を含んだ言葉がアイアスの言葉に覆いかぶさった。サージャは依然として顔を上げようとしない。自分が首を縦に振るまでこの場を動かないつもりだ、とアイアスは悟った。しかし、このままおいそれと首を縦に振ることは出来ない。何か事情があるのなら話を聞かせてほしい。もしかしたら何かいい解決策が浮かぶかもしれない。
「時間がないとは、どういうことですか?」
サージャが顔を上げる。その瞳は今にも泣きそうで潤んでいた。アイアスは思わず、うっとたじろいた。どうしたら涙を拭えるのかと腕をあれやこれやと動かすが、虚空を迷っているだけである。サージャが手の甲で目を拭って、雫を籠った目で相手を見つめる。
「詳しいことを話すと長くなるのですが。もうすぐ、私は死んでしまうんです」
青天の霹靂ともいえる衝撃がアイアスを駆け巡った。
彼女が死ぬ? 悪い冗談だと引きつった笑みを作るが、乾いた笑い声は上がらない。彼女は潤んだ瞳を自分から離さない。アイアスから笑顔が消えて、餌をねだる鯉のように乾いた口をパクパクさせる。
「詳しいことをお話しします。ついてきてください」
サージャはアイアスに背中を見せて書斎の方へと歩いていく。アイアスは香る花の匂いに誘われる虫のようについていく。
サージャは書斎の本棚から一冊の本を引き出した。黒い装丁が施されたその本はアイアスも読んだことがある『神が住む島』。彼女はとある頁を開いてみせる。アイアスは差し出された本を躊躇いながら受け取って、喉をごくりと鳴らす。
「ここに描かれている白の魔女の絵はもう見ましたよね」
アイアスは返事が出来ず、首を縦にも横にも振れなかった。だが、本の絵のことはしっかりと思い出していた。彼女と見間違えた、瓜二つの白の魔女。彼女から詳しい話をするために差し出された本。アイアスにも彼女の言わんとすることを察することが出来た。だがしかし、それは易々と鵜吞みにできるものではない。そう分かっていても、彼女の真剣な瞳に心が引き込まれていく。その瞳にはいつの間にか涙は残っていなかった。
今から話すことは全て本当のことだ、そう思わせる、そう思わせられる凄みが頬を撫でる。今は黙って、一言一句聞き逃さないように、全てを受け入れる覚悟で聞くべきだ。彼女の話だからこそ、全てを聞くべきなのだ。アイアスは手のひらを見せて、サージャの話を促す。
「私は、この絵に載っている白の魔女だ。なんて言っても信じてもらえませんよね。でも本当のことなんです。私がこの本に載っている白の魔女です。
そんな私がどうしてこんなところにいるのかって顔をしていますね。詳しいことは省きますが、色々あってこの村に流れ着いたんです。そうです、色々あって。
……聞かないんですね。いえ、ありがとうございます。
私がどうして死ぬか、ですか。お告げがあったからです。はい、勿論神様からです。アイアスさんには馴染みが薄いとは思いますが、ちゃんといるんですよ。
何故死ぬか? 役目を終えたからです。私たち魔女はご存知の通り、人の成長を導くことを目的として造り出されました。役目を終えたから、神様の御許に還ります。私だけじゃありません。他の四人も神の御許に還ることになっています。
最初は戸惑いましたが、受け入れていますよ。もう十分すぎるぐらいにこの世界を堪能させていただきましたから。寂しいかどうかと聞かれたら、寂しいですよ。この村の人たちともまだ一緒にいたいです。でもお告げ通り、私はもうすぐ死ぬでしょう。
それで本題ですが、死ぬ前に一つだけやっておきたいことがあって。花畑が見たいんです。庭にある花畑じゃなくて、この島の中心にある花畑があるんです。そう、その本にも載っていた、私たちが最初に降り立った場所。その花畑を、死ぬ前にもう一度だけ。
私たちにとってあの場所は、初めて足を付けた思い出の場所です。世界中の花が共存する特別なところです。凄く綺麗で、あの場所で眠るように一生を終えたい、と思っています。それが、この村からまっすぐに行ってもその場所にはたどり着けません。神聖な場所として、神様の施しがかかっています。決まった道筋と通らないと行くことが出来ないようになっています。このことは少なくとも私たち魔女と神様ぐらいしか知りません。それほどまでに私たちにとって大切な場所だからです。
私が話したことですし、大丈夫ですよ。色々話が逸れちゃいましたね。私がアイアスさん、あなたに頼みたいことは、花畑までの護衛をお願いします。一人で行くこともできますが、最近は物騒なので万が一ということもあります。そこであなたです。用心棒として、私に雇われてくれませんか。報酬はちゃんとご用意いたします。どうか、どうかよろしくお願いします」




