7話-1 師匠からの手紙
アイアスがブロブロを撃破した次の日のこと。
アイアスは朝からそわそわしていた。いつもより早く起き、いつもより早く日課を済ませる。朝日が昇るのを横目に、村の唯一の入り口をじっと見つめては、屋敷の玄関の前をうろうろと歩き回っている。
サージャが起きてきて、朝食の準備を始める。在庫を眺めてから、今朝はハンを作ることにした。
村で採れた数種類の穀物をすり潰して、粉末状にすると、水と一緒に捏ねる。円形にまとめると両面に焼き目がつくまで火を通す。こんがり焼けてくると香ばしい匂いが食欲をそそってくる。
サージャが焼きあがったハンを陶器の皿に載せる。あとは、副菜としてキューの乳を煮たスープを用意すれば完成だ。かけてあった布巾で手を拭くと、部屋を出た。日課から戻ってこないアイアスを呼びに行くのだ。
昨日ことは屋敷に帰ると、サージャが落ち着くのを待ってから、アイアスが謝った。アイアスとしては、どうして彼女があそこまで湧き出るように声を荒げたのか掴めていなかった。だが、マリたちに言われた通り心配させてしまったことは事実だったので、まずは自分から頭を下げることにした。
サージャは彼の頭頂部をじっと見つめる。
昨日見た夢を思い出す。彼と一緒に他の子たちを殺す。そうすれば、あの人は力を取り戻していく。そして、世界は救われるのだ。そうなれば、彼はさながら世界を救済した英雄となるだろう。それを吹聴しても信じる人などいないだろうし、特別な報酬と言っても、私の私財を彼に譲るぐらいのことしかできない。
しかし、それは彼の望むところなのだろうか。彼がここに来た目的は、師匠を助けるためであって、世界を救うことでも私の願いを叶えてもらうことでもない。神が拾い上げた命とはいえ、そんな彼を巻き込んでしまっていいのだろうか。頭の真ん中をじっと見つめるが、答えは出ない。
不意に、アイアスが顔を上げた。目と目が合う。サージャは独り気まずくなってしまって、目を逸らした。
「こちらこそすみません」
場の雰囲気が悪くなる前にサージャが浅く腰を折る。アイアスは奥歯にものが引っ掛かった不自然さを身に覚えるが、深追いすることはせず、この話題は終わりとなった。
だから、サージャとすれば顔を合わせるはまだ気まずさが残っている。かといって、食事に呼ばないわけにもいかない。顔を突き合わせなければならないのが、何とも複雑な気持ちを腹の底に溜まって、胃もたれしそうだった。
玄関先に出ると、すでに儀式を終えたのだろうアイアスが村の入り口を注視しているのが目に入った。その横顔の頬が僅かに緩んでいるのが見て取れて、彼が期待をやきもきさせているのが分かった。サージャが声をかけると、彼が振り返る。その顔は硬い。いや、硬くさせようとしていた。
「あぁ、すみません」とアイアスは一言謝って、サージャと屋敷に戻る。
サージャはアイアスが意外に呑気にしていることに、ほっと胸を撫で下ろす。
アイアスは朝食の準備をしているサージャを、ちらちらと玄関へ目を向けている。その子供のように落ち着きのない様子はサージャの気を十分に引いた。
「どうかしたされたんですか?」
見かねたサージャがハンをちぎっていた指を止めて質問する。どこか抜けた顔でハンを頬張っていたアイアスは口をもごもごさせて、口の中の物を飲み込んでから、サージャと目を合わせる。
「いや、今日だな、と思いまして」
アイアスは食道に突っかかる朝食に言葉を詰まらせながら答える。だが、その返答の心当たりがない。サージャはあからさまに首を傾げた。アイアスが言葉足らずだった返答を補足する。
「今日、返答の手紙が届く予定ですから」
それで、サージャは合点がいった顔に変わった。昨日の事件で頭の片隅へ追いやられていたが、予定通りであれば、今日はラバンが帰ってくる日だ。彼は今朝からそわそわしていた理由がはっきりして、すっきりした気分になった。
朝食を食べ終えて、アイアスは身嗜みを整えると、すぐに外出する。せかせかと廊下を歩いていく彼をサージャは黙って見送った。玄関が閉まる音を聞いてから、客室の隣にある部屋に足を向ける。
この部屋にはまだアイアスが入ったことがない。部屋はこの屋敷で唯一窓がなかった。光源がない暗闇の扉を開くと、人影が日時計の針のように伸びていく。中は密閉されているはずなのに、どこからともなく発生する埃がうっすらと溜まっている。
長方形の木箱は整頓されて部屋の端に段々と積まれていた。その横には予備の風呂桶が裏返して置いてあった。奥には花たちの手入れのための肥料と道具を保管しておくための巨大な棚がこの部屋の主だと鎮座している。
その手前には、岩石をくり抜いたような重厚な鎧と、サージャよりも大きい盾が置いてあった。
サージャがこの鎧を拾ったのは、アイアスを助けた日である。流れ着いたこれを、もしかするとこの大男の装備かもしれないと思ったのだ。とてもではないが、彼女だけでは運びきれないので、村人たちと一緒に運び込んだ。
サージャは装備の中から籠手を選んで持ち上げる。籠手はずっしりとした重さで、持って歩くのがやっとだ。これを身に着けて満足に行動できる人物はそういないだろう。
錆にはなっていないだろうかと籠手を入念に回して見るが、入り口からの光が直接届かないここでは判別できなかった。彼が戻ってくるまで、磨いておこう。サージャは扉を全開にして、鎧を入り口まで引き寄せる。明るみに出て気づく。拾った時は拭ったぐらいだったので、よく見ていなかったがこの鎧、錆どころか汚れ一つついていないのだ。金属特有のくすんだ鎧に顔が鈍く映る。サージャには分からないが、特殊な加工でもされているのかもしれない。
返すものなのだから、せめて磨くだけ磨いておこう。サージャは取ってきた布巾で鎧を磨いていく。磨き終わるころには心なしか映る顔の輝きが増した気がした。




