6話-1 夢
そこは白い空間だった。
サージャが目を覚ますと、ここは夢であると理解した。夢から醒めたはずなのに夢を見ているという、ふわふわとしたおかしな感覚であったが、しっかりとした納得感が胸にすとんと落ちてきた。寝転んでいた身体を起こす。まるで透明な床に立っているようだった。
サージャは、ぺたり、ぺたりと切り揃えられた白い爪の足で足元を確かめながら見回してみたが、サージャ以外の物は存在しないことが、夢であることを強調しているようだった。こんな夢を見るのは初めてだった。しかし、この空間の端がどこなのかも心当たりがなく、彷徨うだけになってしまっている。
「サージャよ、サージャよ」
唐突に、自分を呼ぶ声がどこからか響いた。もう現実に戻れるまでぶらぶらしていこうと決断していたサージャは思わず、はっと息を飲んだ。だがこれは声を掛けられたからではない。生まれてから何度も聞いた、けれども久しく聞けなかった、死ぬまで二度と聞くことがないと思っていた声だったからだ。
二度と会えないと諦めていた相手がこの場にいるのか。夢でもいい。せめて一目、姿だけでも見せてほしい。サージャは必死になって何もない空間にその者の影を探すが、一向に見つけられない。
「わが父! ここにいるのですか!?」
魔女たるサージャは自分を生み出した父――神に呼び掛ける。
幻聴でも聞いたのだろうか、とサージャは自分を疑いたくなった。その声に待ち焦がれて、ずっと待ち焦がれていた私は、とうとう夢にすら求めるほどに狂ってしまったのか。もし狂ってしまったのなら、都合よく幻に浸らせてほしかった。
サージャは胸元をきゅっと握って、次の言葉を座して待つ。
「サージャよ。私の愛しき子、サージャよ。返事をしておくれ」
やっぱりだ、頭に直接響くこの音吐はあの方だ。幻聴ではない。服が皺くちゃになるほど手に力を込める。意識せずとも瞳から流れ出た涙は頬を伝い、顎へと流れ落ちていく。
「あぁ、わが父。私は、ここです。サージャは、ここにいます」
サージャは流れる涙を拭いもせず、自分の存在を示す。しかし、感動で呂律がうまく回らず、途切れ途切れの不細工な返事になってしまった。その場でぐるぐると回って、声の主を探す。その必死さと焦燥感は普段の平静な様子からは想像もできなかった。
サージャの思いには一向に応えず、相手は姿を見せない。どうして、どうして姿を見せてくれないのですか。私のことをお見捨てになったのですか! サージャの悲痛な慟哭が、終わりのない空間へと虚しくこだましていく。
憐みの声が、空間から返ってくる。
「あぁ、すまないサージャよ。私は今、自分を形作ることすら出来ないのだ」
サージャは絶句した。まさか、存在が消えていないまでも、形作ることすら出来ないほどに衰えているとは思いもしなかった。このまま何もしなければ、この方はもうすぐ本当に存在すら消えてしまうのだろう。この方が存在しなくなれば、世界はどうなってしまうのか。
涙がぴたりと止まり、サージャの顔が悲しみから絶望へと塗り替えられる。その先の未来が容易に想像がついたからだ。
神がいなくなる。それは世界の終わりと同義。イッスの村も、その村に住む人々も。きっとこの島だけに留まらない。この世界のすべてのものが失われる。あの花畑も一つ残らずなくなってしまう。それだけは何があっても嫌だ。
空間は返答を待たず、もしくはサージャが絶句していることが見えているのか、話を再開する。
「だが、案ずるでない。まだ、希望はあるのだ」
「え……それは、どういうことですか?」
濁り始めていた水色の瞳が僅かに光を取り戻す。サージャの返答は早く、その場に相手がいれば詰め寄っていたことだろう。
「他の子たちは駄目だった。誰も話を聞いてくれなかった」
質問には応じずに、神は憐みの言葉を吐く。言葉だけ聞けば、悲しんでいるように聞こえるが、声は無機質で感情が一切籠っていないようにも思えた。サージャが他の子たちのことを思い出す。あの事以来、会うどころか、一切の連絡すらしなくなった子たちだが、あの方の口ぶりから生きていることは察せられた。全員の仲が良かったとは思っていない。だが、血を分けたことなのも間違いではない。心の隅で気には留めていたのは、サージャだけの秘密である。
空間の声が続ける。
「サージャよ、私の愛しい子、サージャよ」
「はい、はい。なんでしょうか」
「お前にしか頼めないことがある」
はい、とサージャが答える。
「私は、お前を含めた子たちに力を与えた。その力は私の一部を分けて与えた物だ」
はい、とサージャがまた答える。そのことを知っているのは彼女だけではない。他の子たちも、生まれた時にあの方から教えていただいたことの一つだ。
「その力、お前たちに与えた力を、私に返して欲しい。そうすれば、私はその力を持って、どうにか世界を残すことが出来る」
サージャにとっては願ってもない申出であった。彼女にとって、あの方から与えられた魔女としての能力は決して好ましいものではなかった。あの方に与えられたもので、唯一なくなってしまってもいいとさえ思えた。
「返します。返しますとも。どのようにすれば返せるのですか!」
サージャの言葉に溶け込んでいく。だが、神は想像とは違う言葉を返してきた。
「よろしい、サージャよ。ならば、他の子たちを全員殺し、お前も死んでくれ」
「え」