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盾の用心棒と白の魔女  作者: 海藻 若芽
用心棒と白の魔女
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5話-3 獣との激闘

 アイアスには、ブロブロが大牙を突き立てることを狙っているのは明白だった。ならば、それを逆手に取らない手はない。あの獣が仕掛けてくるように誘導してやればいい。

 ブロブロが頭を振って、視界がぶれる一瞬を突いて、大牙から手を離すと左へと身を屈ませる。相手の視界から外れることで、まるで消えたような錯覚をさせる。本来であれば、この技は体格が小さくすばしっこい者がよく使うためであると、師匠から教えられていた。だが、この大男は見掛けによらず、俊敏で柔軟なのである。


 避けたアイアスが死角から仕掛ける。探し回っている目に、低くなった体勢を戻すのに合わせて、右拳をほぼ真下から振り上げる。牙との間を縫って、拳が目玉に強烈な一撃を刺しいれる。どれだけ剛毛が硬くても、急所は例外だ。ブロブロは咄嗟に瞼を閉じたが、薄い皮で受け止め切れるほど、その拳は鈍くない。ぎょろりと開いた目が血の涙を垂れ流す。

 急所への攻撃が入った程度で、手を緩めるわけにはいかない。この密着した状態は獣には不利。今度は左に振って、こちらを遠ざけようとするはずだ。振りぬかれると、吹き飛ばされるのは自分だ。カウンターでもう一度目を狙うのは危険だ。それならば、振りぬく前に怯ませる。


 アイアスは振りあがった大牙に腕を絡ませると、身体を隙間なく密着させた。こめかみに尖った先端が迫っているが構うことはない。ブロブロが引きはがそうと暴れる前に、獣の下顎に痛烈な膝蹴りをお見舞いする。先端がこめかみを掠めた。

 受けたことのない衝撃が脳を揺らした。野生動物が顎を狙って攻撃することはない。人間たちはまずここまで密着など出来るまでに絶命させられている。二重の混乱がブロブロを怯ませるきっかけになったのだ。


 これ以上何かをさせるつもりはない。ここから死ぬまで畳みかける。

 後ろに倒れるようにして腕を解く。馬鹿め、油断したか、とブロブロは思い込んだ。幸い、少しでも牙を上げることさえできればこめかみを突くことが出来る。反撃の狼煙を上げようと顔を下げた。


 しかし、それは間違いだった。

 左手が下がってきた大牙を鷲掴みにする。めきめきと牙が声を上げた。合わせて右手で獣の脚をがちりと、捕まえた。剛毛と手袋がいいすべり止めになった。下手を取られたことにブロブロは慌てて大牙を叩きつけようとする。だが、大牙を動かすことは出来ない。


「うおおぉぉ……!!」


 アイアスが声を上げる。剛腕が隆起し、地割れのごとく血管が浮き彫りになっていく。

 ブロブロの意思に反して、大牙は徐々に持ち上げられていく。振り払おうと顔を振りかぶろうとするが動かず、突進で押し倒そうとしても動かない。まさか、人間に止められるどこか力負けしている!? と、ブロブロは更に慌てた。だが、慌てたところで状況は一切好転しない。それどこか、徐々にもたげられる頭、今にも地面から離れそうな右の蹄。その先にあるものを、想像できないほど馬鹿ではない。何とかしてこの状況を脱するべきだ。そう頭では分かっていても身体は言うことを聞かない。闇雲に後ろ足で地団駄を踏むが、拘束は一向に外れなかった。それどころか、暴れたことによって崩れた道に足を取られ、体勢を崩しそうになる。


 勿論、それを用心棒は見逃さない。アイアスは立ち上がるのに合わせて右手を力いっぱいに引き寄せた。踏ん張ることのできないブロブロが無様にドタバタと足音を鳴らす。

 横についたアイアスは剛脚を唸らせて、すかさずブロブロの腹――どこが腹か判別できないほどに真ん丸としているが――足蹴りした。一度目は掌底打ちと同じように攻撃が吸収されてしまったが、二度目、三度目と蹴り込むと衝撃が肉と骨に伝わり、ビキ、と嫌な音がブロブロの体内で響いた。


 もう一度か。アイアスは大きく足を振りかぶってから渾身の一撃を叩き込む。


「ブ!」


 骨が折れた嫌な音と短いブロブロの悲鳴が上がった。アイアスの耳にも、その音は届いていた。

 アイアスが鼻を鳴らす。ここで取り逃がすわけにはいかない。こいつはまだ生気が残っている。万が一取り逃がすようなことがあれば、傷を癒して、また山を荒らすはずだ。それでは、マリが安心して山菜取りに出向くことが出来なくなってしまう。この獣はここで殺す。


 ブロブロはアイアスと出会うまでに戦ってきた人間は全員、力で捻じ伏せてきた。単純に力で上回っていたからだ。そもそも重量だけならば、彼以上の肉だるまに対して力で圧倒することなど、並大抵の戦士、いや、百戦錬磨の豪傑でさえできる者は少ない。だからこそ、ブロブロは心のどこかで驕っていた。人間は自分より力が弱く、自分の誇りの礎になるだけの存在であると勘違いしたのだ。この時初めて、この目の前の人間、アイアスに対して恐怖心を芽生えさせたのだ。

 一抹の恐怖は加速度的に膨れ上がり、ブロブロの全身をカビのように侵していく。


 このままでは死ぬ。死んでしまう。死ぬ? 人間に殺される。矮小だと軽んじていた人間に。この自分が? そんなこと、あってなるものか。そうなれば、自分の誇りが、牙とともに死んでしまう! そう! あってはならないのだ! あってはならないのだ!


「ぶろっ! ぶろろおおおぉ!」


 ブロブロはまさに死に物狂いの力で身体を振り回す。身体の中で骨が折れ、肉が裂ける音が体内で響くが、このまま死ぬことに比べれば些細なことだった。

 文字通り必死の抵抗を受けたアイアスは掴んでいた牙を手放した。ブロブロは向き直るため、後ずさりしようとする。


 しかし、これも罠だった。通り過ぎようとする顔面に向かって、肘を曲げて鼻先をてっぺんから殴りつけた。ブロブロはたじろぎ、鼻血を流しながらたたらを踏む。アイアスとしては牙を折りたいと思っていたが、引っ張り上げる時に感じ取った強度はとてもじゃないが腕力だけで折れそうなものではなかった。最適な方法が取れず、歯がゆさにもどかしさを受けるアイアスだったが、顔には微塵も出さず、その内心に反して、薄ら笑みを浮かべるように心掛けた。少しでもマリが安心するようにと余裕があるよう見せているが、当のマリは状況にすっかりと怯えてしまい、俯いてしまっている。

 立ち位置を整えたブロブロはその大男を見つめた。ブロブロはこの大男をどうしたら逃げられるか考える。しかし、今まで本能と体格だけで殺し、殺すことだけを考えてきた獣に、逃げる術など即座に思いつくはずがない。本当は、何の策もなく、ただ焦りと恐怖で尻尾を巻いて逃げ出したかった。だが、それを培ってきた誇りが邪魔をする。ブロブロには、この脇道のない獣道のように、前進するか後退するか、その二択が迫られていた。


 アイアスは戦いの終わりが近いことを経験から見出していた。後ずさりしたということは、こちらに力任せの攻撃は通用しないことを感じ取っている。しかし、野生生物であるブロブロが高度な作戦を建てられるとは思えない。ならば、前進か後退かの二択。あのブロブロならと、アイアスは獣の次の行動を読み解いていく。おおよその予想を付けると、腰を落とし、両手を前に突き出す構えをした。

 それはブロブロへの宣戦布告。お前の突進を、正面から受け切ってみせる。言葉にせずとも、態度と臭いがそれを物語っていた。


 これを見たブロブロの何かが切れた。あの大男は再び自分の突進を受け止める気でいる。ならば、全身全霊の力で押しつぶしてやればいい。ブロブロはゆっくりと後ずさりをして距離を取る。アイアスはそれを静かに見つめていた。

 ブロブロが獣道を駆ける。骨が軋む。折れた骨が肉に刺さる。だが、真正面にいる大男を殺せるなら、もはやどうでもいいことだ。黒き砲弾は更に速度を上げた。そのことにブロブロ自身も気づいていない。ブロブロの頭は目の前の大男を殺すことだけしか考えていなかった。


 ズドン! という森一帯に響き渡ったのではないかと思わせるほどに轟音が爆ぜた。

 それが人一人と獣一匹が衝突した音だということを誰が想像できただろうか。


 アイアスは衝突する瞬間、逃げも避けもせず、正々堂々真正面から受け止めた。その衝撃に一瞬意識を揺らいだが、支障はない。受け止めることには成功した。


「ぶろぉ!」

「……うおぉおぉぉおお!」


 アイアスは左右の大牙を掴むと、真上に勢いよく吊り上げる。膨れ上がった筋肉を軋ませながらブロブロの巨体を徐々に持ち上がっていく。地面を離すまいと蹄をばたつかせるが、無意味なことである。


「らあああぁぁぁあああ!」


 アイアスの獣のような雄叫びがブロブロの耳をつんざく。生まれて初めての浮遊感に戸惑い、その先にあるものを忘れてしまった。それはブロブロにとっての死へのカウントダウン。そして、アイアスは剛腕を唸らせ、黒い砲弾を頭上に掲げた。


「うろらぁああああ!」


 アイアスは背中から倒れこむようにブロブロを後ろに地面に叩きつけた。地面に叩きつけられたブロブロの背骨がビキバキボキ、と短い断末魔を上げると、その獣は動かなくなったのだった。

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