4話-3 サージャと村人たち
マリは当時のことを思い出す。決して明るい想い出ではないが、サージャとの出会いは、人生の転機の一つに違いなかった。
サージャを初めて見たとき、村の誰もがその美貌に心奪われた。彼女は年齢も性別も関係なく、優れた芸術のように村人たちを魅了した。村人の誰もがざわつき、そして、距離を置いた。口減らしや足手まといとして家族や周囲から、見捨てられた老人たちが、打ち捨てられていた土地に寄り集まって出来ただけの村の住人たちが、軽々しく声をかけていい相手ではない。
あんな美麗な屋敷を建てられる人物だ。そもそも我々とは住む世界が違っている。間違いなく、相手もそう思っている。この村言葉を交わさずともそのことを互いに理解し、誰一人して挨拶すらしに行こうとしなかった。
だからだろう、サージャ様から声をかけてきてくださったときは、村人たちはおおいに驚き、困惑した。高尚なる人物が低俗な私たちにお声をかけていただけるなんて。いや、内心では私たちのことを下賤の者として疎んじているのだ。自己満足のために、いい顔をしようとしているだけだ。悪い方へ悪い方へ思い込もうとするが、その後光でもさしそうな容姿にあてられて、しどろもどろになりながら、必死に思いつく限りの丁寧な言葉を重ねる姿は、彼女にどう見えていたのだろう。
「今からでは考えられませんね。皆さんはサージャさんを慕っているようにしか見えないです」
「それは、サージャ様が私たちへ積極的に話しかけてくれたり、村を手伝ってくれたりしたからだねぇ~。私たちを助けてくれるなんて、それこそ女神様かと思ったよぉ~」
女神か。心の中で呟いたアイアスはその見立てに同意した。そして、彼女の屋敷で読んだあの神話の本を思い出す。彼女と酷似した魔女の立ち絵。はたして彼女は魔女なのか、それとも聖人なのか。アイアスは胸に刺さったこの取掛かりについて、マリに聞こうと思い立ち、やめた。
「サージャさんは女神みたいに美しいですもんね」
アイアスは山菜を籠に詰めながら相槌を打つ。マリが山菜を取る手を止めた。
「そうねぇ~。サージャ様は本当に、見た目だけじゃなくて心も美しいんだよぉ~。こんな私たちにも心底優しくしてくれてねぇ~」
マリは心底嬉しそうで、何層にもなった皺を目尻に寄せた。
「私たちは、サージャ様が来る前までは皆、暗い顔をしていたんだけどね。少しずつ、みんな明るくなっていってねぇ」
マリは、はっとしたように、手をパンと叩いた。
「この村に行商人が来てくれるようになってくれたのもねぇ~、サージャ様が来てくれるように手配してくれたからでねぇ~」
と、また嬉しそうな顔でうんうんと首を縦に振る。
サージャが来る前までは、ここから一番近いフツでさえ、村の存在を認知している者は僅かだった。そもそも地図にすら載っていない捨てられた村である。そこに十数人の老人が集まって勝手に住み着いたので、他の村や町の交流が元からない。加えて、彼らがこの土地から出ようとしない。生活する分には山菜や魚は必要な分は獲れるので、出かける理由がほとんどなかったのだ。あるとすれば、薬を買いに行くとか家族へ手紙を出す人がたまにいるぐらい。
サージャはあまりにも閉鎖的な状況を見兼ねて、フツへ出向き、彼女自ら行商人と交渉した。サージャがどのような交渉をしたのか、村の者たちは知らないが、行商人との交渉は上手くいき、それから、イッスの村にも訪れてくれるようになった。
「サージャさんはそんなこと一言も言ってなかったのに」
「まぁ~自分のやったことをひけらかしたりしない人だからねぇ~。そういうところが、またいい人なんだけどねぇ~」
話が終わるころには、籠は六分目まで山菜で埋まっていた。
「そろそろ帰ろうかねぇ~」
「分かりました」
マリが腰を押さえながら立ち上がると、アイアスも立ち上がった。
「帰りも気を付けて帰ろうねぇ~。最近、物騒らしいからねぇ~」
「物騒?」
野盗や野生動物の噂でもあるのだろうか? しかし、山に入ってから人や動物のそれらしい痕跡は目に入っていない。
「森の動物たちが村に降りてきているんだよぉ~。今まで畑が荒らされるようなこともなかったんだけどねぇ。畑の近くに糞が落ちてたりしてるから~って」
マリは籠を背負いこみながら言う。アイアスは、畑が荒らされているということを初めて聞き、眉間に皺を寄せた。
「それは物騒ですね。山では動物の痕跡も見なかったのに」
「この辺りにいる動物たちは、山に餌がいっぱいあるからかねぇ。滅多に村の近くまで降りてこなかった……そのはずなんだけどねぇ~」
今まで村に降りてくることはないのに、最近は畑が荒らされているということか。なにか対策が立てられないのかとうんと首を捻ってみるが、経験も知識もないアイアスには土台難しい。悲しそうな顔を浮かべるマリを見て、何とか力になれないかと思いあぐねた。
下山は下りということもあるが、コツを掴んで行きよりも速く歩くことが出来た。軽やかに降りていくマリに、アイアスも遅れずについていく。山に入ってから昼食をとっていないので空腹感があるが、反して疲れはあまり感じていなかった。
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
アイアスがお礼を述べると、マリはふにゃっと破顔した。
「そうかい、そうかい。それはぁ良かったよぉ~」
用心棒という職に就いてから、ここまでの穏やかな時の流れはしばらくなかった。そんな余生は何十年後ということになるだろうが、もし引退することがあれば、その後は田舎で山菜取りをして過ごすのも良いかもしれない。
「ぶおおおぉぉぉぉぉおおお!」
だが、その穏やかな時は唐突に壊された。けたたましい何かの鳴き声が二人の耳をつんざいたのだ。
マリは何が起こったのか分かっておらず、わたわたと視線が定まらない。
アイアスは即座に咆哮の先に身を向けた。視線の先、そこにいたのは口元から二本の大きな牙を生やした四本足の獣だった。