表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンチ魔法の錬金術師  作者: 春日丁字
6/12

五話

静かだった。聞こえるのはテーゼの足音、息づかい、そして炎の音だけだった。

 しかし静かでも何かの気配を感じていた。それが何かはわからない。しかし、決して友好的なものとは思えなかった。

 地図を見る限り、灰色の道はいくつか小さな分岐こそあれど、一番大きな道を進めばコハクまでたどり着くことがわかっていた。途中に赤の道へと続く分岐点だけを避けることが出来れば問題はない。地図にしっかりとその特徴が記載されているので迷うことはあり得なかった。赤の道へと続く場所には大きな水たまりがあるのだ。

 テーゼは心細くなりながらも、前に前に進んだ。何か出てきたらどう闘おう。剣でも借りてこればよかった。

 やがて、分岐点へとたどり着いた。左右に分かれている。テーゼは道の先をたいまつで照らした。右の道には水たまり、左の道には何もなかった。念のために、テーゼは地図を確認する。水たまりのある道が灰色のルートだ。

 テーゼは地図に従って右の道に入った。水たまりに足を入れないように気をつけながら進んだ。油断は出来ないが、とても進みやすい道だった。舗装されているかのように平らで、真っ直ぐだった。研究所の舗装路よりも歩きやすいかもしれない。

 先ほどまでの嫌な気分はすっかり消えていて、テーゼは歌い出したいような気分になっていた。テーゼは最近流行の歌のうろ覚えで口ずさんだ。

 足取りは軽かった。スキップでもしよう、と足を弾ませた時、足下を小さな影が通った。テーゼは驚いて後ろに仰け反った。テーゼはバランスを崩して転んだ。そしてたまたま横に開いていた穴へと落ちた。

 派手な音を立ててテーゼは転がった。上下の区別もつかないまま転がり続け、そして頭を打って気絶した。


 目が覚めたとき、テーゼは混乱した。辺り一面がきらきらと輝いていたからだった。

「――ここはどこなんだ」

 テーゼは記憶の糸をたぐった。たしか分岐のところで右に曲がって――。おかしいぞ。どうして僕は右の道に行ってしまったんだろう。水たまりがある道が赤の道なのに。

 テーゼは地図を取りだして眺めた。たいまつはどこかに消えてしまったが、幸いこの空間は明るく、地図の文字が微かに読めた。

 地図には水たまりの道が灰色の道と記載されていたが、じっと眺めていると、不思議なことが起きた。地図の文字がぐにゃりとゆがんで、灰色と赤色の文字が入れ替わった。

 テーゼは舌打ちをした。太古の魔法に騙されたのだ。頭ではわかっていたのにどうにかしていた!

 防御膜は作用しなかったみたいだった。

 テーゼは自身の場所を地図で確認しようと思ったが、どうやら未踏の場所らしく、記載はなかった。

 遭難という言葉が脳裏をよぎった。背筋が凍るような思いだった。

 だがここでパニックになっても事態は好転しないとテーゼにはわかっていた。頭は冷静だったので、場所の分析を始めた。

 きらきらと輝いているのは魔法石だった。様々な種類――魔法音痴のテーゼにはその価値はよくわからなかったが――数えきれないほどの魔法石が辺り一面にあった。魔術師たちが見たら舌なめずりをするに違いない。

 しかしそんなもの、テーゼには全くもって意味がなかった。魔術師ならば魔法石を有効活用してここから脱出出来るかもしれないが、テーゼには無用の長物だった。

 しかし研究費の足しに出来るかもしれないので、なるべく大きくて綺麗なものを数個選んで鞄にしまった。ボルタとアンリへの礼にもいくつか取った。

 魔法石の採取が終わったところで、テーゼは空間の広さを確認した。小部屋程度の広さだ。テーゼが立ち上がるのが精一杯の高さだ。

 テーゼは自分が落ちてきた穴を覗き込んだ。真っ暗でどこまで続いているのかわからない。これを登るのは難しそうだった。

 注意深く探すともう一つ穴があった。それはテーゼの足首ほどの大きさで、まるでそこだけ空間を切り取ったかのように真っ暗だった。

 テーゼは途方にくれた。残してきたアンリとボルタ、そして父やその研究仲間の顔を思い浮かべると目頭が熱くなった。

『随分落ち込んでるな』

 突然した声に、テーゼは涙をぬぐい、周囲を見渡した。しかし誰の姿もいなかった。また古代の魔法が僕を騙そうとしているか、それか幻聴だろう。

『こっちだ。下だ』

 下? テーゼが視線を下げると、足下に小さな蛇がいた。金色に輝いている。

『随分派手な登場だったな。人間にしてはユーモアがあってよかったぞ』

「誰?」

 テーゼはそう訊いて、すぐに後悔した。これが古代の魔法の罠であるという可能性を忘れていた――。

 返事をすることによって何か魔法にかけられたのかもしれないと思ったが、何も起こらなかった。

『俺か? 俺はアルゲアスだ』

「人間なのか?」

『違う。言っても通じるのかわからないが――』

「魔物か?」

 金色の蛇は口を大きく開けて威嚇した。

『そんな低俗なものと一緒にするな! そうだな、お前たちの言葉でいうなら――神が一番近いかもしれないな』

「神だと? 大層なことを言うな。僕が信仰心の厚い魔術師だったらお前はバラバラにされてるぞ」

 蛇はシューシューと笑った。

『魔術師風情には無理だ。それに魔術師ならこんなところには落ちてこないだろう?』

 テーゼは顔が熱くなるのを感じた。

「うるさい。お前には関係ないだろ」

『どっこいそれが関係あるんだよ。お前を救ってやったのは俺だからな』

「どういうことだ?」

『言葉のままさ。〈錯乱の魔法〉にかかっていたお前をひっくり返して助けてやったのさ。あのまま進んでいたら酸の沼地に落ちて骨も残らなかっただろう』

 ぞっと寒気がした。確かにあの時何かが足下を通りがかった。それに驚いてテーゼはバランスを崩し、この場所へ続く穴に落ちたのだ。テーゼは礼を言おうとしたが、寸前で思いとどまった。

「――でも結局ここに落ちてるわけだから何の助けにもなってないじゃないか」

 溶かされて死ぬのが飢え死にへと変わっただけだ。危機的状況は依然変わらない。

『それはそうと、お前はどうしてこんなところに来たんだ?』

「コハクだよ。魔法がない道の先に巨大なコハクがあるって聞いたから来たんだ」

『へえ。見かけによらず装飾品職人なのか?』

「違う。僕は錬金術師だ。雷の研究をするためにコハクが必要だったんだ」

『はあ。コハク程度の静電気じゃとても雷とは言えないだろうが。ご苦労なことだな』

 その言い方が少し気にかかった。

「コハクで雷を生み出せることを知ってるのか?」

『まあ世界は色々あるからな』

 蛇は鎌首をもたげ、赤い舌をチロチロと出した。ごまかそうとしていることは明らかだった。

「お前は何者なんだ?」

『だから言っているだろう』

 蛇はシューと威嚇するような音を出した。

『神だ』

「神は蛇の形をしているのか?」

 テーゼが習った話では、神は人間と同じ姿形をしているはずだった。もっとも、これは魔術師が作った神話だが。

『俺に特定の形はない。ここでは蛇の方が楽なだけだ』

「どうしてこんなところにいるんだ? 魔法石を摂取しているのか? それともお前の住処なのか?」

 矢継ぎ早に質問を繰り出すテーゼに対して、蛇は嫌そうに頭を振った。

『ここは静かだ。わずらわしい魔術師も、魔物もいない』

 魔物? 何かの暗号だろうか。蛇の話す内容には非常に心惹かれたが、テーゼは本懐を思い出した。

「ここから出る方法を知らないか? 僕はコハクを取りに行かないといけないんだ」

 蛇は頭を上下させた。テーゼには頷いたように思えた。

『お前が落ちてきた穴を上がればいい。大体三十メートルくらいだ。たいした距離じゃない』

「それは、無理だ」

『何故だ。――ああ、お前は魔術師じゃないのか』

「――僕は錬金術師だ」

『お前が彫金師だろうが、調律師だろうが関係ない。魔法が使えないことには変わりないんだろう?』

「ないものは仕方ないだろ」

 テーゼは少しムキになって言い返した。蛇は尻尾を振って何かを考えている様子だった。

『名前は?』

「テーゼ」

『よしテーゼ。俺がお前を助けてやろう。今日は機嫌が良いし、お前はなかなか面白そうだ』

「本当か?」

『ああ。穴から落ちるのが上手い人間に悪いやつはいない――冗談だ』

 蛇はテーゼが不機嫌な表情になるのを見て軽口を叩くのをやめた。

「それでどうすれば登れるようになるんだ?」

『簡単だ。俺の力を取り込めばいい。具体的に言うと俺の血を飲め』

 テーゼは顔をしかめた。テーゼは血が苦手だった。

「それ以外に方法はないのか?」

『ない』

 蛇は短く答えた。

『嫌なのか?』

「申し出はありがたいけど――好ましくない。血を飲む趣味はないんだ。特に爬虫類のそれは……」

 随分控えめに言ったつもりだったが、テーゼの言葉は蛇のプライドを傷つけたようで、蛇はシューと嫌な音を出すと、穴へ姿を消そうとした。

「待って! 待ってくれ」

『俺は気まぐれなんだ。あと俺は蛇じゃない。俺はアルゲアスだ。蛇でも、魔物でも、魔術師でもない。アルゲアスだ』

「わかった。わかったよアルゲアス。君の血を僕にくれ」

 苦渋の決断だったが、このまま蛇――アルゲアスに見捨てられて破滅を選ぶよりはましだった。

 アルゲアスは冷たい目でテーゼを見ると、尻尾で自身の胴を斬り付けた。金色に輝く液体が胴から流れ出た。

『すぐに止まる。早く飲め』

 慌ててテーゼは手を差し出し、アルゲアスから流れ出る金色の血液を受け止めた。冷たいのは蛇が冷血動物であることと関係があるのか聞きたかったが、また機嫌を損ねられると困るのでテーゼは黙っていた。

 アルゲアスの血はテーゼの白い手のひらの上で、まるで水銀のように揺れていた。

『飲め』

 テーゼは覚悟を決め、目を閉じて飲んだ。想像していたような嫌な臭いも、味もしなかった。ただ何か強烈なエネルギーを発するものがテーゼの全身を駆け抜けていくのを感じ取った。

『効き目は短いと思うが、ここから脱出してコハクを取って家に帰るくらいまでは持つだろう』

 アルゲアスはそう言うと穴に向かって這っていった。彼のいた場所に帰るのだろう。

「ありがとう」

 テーゼがそう言うと、アルゲアスは振り返り、鎌首をもたげて笑った。少なくともテーゼには笑ったように見えた。

『また会うだろう。――つながりが出来たからな』

 アルゲアスは穴の中へ消えていった。もうそこにアルゲアスの気配はなかった。

 テーゼは自分が落ちてきた穴を見た。先ほどと違って穴の中の様子がはっきりと見えていた。まるでたいまつがあちこちに掲げられているかのようにはっきりと。

 これがアルゲアスの力なのだろうか。テーゼはおそるおそる穴の中に入り、よじ登った。不思議なことにテーゼは全く力を必要とせず楽々と穴をよじ登ることが出来た。まるで手のひらと足が穴の側面にくっついているかのように、テーゼはするすると登っていった。


 穴から脱出して数十分後、テーゼは目的の巨大コハクを抱え、アンリとボルタの待っている場所まで戻ってきた。いつもと纏っているオーラが違うことに驚く二人を担ぎ上げ、テーゼはドドナの洞窟を後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ