四話
「こっちの方角であってるんだよな?」
がたがたと揺れる馬車の上で、ボルタは言った。騎士に弟子入りしているだけあって、馬の操縦も出来るらしい。
テーゼは地図とコンパスを見て頷いた。頷いて、ボルタからはテーゼが見えないことを思い出して、「そうだよ!」
と言った。赤兎馬の脚力は相当なもので、おそらくあと一時間もすればドドナの洞窟が見えてくるはずだ。
「錬金術師って大工も出来るの?」
アンリは車輪を見ていった。馬車の下では前輪二輪、後輪一輪と、合計三輪が軽快なリズムを立てて回転している。壊れた右前輪の部分に後輪をつけて、残った後輪の位置を中心に置き換え三輪車を作ったのだ。前輪二つにしたのは安定性を考えてのことだった。
「僕みたいにまだ新米だと予算も少なかったりして実験器具を自分で作ったりすることもあるからね」
魔法が使えるなら、そういった工作も簡単に出来るのだが、そうでないテーゼは原始的な方法で試行錯誤するしかなかった。
「テーゼのお父さんは手伝ってくれないの?」
「僕が父さんの助手だからね。手伝うことはあっても手伝ってもらうことはあんまりないかな」
アンリは驚いた顔をしたが、テーゼにとってみればそれは当たり前のことだった。エルステッドとテーゼは親子だが、二人は研究者と助手であり、そして同時に独立した研究者でもある。他人にかまけて自分の研究を最優先に考えないのは過去の錬金術師たちへの冒涜のようなものだと考えていた。
尻が痛くなってきたころ、馬車がスピードをゆるめ始めた。
「見えたぞ!」
目を凝らしてみると、たしかにドドナの洞窟が見えた。小高く赤い丘に、ぽっかりと黒く巨大な穴が開いている。あそこだ。
馬車を止め、〈防御膜〉をかけた赤兎馬たちを日陰の水たまり付近に移動させると、テーゼたちは洞窟の入り口に立った。
黒くぽっかりと開いた入り口には風が吹き込んでいる。異世界への入り口のように思われた。
テーゼは気持ちが高揚するのを感じていた。
「目的地はどこだっけ?」
「ここだよ。この黄色印が打ってある場所」
テーゼは洞窟内の地図を広げて見せた。過去の文献や、実際に魔術師や錬金術師が開拓したルートをテーゼがまとめたものだ。
「白は安全が確保されているルート。灰色の道は存在があやふやなルート。赤の道は強力な魔法が残っている可能性が高いルートだ」
巨大コハクの場所は最深部の灰色と赤の道のちょうど交差点にあった。最深部までは白のルートでいけるが、そこからは道が枝分かれしていて、ほとんどが灰色になっている。
「わかった。地図を覚えて〈探索の糸〉で探る」
「最深部までは比較的安全だけど、それでも何が起こるかはわからない。中は真っ暗だ」
テーゼはランタンを出して、舌打ちをした。油を忘れてきてしまったのだ。これではランタンは役に立たない。
「――明かりの魔法はあるよね?」
テーゼがおそるおそる尋ねると、アンリはくすりと笑って頷いた。
洞窟の中は新月の夜のように真っ暗だった。アンリの明かりがなければ一歩も先に進めなかっただろう。
「次を右だ」
ボルタは指を伸ばして言った。かなりの集中力を使うのか、顔に冷や汗をかいている。
「最深部までは地図を見ればいいから、大丈夫だよ」
「……本当にそうか?」
コンパスを見て、テーゼは絶句した。コンパスの針は壊れた機構のように、くるくると回り続けていた。
「あちこちから魔法の痕跡を感じる。それが魔法石なのか、古代の魔法なのかはわからないが、そのせいで普通の道具は使い物にならなくなるんだろう」
一人で突撃しなくてよかったと、テーゼは今更ながら胸を撫で下ろした。一人だったら盗賊に殺されるか、餓死するか、さもなくは遭難だっただろう。
「――ありがとう」
「礼はコハク見つけてからだな。それに俺たちは嬉しいんだ。テーゼと対等でいられるのがな」
ボルタはぼそりと言った。テーゼはもちろん聞こえていたが、気恥ずかしかったので聞こえなかったふりをした。
それから数時間かけて、テーゼたちは最深部にたどり着いた。途中何度か道を間違えそうになったり、洞窟性生物の群れに肝を冷やしたりはしたが、なんとかたどり着くことが出来た。
「……ここからが問題だ」
相当な魔力を消耗しているらしく、ボルタは肩で息をしていた。
最深部までの道のりは既に踏破されたルートで、安全というわけではないが、注意していれば問題はない。しかしここからは存在すら怪しい、灰色のルートなのだ。しかもコハクの場所は古代の魔法がある赤のルートと重なっている。
「少し休憩しよう」
テーゼがそう提案すると、ボルタは首を振った。
「魔力はそんな簡単に回復しない。……さっさと進んだ方が良い」
歯がゆい気持ちだった。自分は一人前の錬金術師だというのに、まだ学生の魔術師に頼りっきりなのだ。
「いこう」
アンリに促され、テーゼは歩き始めた。先頭にボルタ、殿にアンリだ。洞窟に入った時は大きく見えたボルタの背中が今では小さく見えた。
じとっとした、嫌な空気だった。最深部に満ちている魔力の質がそれまでとは違っていることはテーゼも薄々感じていた。ボルタには相当な負担がかかっているはずだ。休憩を提案したのも、ボルタの限界が近いとみていたからだった。
そしてテーゼの予想は当たった。灰色のルートを三分の二ほど進んだ時、ボルタが突然姿を消した。
「ボルタ?」
「大……丈夫だ」
ボルタは膝をついていた。かなりしんどそうだ。魔力が尽きたのだろうか。
「アンリ!」
アンリはすぐにボルタの横に座る。ボルタの様子を見てアンリは首を振った。
「これ以上は無理ね」
「まだ……」
ボルタはふらふらと起き上がろうとして、また膝をついた。これでは進めない。それどころか引き返すのも怪しい。
「……おいていけ」
「馬鹿なことを言うな。そんなこと出来るはずがない」
ボルタはテーゼを睨んだ。
「あと少しなんだ。……ここまで来たら進んでくれ。少し休めば帰る分の体力くらいは回復できるはずだ」
ボルタの言葉にテーゼの心は揺れ動いた。たしかにコハクまではあと少しだった。テーゼに割り振られている研究費を考えると、二度目のチャンスは来年までなかった。一年研究を遅らせることになる。それは避けたかった。
しかし、それでもテーゼにはボルタを置いていくことは出来なかった。
「アンリも残ってくれ。ここからは僕一人で行く」
「そんなの無茶よ! この先には強い魔力を感じるわ。それってつまり――」
「わかってる。でもこれは僕の研究なんだ」
テーゼはアンリの言葉を遮って言った。途中で拾った乾燥した木の棒を鞄から取りだし、突き出して言った。
「ここに火をつけてくれないか?」