第2章ー9「空中逃避行」
屋内は、驚くほどに手入れされていた。
廊下は綺麗に磨き上げられ、俺たちの靴をぼんやりとだが映している。並べられた機材 (のようなもの)も規則正しく積み上げられており、その一つ一つには文字と番号が刻印されている。陽光が窓から差し込み、廊下に暖かな雰囲気を満たす。ワックスがかけられているようで、反射する日光に混ざり、俺たちの靴の縁がわずかだが映っている。
ルナを寝かせた部屋だって、かなり丁寧に維持管理がされていた。机やいす、ベッドやクローゼットが、新品同様のような状態で配置されていた。しかもそれでいて、人ひとりが過ごすには申し分のない広さの空間が取られている。何よりも、埃ひとつない――そんなこと、普通に考えれば人の手が入っていない状態ではありえない。
しかしケニー曰く、この部屋は普段物置として使われていたらしい。自分では家具の移動もさせていないし、ましてやベッドのシーツも変えたことはない。それなのに、掃除したての客室のような状態……ますますケニーの言っていることに対しての信頼性が薄れていく。
その疑問に、
「実は、秘密があるんですよ」
先導するケニーが、はにかみながらそう言った。
「秘密? お手伝いさんがいる……とか?」
いや、それは違うか――言葉にしてからその考えをすぐに否定した。
お手伝いさんがいるのであれば、外があんな風になるまで放っておかないはずだ。それに、この世界でも家政婦という存在は身近らしい。彼・彼女たちのことを秘密というのはいささか大げさすぎるような気がする(ちなみに、敬語は不要と言われたのでお言葉に甘えている)。
だが、
「はい。そんなところです」
まさかの正解。だが、完答……というわけでもなかったらしい。振り向いたケニーが浮かべていたのは、(なんとなくそう感じただけだが)悔しさの混じったような苦笑いだ。
「と言いましても、普通のお手伝いさんじゃないんですよね。世話をしてくれているのは妖精なんです。何でも、親方がここに住み着いたころにはもういたらしくて」
「へぇー。どんな姿をしてるんですか?」
妖精? いま、妖精と申したか? ずいっと、会話に入り込んできたのは雨宮だ。
妖精といったファンタジーの類が大好きな相棒は、栗色の澄んだ瞳をどこまでも輝かせる。それはまるで、サンタクロースを信じているかのような純粋さ。そのキラキラとした目が何を語っているのかは、すごく簡単に解った。
会ってみたい。
多分、こんなところだろう。
しかし、世の中そう上手くもいかないようだ。
「実は、僕も見たことが無いんですよ。女性だというのは親方から聞いているんですが……どうも僕は、彼女に好かれているわけではないようです」
申し訳なさそうに、ケニーが笑みを浮かべた。「そうですか……」と、雨宮が肩を落とす。そんなに楽しみだったのか。
だがひょっとすると、雨宮が見たがっている彼女は予想していたようなファンシーな姿じゃないかもしれないという可能性もある。あこがれていた妖精さんが、実は完全に西洋の図鑑に出てくるような姿であることも十分考えられるのだ。だとすると、夢を壊さなかった可能性もあるというかなんというか……。
いや、雨宮の場合は見た目なんか気にせず喜ぶような気がする。その次には、見た目で判断するのは良くない! とか言ってオレが怒られるような気もする。
「ですので、もし見えたら僕にも教えてください。――さあ、着きましたよ」
そんなどうでもいいことを考えていると、いつの間にか、俺たちは廊下の突き当りに来ていた。外から見れば、ちょうど見えていた別棟につながっている部分に当たる。どうやら、ここに親方という人がいるらしい。「親方、お連れしました!」よく通る声を響かせ、ケニーがドアノブをひねる。そのまま勢いよく開き――、
ドアは、半分ほど空いたところで止まった。
そして、向こう側ですごい物音がした。
「「「…………」」」
「……あっちゃー、また倒しちゃった。ちょっと待っててください」
と言って、ケニーは半分ほど空いた隙間から部屋の中に入っていく。すぐに、ゴトゴトという部屋の中から何かを移動させるような音がし出した。まるで、親が急に部屋をノックした時の子供のよう。それが二十秒ほど続き、止まると同時にドアが全開に開く。
ひょっこりと、ケニーが顔を出した。
「すいません。ここ散らかっているんです。入ってください」
◇◆
足を踏み入れたそこは、驚くほどごちゃごちゃとした空間だった。
部屋の形に沿うようにして全方位に棚が置かれ、完全に壁が見えなくなっている。光が入っているのは、窓がある場所にかぶった部分だけ、棚が強引にくりぬかれているからだ。だが、それでもさっきまでの部屋に比べてかなり暗い。多分、元々設計された窓の数は今見えるものよりも多いのだろう。
棚ごとに様々なものが保管されている。ガラス越しに見えるものは、分厚い本、ホルマリン漬けにされているような何かの標本、小分けされた薬草に色とりどりの鉱物と様々。棚の他にも、何かを削るためと思わしき機械や、棒状に加工された木材の束、ガラスでできた透明な道具などがいくつかある台の上に置かれている。
とどめに、扉のすぐ近くにたたずみ俺たちを出迎えた骸骨の標本。
これだけ色々なものがそろっているということは、この場所はおそらく、研究室のようなところなのだろう。もしくは、資材置き場か。どちらにしても、何かを創り出す場所に関係していることは間違いないような気がする。
何を研究しているのかは、皆目見当がつかないけど。
それはさておき、
――すっげぇきたねえ。
口に出さなかっただけでも、幾分成長したように感じる。
「すみません、散らかっていて。……親方が、ここだけはお手伝いさんに触らせないんですよ」
「君の親方の掃除下手は筋金入りだね。これでもなんとかなっているのが不思議だ」
ジュードの言葉に、後ろで崩れた資材の整理を終えたケニーが控えめに笑った。
「それで、君の親方はどこだい?」
「そうだ! 親方どこ行ったんだろ……」
「……ここじゃい!」
人骨の標本が喋った。
「うわっ⁉」
「にぇっ⁉」
二人そろって、情けない悲鳴が出た。標本がたたずむ場所から、ジャンプ回避で一メートルほど下がる。下がりすぎて、背中に硬いものがぶつかる。痛い。絶対に何か倒した。
人骨が喋った⁉ 付喪神⁉ だが、現実にそんなことがあるはずもなく。
標本のさらに後ろ――崩壊した積み荷の中から、一本の短い腕が勢いよく生えた。続いてもう一本。自由になった両腕が崩れた荷物のひとつを掴み、ぐいっと身体を待ちあげる。
そして、
スポンと、小柄な上半身が飛び出した。
「何をビビっとるんだ。お前たちは」
呆れたような野太い声が、頭上から降り注いだ。
よっこらせ、という掛け声で引っこ抜かれた身体は、ずいぶんと小柄だった。多分、背丈は俺の三分の二くらい。しかし顔は完全に老人のソレで、どう考えても七十はいっていそうな印象を受けた。にもかかわらず衰えたように見えないのは、明らかに慎重に不釣り合いな筋肉、顔半分を覆うとげのような髭の所為だと思う。
「そいつが喋ったとでも思ったか? そんなことあるはずなかろうが……おい、ケニー! 貴様何度言ったら解るっ! 扉を開けるときは慎重にせえ! これで五度目だぞ」
「すみません。親方」
「あまり弟子を責めるものではないよ、ガリン。君が片付ければいいだけじゃないか」
「これでも片付いとるんだ。どこに何があるかはちゃぁんと把握しとる」
からがらと、荷物を崩しながら滑り台の要領でガリンと言われた老人が下りてくる。危なげなく床へと着地すると、諫めたジュードの顔をまじまじと見つめた。
「……なんだ。少し老けたか?」
「事務作業も疲れるものだよ。一日中こもっていては私も参る。そちらは、相変わらずのようだね」
挨拶はそれだけだった。興味を失ったようにガリンはジュードから視線を外し、歩き出す。そして、近くにあった振る椅子にどしっと腰を下ろした。
「そんで? こやつらが前に言っとった客か」
「その通り。この方々に色々と見せてもらえるとありがたい」
「そりゃ構わんが……よくもまあ、こんな場所を選んだな」
「君の技術が一番彼らにとって利になると思ったんだ。君のことは、私がよく知っている」
「ふんっ」
ガリンが、ニタリと笑みを浮かべる。その後立ち上がり、俺たちの方へと歩いて来て右手を差し出した。条件反射的に手を握る。
「お初にお目にかかる、客人。オレはガリン。ドワーフだ。ここで杖の研究をやってる」
「杖?」
「そうだ……と言っても、そうか、それだけじゃわからんか」
続いて行われた自己紹介に、雨宮が疑問符を浮かべた。それにガリンは頷き、今度は難しい顔をしながらとある一つの棚に向かって歩き出した。
「一つ質問しよう。お前さんたち、魔法使いにとって杖はなぜ必要か知っているか?」
引き出しになっている部分をごそごそと漁りつつ、後ろを向いたままガリンがそう俺たちに問いかけた。
「それは……事象改変の手助けになるから、ですよね」
「うむ。おおむね正解だな。一から話さんですみそうだ」
ああ、これだ――そんな呟きと共に、引き出しが閉じられる。
振り向いたガリンの手には、二本の短い棒があった。そのままガリンは俺たちの方へと近づき、そのまま両手に持ったそれを差し出した。
「嬢ちゃんが言った通り、杖は魔法の助けになる。杖を使わん場合よりも、より精度の高い魔法が使いやすくなる。そしてそれは、良い杖になるほど顕著だ。そこで訊こう。この二本、良い杖はどっちだ?」
差し出された棒は、三十センチほどの細い杖だった。火力よりも魔法発動の速さを武器にした杖で、室内で使用したり、護身用に好まれたりする小型杖『ライト・アイガー』と呼ばれる種類の杖だ。
しかし、その外見は大きく異なる。一本は黒光りする表面に、歪みのないまっすぐな姿。対してもう一方は、表面は艶やかで、それでいて雪のように真っ白な色をしている。しかし色はともかくとしても、表面がとにかく歪だ。木の節のような部分がいくつも見えているし、杖の形も少し曲がっていてとてもまっすぐとは言えない。形はどう見ても、加工を失敗したそれにしか見えない。
普通に見るなら、黒い杖が良質のものだと考えるのが自然だ。それくらい、見た目の違いがある。
しかし、雨宮の答えは違った。
「白の杖ですね」
「理由は?」
「材質です。そっちは加工してあって判りませんが。こっちは無加工です。無加工でこんなに真っ白っていうことは、この木はシロガネスギですよね? でしたら――、」
「シロガネスギは最高級木材の一つ、それ以上のものは無し、よって白が正解か。合格だ。嬢ちゃんはなかなか優秀だな」
驚いたようにガリンが目を丸くし、しばたかせる。そして、口元に凶暴な笑みを浮かべ、ガハハと豪快に笑った。
「いまの嬢ちゃんのように、杖の等級ってのは材質で決められる。その理由は、高級な材料ほどマナの伝導率がいいからだ。だがな、それは極論言えばどんな材質だろうと大量のマナの伝導に耐えられるのなら、等級の高い杖になりえるってことでもある。まぁ、普通はそんなもの見てわかるはずもないからこそ、杖の等級は材質で分かれてるっていってもいいが」
「つまり、ガリンさんの研究は……マナの伝導率を上げること?」
「そうとも。坊主も分かってるじゃないか!」
豪快に笑い、右手に持つ黒い杖でガリンは俺をビシッと指した。そして、目の前で何の気なしに杖をクルクルと回して弄ぶ。
「どんなに悪い材料だろうが、うまく加工しさえすれば伝導率を何倍にも上げられる。それだけでも加工が下手な上級の杖以上の力が出せる。ここは、その加工理論を研究している場所なのさ」
「それで?」と、ガリンは今のいままで沈黙を保っていたジュードの方へと顔を向ける。
「ここに連れてきたってことは、この嬢ちゃんの杖を加工し直せってことでいいのか?」
「できるんですか?」
「無論。だがまあ、試作段階だからな。あまり無茶な改造はしてやれんが……嬢ちゃん、やってみるか?」
「はい! お願いします」
「そうか。じゃあ少しばかり杖を見せてくれ」
新しいおもちゃをもらったかのような無邪気な雨宮に、まんざらでもなさそうな様子でまたガリンは笑う。雨宮がもっていた杖を受け取ると、それを舐めまわすように観察する。
「材質は強度重視のハガネダケか。長さは一メルタ三十……用途は後方支援用……」
そう言ったのち、自身の身長ほどあるその杖を、手でつかめるギリギリの位置で握りしめる。
「浮け」
ひと言、呟いた。
刹那、木のきしむ音が耳に届いた。
その音を発しているのは、乱雑に積まれた大小の荷物だ。さっきまで部屋をふさいでいた彼らは、今度はぎしぎしと音を立てて小刻みに揺れている――そう思った直後、
ものすごい音を立てて、一斉に宙へと放りだされた。
天井が高いこの空間を、所狭しと荷物たちが占めていく。普通ならば、すぐに床へと叩きつけられるのが常識だろう。だが、荷物たちはまるで意思でも持っているかのように空中に停止し、ふわふわと浮かんでいる。当然これは、自然に起こった現象じゃない。人為的に起こされた超常現象――魔法だ。
「ふさわしい場所へ」
術者であるガリンが、荷物たちにそう命じる。すると、さっきまで無秩序に宙を舞っていた彼らは、軍隊よろしく一斉に整列し、先ほどの場所へと腰を下ろしていく。それも無計画にではない。大きいものが下になり、その上に小さいものが重なっていく。時々荷物同士はぶつかりながら、それでも順番を破ることなく、規則正しく積み上がっていく。
たった数十秒。
それだけで、無秩序に積み上がる荷物の山は正方形のキューブへと形を変えてしまった。
「……うん。いい杖だ」
それを行った張本人は、そう言って優しく杖へとほほ笑んだ。
「そんじゃ、これは預かっておくぞ。次に来た時までに渡してやる。……さて、問題はお前さんだな」
「俺、ですか?」
「ああ」
眉間にしわを寄せ、どうしたもんかなぁ、と小声でつぶやきガリンが頬をかく。
「見たところ、魔法士ではなく剣士だろう? ここは魔法使い用の研究所だからな、お前さんを楽しませるものがあるかどうか……」
すると、沈黙を保っていたジュードが口を開いた。
「アレを見せてみてはどうだろうか? 彼はオドの保有量が常人よりも多いらしい。もしかしたら使えるかもしれない」
「アレ? ……ああ、〝あれ〟のことか。そいつはいい」
ジュードの申し出に、一瞬ガリンが宙を見る。だが、すぐに何を言わんとしているのか思い至ったらしく、ガハハと豪快に笑って了承した。
当事者の俺抜きで。
「坊主、ちょっと暇つぶしをしようじゃないか」
「え? えーっと、何を?」
思わずそう訊き返す。すると今度は、浮かべていた笑みがニタリという意地悪いものになった。
「まあ安心しろ。さっきの人骨びっくりよりはマシだ」
「…………」
……言っておくが、「にぇっ⁉」は雨宮だ。
◇◆
付いて来い――そう言われた俺たちが立っているのは、研究所目の前に広がるだだっ広い草原だ。先ほどなされた会話で俺が何かすることが決定すると、すぐにここへ行けと言われたのだ。付いて来い、そう言ったくせにガリンもケニーもいない。
そこでなぜか、俺は着替えをさせられた。着ているのは、この世界に飛ばされた時に来ていたような作業着だ。厚手の造りで、転んで擦過傷になるような部分には厳重なカバーがされている。違うのは、あらゆるところに固定用のベルトがつけられていることだ。それから、背中に背負っているリュックサックのようなもの。生身は知らない。それを着替え終わったくらいに、ガリンとケニーが何かを運びながら合流したのだ。
以上、説明終了。
それから、何度も言うが俺は置いてきぼりだ。
「ここが速度調節。高度の調整はこっちのトリガーだ。そんでもってこのレバーで噴射口が開く。足はこの板に固定だ。落っこちるとマズいからしっかり固定しろよ?」
「……はい」
「何かあった時のために通信機を持っていけ。耳に入れれば音が鳴る。飛ぶ前に確認するから、今のうちに着けとけ」
「……了解です」
「本来は杖の試し打ちをするための場所なんだがな。何もそれだけに使ってる訳じゃあない。こいつを飛ばしても、何も文句は言われんだろう。以上、何か質問は?」
「じゃあ、ひとついいですか?」
「なんだ?」
そこでようやく、流されてきた会話から解放される。勝手に話を決められ、勝手にここまで連れてこられて、何をされるのかいまだに解らない。正直言って、かなり怖い。その辺りが、全く説明されていないことに闇を感じる。
そんな俺が、目の前に運ばれてきた『ナニカ』を指さすのは自然だと思う。
「あの……何なんですか? これ」
見たことが無い代物だった。
形だけ見るなら、雨宮が持っている杖の派生版か何かではないかと想像できる。だけど、そうと断定するのはいささか余計なものが付きすぎているのだ。
長さは二メートルほど。俺の足くらいの太さがあるまっすぐに伸びた木製の棒で、片方の先端部分がドラム缶をくっつけたような膨らんだ円筒状になっている。
その付け根から芯に沿うようにして、本体をはさんで両側に鉄板が二枚。その場所だけが、何やら多くの部品が装着されている。その中でも、ガリンが握っている操作器具は自転車のブレーキの部分に似ている。
見ようによっては、飛行機のような形に見えなくもない。もしくは、ロケットか。
なんだこれ……、それが今の正直な感想だ。
「ああ、これはだな。〝ホウキ〟だ」
「箒?」
「そうとも。古来より魔女は箒に乗って空を飛ぶという民間伝承がある。これは、そいつを再現したものだ。まあ、必要なオドが多すぎて完全にとん挫してしまったんだが……お前さんなら何とかなるかもしれない」
「…………」
この世界にもそんな伝承があったの? とか、魔法で飛ぶことはできないの? とか、そんな疑問が浮かんだ。それでも、真っ先に浮かんできたのは別のことだった。
もっと原始的で、人間の感情に訴えかける、このホウキに最も関係すること。この状況に置かれれば、まともな思考回路を持つ人間なら絶対に思うはずだ。
つまり、
――これ、ちゃんと飛ぶの?
「心配するな。安全装置はしっかりしとるし、最初は低空にするから心配はない。何かあれば飛び降りればいい……なんだ、心配事でもあるのか?」
「いえ、何も」
何もない。ガリンという技術者に言うべきことは何もない。ただ、脳裏をよぎっただけだ。
「こういう時に限って落ちる」という物語のお約束が。それと、さっきから乱立するフラグのことが。
怖い。『スリリング』ではなく、純粋に命の面が。
たぶん日本に帰ったら、俺はジェットコースターを克服できているような気がする。
これに乗って生きていたら、の話だが。
◇◆
『よし。それじゃあ始めようか』
耳に着けた通信機から、ガリンの声が小さく聞こえた。腰に付けたつまみを回して、音量を調整する。
『調子はどうだ? どこかグラついたりしていないか?』
「大丈夫です。すべて問題なし」
両足は、完全に固定されていて動かすことができない。手を放しても落下しないように、操作器具はベルトと腕を這わせて二重に固定されている(これによって、万が一手を放してもすぐに握れる位置に捜査器具がある)。
レバーやトリガーを握ってみるが、グラつきはどこにも見られない。嬉しいことになのか悔しいことになのか、すべて正常だ。
『教えた通りにやってみろ。まずはレバーを上げて、魔法陣を起動させる。それから速度はゼロにして、上昇速度を限界まで上げろ。それから、トリガーを引く』
「…………」
『大丈夫だ。もしひっくり返ったらオレが何とかしてやる。こういうのは、慣れが一番だ』
そう言って、少し離れた位置ではガリンが杖を構えて立っている。すぐ近くには雨宮とケニーの姿もある。雨宮はともかく、残り二人には全く心配するような素振りはない。安全である印といえばそうなのだが、それが余計に不安をあおる。
だって、漫画であればこれ以上ないほどにフラグが立った状態だから……。
『オレの合図で行くぞ。三・二・一……』
そうこうしているうちに、勝手にカウントダウンが始まる。
あ、やっぱ降りまーす。そんなことをいうタイミングを完全に逃した。
『ゼロ』
ええい、ままよ!
レバーを、思いっきり握りしめた。
途端、
「うぉッ⁉」
グンっと、身体中に負荷がかかる。体重が何倍にもなったかのように身体の自由が利かなくなる。まるで、身体中に重りを着けて動いているかのようだ。
同時に、足元の安定性が無くなる。例えるなら、足元の地面がいきなり揺れるブランコになった感覚だ。このままじゃ落ちる――そんな恐怖が襲い、必死に体勢を保つことに全力を注ぐ。
ぐんぐんと高度が上がっていくのが解る。
どんどんと地面が遠くなっていくのを感じる。
周りの風がすごい音を立てて上から下へと身体を伝う。
どれくらい経っただろうか。
『どうだ? 安定したろう』
そんな通信機からの声で、ふと我に返る。いつしか、ホウキの揺れはそれほど気になるようなものではなくなっていた。
「……はい。ひっくり返るようなことはもうなさそうです」
『動力はどうだ。以上はないか?』
「メーターの針は、〝青〟です」
『そうか。問題なしだな……それじゃあ、周りを見てみろ』
「周り……おお!」
思わず声を上げてしまう。
俺は、空を飛んでいた。
地面は遥か下にあり、雨宮たちの姿はゴマのようにしか見えない。どうやら根の壁よりも高くまで登っているらしく、霧に囲まれた内側がなんとなく見渡せるほどだ。多分、百メートルは上っている。地面よりも低く冷たい風が身体の熱を冷ます。
それでも、まだ世界樹の中ほどにもたどり着いていない。大樹は俺がいるこの場所よりも遥か上空に枝を広げ、陽光を吸収している。いったい、どれだけの時間この地に根を下ろしてきたのだろうか。
「お……おおぉ……」
足が震える。心臓が早鐘を打つ。だけど、これは断じて恐怖なんかじゃない。むしろそれと対極に位置するもの――未知の体験から来る興奮だ。
俺は今、空を飛んでいる!
『どうだ、絶景だろう? そのまま自由に飛んでみろ』
お言葉に甘え、レバーの握り側面についたトリガーを親指で絞る。後方の魔法陣が起動し、けたたましい噴射音と共にホウキが前進しだす。
使ってみて実感したが、このホウキはどうやら空気の流れを作ることによって飛んでいるようだ。足元に付いた魔法陣で斜め下方向へと空気を噴射する気流を作り、ホウキを浮かばせる。そして後方に付いた噴射機構から空気を送り出し、反作用で前へと進む。原理として一番近いのはホバークラフトだ。
下へと噴射する力と重力が釣り合うまで上昇ができ、一定の高度になれば自然と上昇は止まる。左右への進路変更は体重移動でできるし、転換するにはホウキの頭を少し持ち上げればいい。空気を斜め下に噴射しているためか安定性も高く、よっぽどのことが無い限りひっくり返るということはなさそうだ。お世辞抜きで、これはすごい乗り物かもしれない。
そんなことを思いながら、しばらくの間は空中散歩なるものを堪能する。初めての経験に身体が興奮し火照る。身体を叩く冷たい風が、不要な熱を持ち去っていく。まるで、鳥にでもなったかのようだ。
「うわぁ、高っ……」
怖いもの見たさで下へ目をやる。いつの間にかさらに高くまで登っていたようで、ずっと眺めていると足がすくむ。これは、高所恐怖症には無理だ。
それはともかく、ここでは地上からは見えないものが色々と見渡せる。流れる川の形、市場の規模、町の建物の配置、それから――、
……根の一部が黒く焦げていて、その壁沿いにある穴のように空いた空間、あれは……谷?
目に入ったそれに興味をひかれたその時、
「……ん?」
視界の隅に、黒い何かが映ったような気がした。
世界樹の方向へ目を向ける。すると、遠くで黒い点が浮遊しているのが解った。
多分、飛んでいるのは俺と同じくらいの高度だ。だが、ここから距離はかなり離れている。世界樹の幹の近くだろうか? だとすると、あの大きさの点ならかなり大きなものが飛んでいることになる……のか?
色々憶測を立ててはみるが、小さくて何なのかが良く解らない。かろうじて生物だろうということだけが推測できるレベルだ。
「……遠いな」
その思いが通じたのだろうか。黒い点は少しずつ大きくなっていく。
世界樹の陰から出たのだろう、黒いと思っていた色は濃い緑色だ。少しずつ近づいてくるその体にはせわしなく動く二つの部位――あれは、翼だろうか。段々と確認できるようになった輪郭は、どうもトカゲのような形。
つまるところ、飛んでいるアレは翼をもったトカゲ……あるいはドラゴン? それも、なんだか頭がこっちをもいているような気がする。
……近づいてきてる?
「ガリンさん。世界樹の方向から何かが近づいてきているような気がするんですけど」
『ん? ……ああ、ありゃドラゴンだな。こっちに近づいて来とる』
ああ、やっぱりそうっすか。そんな言葉を心の中でつぶやく。段々と大きくなっていく飛竜を見ながら、どうしたもんかと指示を仰ぐ。まさか、襲われたりは……そんな一抹の不安をながら。
『大丈夫だ。あれはおとなしい性格で有名な飛竜だからな。だが……』
そこで、ガリンが言葉を切る。その時、ここに来て飛ぶ前まで抱えていた嫌な予感が再び自己主張を始めた。
「ガリンさん?」
『………………』
「あれ? ガリンさん?」
不自然に続く沈黙。
何度か話しかけるが、なぜか応答はない。外して確かめてみるが、ぱっと見不具合は見当たらない。ということは、通信圏内から離れてしまったのか? そう思って試しに高度を落としてみるが、相変わらずつながらない。
「…………」
とりあえず通信機を耳にはめ直し、ドラゴンへと視線を戻す。すると、今までの少し目を話した間にドラゴンの姿はかなりはっきりと見えるところまで来ていた。それに、なぜかこっちを見ているような気がする。こうしてみると、目がすごく透明でキラキラしている。
「……俺、狙われてね?」
試しに、少し高度を上げる。
ドラゴンも上昇する。
左右へと平行移動してみる。
ドラゴンも俺の方へと方向転換する。
…………ビンゴ。まさか、こんな形でフラグを回収することになるとは。
――どうしよう。
なぜだろう、こんな状況なのに冷静でいられる。いや、こんなとんでもない状況だからだろうか。
不意に、前に父さんから言われたことを思い出した。熊なんかは実は臆病で、俺たち人間と鉢合わせした際ビビっているのは人間ではなく向こうの方なんだと。そんな時は、向こうを刺激しないように目を合わせずゆっくりと下がっていくのが得策らしい。背を向けて走ったり、大声を上げたりしてはかえって無効をパニックに陥らせるんだとか。
でも、それはツキノワグマに限った話で、ヒグマやゾウなんかはそんなことしても意味なかったような気がする。むしろ、お構いなしに突っ込んでくるとか。ガリンはおとなしい種だと言っていたが……この場合は、どっちのカテゴリーなのだろうか。
そんなことを考えているうちに、どんどんドラゴンの姿は大きくなっていく。
ドラゴンがこっちを見つめる。
咆えた。
全身に鳥肌が立つ。
「逃げよう!」
絶対の後者だ。
方向転換し、上昇レバーと前進のトリガーを思いっ切り押し込む。キュイイイーーンというけたたましい音と共に気流が生まれ、俺を乗せたホウキが急加速する。すごい風圧に目が乾くが、そんなことお構いなしに雲の方向へ飛ぶ。
チラリと後ろを見る。さっきのような急接近は無いが、それでもじわじわと近づかれているような感じがする。多分、このまままっすぐに飛ぶだけじゃ追い付かれる。
突然、視界が真っ白に染まる。一瞬遅れて、雲の中に入ったんだと理解する。すぐに体重を右へとかけて急転換。そのまま雲の中をめちゃくちゃに飛ぶ。追われたままじゃ下に降りる前に絶対に追いつかれる。雲の中で撒きつつ、森の中を低空飛行で広場に戻る。
雲から出る。ドラゴンも雲から飛び出してくる。
もう一度雲の中に入る。視界が白に染まる。
ドラゴンの鳴き声が、ずいぶんと小さくなった。
「……撒いた」
ほっと息をつく。我に返ると、心臓がすごい音を立てて鼓動していた。高速で飛ぶこんな状況でも、尊像の音が鼓膜に直接響いている。多分、一度これから降りたらしばらく立てなさそうだ。
雲から出る。
ドラゴンがいた。
――……ああ、俺死んだ。
走馬灯のように、今までの出来事が蘇る。
だが、ドラゴンが俺を襲うようなことはなかった。
《クエェェッ》
そう鳴くと、ドラゴンは俺の隣を平行に飛び始めた。時たま俺の方を見るが、別に襲うでもなく飛び続ける。その目は、不思議と好奇心に満ちているような目をしているような気がした。
『どうだ、大丈夫だっただろう?』
いまさらなタイミングで、通信が回復した。
「……どういうことです?」
『そいつは世界樹の洞に棲んでるドラゴンだ。雑食だが人間は襲わんよ』
「じゃあ、俺は遊ばれてたんですか?」
『そうなるな。久しぶりに一緒に飛べる相手を見つけて嬉しかったんだろうよ』
思わずドラゴンに目を向ける。ガリンの発言を肯定するように、こいつは小さく鳴いた。
『せっかくだ。もう少しだけ遊んでやってくれ』
「そうならそうだって言ってくれよ……」
言えるはずもないとは解っている。だがそう愚痴らずにはいられなかった。
寿命が数年縮んだ気がする。
◇◆
「今日はありがとうございました!」
「なんの、なんの。こっちもいいデータが取れて満足だ。嬢ちゃんの杖はしっかり加工するからな。次来た時に取りに来いや」
「お願いします」
その後、たっぷりドラゴンと戯れること一時間。流石に疲れてきたので地上に降りることにした。何でも、常にオドを垂れ流し続けるような燃費らしい。そこが問題点だなと、ガリンはほくほくしたような顔で言っていた。そのころにはルナも船酔いから回復しており、獣の血が混ざっている同士なせいか不思議とドラゴンになつかれていた。
そして現在、すっかり日が傾き滞在時間の限界が迫っていた。名残惜しそうなドラゴンとお別れし、俺たちはミレーナとの待ち合わせ場所である国の入り口まで来ていた。ちなみに、あのドラゴンの名前はソフィらしい。ああ見えて女の子なんだそうだ。
「ミレーナさんは、もう少しいるんですよね?」
「ああ、滞在許可を少し長めに取ったからな。それまで三人だがよろしく頼むよ。ルナ、ふたりの面倒を見てやってくれ。酔うようなこともなさそうだからな」
「触れないでください……」
船酔いの話を聴いていたミレーナは意地悪くそう返す。顔を真っ赤にしながら、ルナは下を向いて恥ずかしそう懇願した。
「皆さん。本日は至らぬ案内でしたが同行させていただいて光栄でございました」
俺たちも口々にお礼を言う。初めて会った時と同じく柔和な笑みを浮かべながら、ジュードは一礼をして一歩後ろに下がった。
「それじゃあ、しばらくの間は別行動だ。心配するな、三日で戻る。訓練を怠らないように」
そんな軽口を交わして、ミレーナと俺たちは別行動となった。来た時と同じく彼らが俺たちの手を引っ張り、霧の中へと入っていく。門の前に居るミレーナたちの姿が、一瞬で白く塗りつぶされた。その後、帰り道で特に事件が起こることはなく、俺たちは無事迷い霧の森の入り口に帰ってきた。お礼を言おうと振り返ると、いつの間にか彼らは姿を消していた。
「なんだか。すごかったね」
「俺は身体がだるい」
「イツキはオドを消費しすぎだね。二人とも、帰ってご飯にしよう?」
「今日の当番誰だっけ?」
「あ、わたしだ」
「私も手伝うよ。結局船酔いでつぶれてただけで何もしてないし」
若干不服そうな表情でルナがぼやき、俺と雨宮はどう突っ込んだらいいのか解らず苦笑いした。
それから、ミレーナの言っていた三日が経過し、さらに一週間が過ぎた。
しかし、
未だに、ミレーナからは何の音沙汰もない。
投稿が滞っていて本当に申し訳ありません! 修羅場を回避したので、ぼちぼち投稿を再開します。……回避できたかなぁ……。
長めですがここまで。次話から物語は本格的に動き始めていきます。




