第2章ー7「世界樹の国」
現れたのは、ボロ衣を被った小柄な人間――に見えるもの――だった。
口元までフードを被っており、顔が全く見えない。ローブのようになっているボロ布が地面にまで垂れ下がり、体全体を覆っている。そして周りを、人魂のような光源が舞っている。
わずかに見えるのは、金属パイプのようなものを持つ右手だけだ。しかしそれも、包帯でぐるぐるに巻かれ肌は見えない。人間だと思ったのは、手の形が俺たちのものと一緒だったからに過ぎない。
「やあ。久しぶりだ」
ミレーナが片膝をつき、身長を彼に合わせた。その言葉に答えるように、彼は深くお辞儀をする。そのまま顔を上げ、ミレーナと握手をした。
『……………………』
そして、彼が俺たちの方に顔を向ける。
相変わらず言葉は発しない。
「ああ。この子たちは私の弟子だ。大丈夫、危害を加えるような人ではないよ」
じぃっと見られているのは、目が隠れていても露骨なまでに解った。
スタスタと俺たちに近づき、彼は俺たちの周りをぐるぐると回る。そして、装備品を少し引っ張ったり、くんくんと匂いを嗅いだりしている。動かない方がいい――そう本能的に悟り、直立不動でされるがままにする。
二十秒ほどたったくらいだろうか。
『……、…………。』
彼が、大きく頷いた。そして俺の手を取り、やけに冷たい手で握手をする。次はルナ。そして最後に雨宮。それで満足したのか、彼は小柄な体を翻し、ミレーナを追い越して先頭に立った。
すると、
「――な⁉」
「へ⁉」
「……っ!」
飛び出した声は、三者三様。それでも、驚愕という感情が主だったことは同じはずだ。
なぜなら、右手が燃え上がったのだから。
握手をした右手が、青い炎に包まれる。間違いなく炎はそこにあり、霧の中で風に揺れている。普通に考えれば大惨事。それでも、俺たち三人は驚きこそすれど慌てることはなかった。
それは、どういうわけか全く熱さを感じることはなかったからだ。
火は確かにそこにある。だが、そこに付随するはずの熱いという感覚が伴っていなかった。それに、炎が燃えているのであればそこには燃えているものも当然存在しているはず。しかし、服は全くと言い切っていいほど燃えていない。俺の身体も、焼けただれるといった変化は起こっていない。
「……消えた」
そして唐突に、炎は鎮火した。ロウソクの炎へと息を吹きかけるように、突然、何の前触れもなく、何の痕跡もなく。
否、ひとつだけあった。
右手に、刺青のようなものが浮き上がったのだ。
複雑であるが規則性が見つからない謎の模様。廃墟の壁を覆っている草の蔓のような模様。まるで、いつかのアニメの再放送で見た英霊を使役するアレのようにも思える。
「気に留めることはない。それは、彼らに入国を認められた証拠だ。いわば入国許可証ともいえる。直接の害はないよ」
そう言って、ミレーナは袖をまくる。露わになって右手には、俺たちと同じ模様のソレがあった。
それから、変化がもう一つ。霧が一気に薄くなった。
その言い方をすると誤解があるか。正確に言うならば、『白』から『濃霧』になったというのが正しい気がする。空間認知もままならない理不尽な空間ではなく、ただの自然現象である」濃霧になった。これも、彼に入国を認められた結果なのだろうか。
と、そんなことを考えている俺、それから雨宮とルナに、ミレーナは言った。
「さあ、入国の許可ももらったのだ。彼の案内に従おう」
いつの間にか、先ほど握手をした彼はテトテトというかわいい足取りで。だいぶ先を歩いていた。
案内されるはずの俺たちを置いて……。
◇◆
井戸水や温泉、石油などは、段々ととれる量が多くなっているというわけではないらしい。一センチ先にそれがあっても、地上で掘っている俺たちには全く出ていない風に見えるらしい。そしてある日、その層に達した瞬間、唐突に吹き出してくるのだ。
つまり、何が言いたいのかというと。この霧もそれと同じものだったということだ。
いきなり、視界から霧が消えた。
徐々に明るくなっていくのではなく、まるで元々霧などなかったとでも言わんばかりに、何の痕跡も残さずに霧は消えた。薄暗い霧の中から、陽光がさんさんと輝く中へと放り出される。あまりに急激な変化に目が追い付かず、反射的に瞑ってしまう。
目を開けたその先には。
「木の……根」
「おっきい……」
左右から、呆然としたような声が聞こえた。
立ちふさがっていたのは、巨大な木の根っこだった。普段想像するような大きいという尺度じゃない。本当に、高層ビルを真横に倒したと思ってもいいくらい規格外なのだ。もしかしたら、それ以上かもしれない。
そんな根っ子が、前方の上下左右に広がっている。首が痛くなるほど曲げても、青空が見えるばかりで向こうに何があるのかは解らない。この国の特徴である世界樹すらも、その姿を拝むことができない。もはや、壁と呼んだ方が正しいのかもしれない。そうだ、これは外部からの侵入を防ぐ城壁だ。
そんな壁など見飽きたとばかりに、案内の彼は何の反応もなく根の壁を伝い歩き出す。それに続いて俺たちも進む。
何気なく、ついいつもの癖で木の根に手を触れる。
ひょっとしたらいけないことなのでは? と、気が付いた瞬間背筋に冷たいものが走った。だが、〝案内の彼〟はチラリと俺を見ただけで、それ以外は特にリアクションを起こすことはなかった。場所と状況だけに、ほっと胸をなでおろす。
触った見た感触は、根というよりも木の幹に近かった。感触は硬く、押しても凹むようなことはない。しかし、どことなく有機物特有というか、生物特有というか、そんな印象を抱かせる矛盾した感触だ。
硬い癖に、表面はやけにツルツルとしている。木の幹にあるようなすぐにはがれる樹皮はなく、しっとりとした皮のようなものだ。そして、ところどころに苔が生えている。苔といいはしたが、実際は見たことのない植物だ……。
どれくらい、歩いただろうか。
「着いたぞ。ここが入り口だ」
これまた、巨大な穴が現れた。
まるで、粘度の壁に型を押し込んで開けたかのように、根の壁にぽっかりと開けられた穴。全体から見れば小さめだが、これだけでも俺たちの十倍はある。大きいと噂されるセルシオの町の城門に比べても、大きさはけた違いだ。
その入り口に、たたずむ者がひとり。
「ミレーナ様。そしてお弟子様がた」
うやうやしく、頭を下げた。
「お持ちしておりました。ようこそ、ラルーク王国へ」
そう言って顔を上げたのは、見た目二十代後半の男だった。
かなりの長身に、細身の体形。優男のような警戒心を抱かせない柔和な表情で微笑み、服装はかなりしっかりとしている。胸にいくつかバッジのようなものを着けているところから見ると、その辺にいるような人物ではないということだけは解った。
何より、少々不釣り合いなほどに伸びた長い耳。
彼はエルフだ。それも、ミレーナのようにハーフではない。正真正銘、この国に住む国民の証。
「すまないな。無理言って入国審査をさせて」
「いえいえ。ミレーナ様の頼みとあれば、決して無理なお願いなどではありませんよ」
その言葉に、ミレーナは微妙な表情を浮かべる。だが、それも一瞬のことで、気づけばもうその表情は別のものにすり替わっていた。ジュートと呼ばれた男性は気が付いていなかったようで、今度は視線をこっちへと向ける。
「このお三方が、ミレーナ様のお弟子様で?」
「あ。申し遅れました。雨宮 晴香です」
「ルナです」
「神谷 樹です」
「ええ。お名前はうかがっておりますとも。本日は、皆さんの案内を務めさせていただくジュードと申します。一応、ラルーク王国の文科部門に籍を置いておりますので、お見知りおきを」
そう自己紹介をし、ジュードは柔らかく微笑んだ。
◇◆
ミレーナとは別行動になる俺たちは、案内役を務めてくれるというジュードに従って――ここまで案内してくれた〝フードの彼〟は、いつの間にか姿を消していた――道を進む。いま進んでいるこの道はどうやらメインストリートとでも呼ぶべき場所らしく、食べ物や雑貨といった店が多く立ち並んでいた。どことなく、セルシオの町の雰囲気に似ている。
それでも、ひとつだけ明確に違う点はある。
「カミヤ様が抱いている違和感とは、入国者があまり見当たらないという点でしょうか?」
「え、ああ、はい」
思っていたことを言い当てられ、わずかに声が裏返る。
そう。このメインストリートには、俺たちのように入国してきた人間が少なすぎる。ほとんどがエルフやドワーフといった人間以外の種族であり、滞在する人間もまた、皆が同じ服装をしている。外国から来た旅人で、そんなことがあるはずがない。
部外者がいないのだ。もう、鎖国と言っていいほど少ない。
「確か……入国審査が凄く厳しいとは聞いています」
「その通りです。他国からの出入りを禁止しているわけではありませんが、それ自体は厳しく管理させていただいております。無論、滞在日数を超過することも原則として認められておりません」
「それは……世界樹があるから、ですか?」
「アマミヤ様のおっしゃることも理由のひとつです。規則を緩めてしまうと、どんな輩が潜伏してしまうか分かりませんから」
だが、雨宮の言っていることは言葉通り理由のひとつでしかない。それどころか、理由の核にはなっていないと言ってもいい。本当の理由は……。
「この国が、〝実験国家〟だからっていうのも理由ですか」
「ご名答。流石ミレーナさんのお弟子さんだ。説明がしやすいです」
本当の理由は、この国の存在自体に大きくかかわるからだ。
このメインストリートから目を少しずらせば見ることができる、建物ごとに振られた区画番号と建物番号。建物の規格はほとんどが統一されており、大きさごとに区画が割り振られているのが解る。例えば、ここは商業エリア兼宿屋が存在する場所。この区間を出れば、建物の大きさは完全に統一され、飲食店のようなものは一切なくなってしまう。
それもすべて、ここが『実験国家』と言われているからだ。
「この国には、輸出できるような資源はありません。いえ、厳密に言えばあるというべきなのでしょうが、それをするということはこの国を亡ぼすことにもつながります。事実上、物資を使った貿易はできない状態です」
輸出できるものとはつまり、世界樹にまつわるものだ。そんなことを、精霊や妖精が許すとは思えない。
「ですが、この国の環境は実験にはうってつけだったのです。大気中のマナ濃度は高く、瘴気も排出量にさえ気を付けていれば世界樹が浄化してくれます。製造する製品の試験をするにも環境がいい。そういった理由で、同盟国に限ってですが、技術実験場としてこの地を提供しています」
ものを輸出できないなのならば、技術を輸出する。それも、他国に実験場を貸すことによってそれを自国の技術として取り込むことができる。実験によって得られたデータは、そのまま自国の技術となる。
故に、付いた名前が『実験国家』。フランスや日本、アメリカといった国々が観光収入を得ているのと同じく、この国では実験場を提供し、それによって得ることのできる技術と収入で国家を保っているのだ。いわば、一昔前の経済特区に近い。
数が少ない少数種族たちが生き残るために編み出した策。圧倒的に数が多いヒトという種族と対等になるために生み出した策。それによって、この国は今でも永久中立国として同盟国とは対等な関係でいる。
ここで、
「――――ルナ?」
ルナがやたらと静かなことに気が付いた。
「……へっ? え? な、何?」
その言葉で、ルナははっと我に返ったようだった。さっきの状態は、ぼーっとこの町を眺めていたというか何か考え事にふけっていたというか、そんな感じだった。
確かに、ルナはあまりしゃべらない方だ。冗談も言うしそれなりに話もするが、もっぱら会話をしているのは俺と雨宮だ。ルナはそれに相づちを打ったり、補足説明をしたりということが主。しかしそれでも、さっきまでのルナはいつものそれとは違った。
「いや、やけに静かだったから……」
「確かに。どうしたの?」
「う、うん。別に大したことじゃないんだけど、」
そこでいったん、言葉を切った。
「なんて言うのかな。この国……どこか懐かしい感じがする」
そう言って、少しだけ目を細めた。よく見れば、耳もわずかに垂れているし、表情もどこか柔らかい……というか緩んでいる。いつも、家でしか見せないような表情だ。
「それは、ルナ様が銀狼種だからでしょう。先ほども申し上げたように、この国はマナが豊富です。銀狼種のあなたにとっては過ごしやすい環境になっているのでしょう」
「さあ。着きました」と、ジュードが立ち止まった。
「ここから先が、世界樹の区間となります」
でかい――飛び出てきた感想は、あまりにチープでセンスのないものだった。口にするつもりは元々なかったが、本気でそれ以外の感想が浮かんでこなかった。
遥か空の彼方へと向かって真っすぐに伸びる、一本の大樹。かなり離れているこの場所からも、その全長を正確にうかがい知ることはできない。首を伸ばしても、伸ばしても、まだ上がある。てっぺんまで見上げてしまうと、後ろに倒れ込んでしまうのではないかという錯覚に陥った。一体、どれだけ太陽の恵みを吸収し続けているのだろうか。
そして、その巨大樹に圧倒されて忘れそうになる、これまた巨大な湖。
世界樹が生えている場所は、この国の中でもことさら隔離されているような島になっている。琵琶湖を想像すれば解るだろうか。あれくらい巨大な湖が目の前には広がっており、その中心となる場所にそれはたたずんでいる。
難攻不落の城――なんとなくそんな印象を受ける。
世界樹は、中が一部空洞のようになっている。そしてその巨大さゆえに、空洞の空間も巨大。それを、世界樹が傷つかないよう細心の注意を図られ加工し、内部を天然の図書館としているのだ。その歴史は、優に五百年を超えるらしい。
他にもいろいろ施設があるとか、てっぺんには世界樹の宝が眠っているとか色々な噂が立ってはいるが、その真偽は不明だ。
「おっきい……どれくらい直径どれくらいなのかな」
「詳しく把握しているわけではありませんが、少なくとも、この国を覆っている根の壁よりも太いと聞かされています」
雨宮の興奮混じる問いに、ジュードが静かに答える。しかし、その顔はどことなくほころんでいて、俺たちの反応を喜んでいるようにも感じる。やっぱり、褒められると嬉しいものなのだろうか。
「でも、よく許可が下りましたね」
当然と言えば当然だが、意外に思わずにはいられない。なにせ、あの場所は国の中でも最も需要な場所なのだから。
「もちろん、万人に世界樹への渡航許可は出されません。皆さまが、ミレーナ様のお弟子さんだからですよ。あのお方のお弟子さんならば問題はない。そう判断されたのです」
「すみません。私たちのために」
ルナが、ぺこりと頭を下げる。それに続いて、俺たちも慌てて頭を下げる。
「いいえ。ここまでできるのは、ミレーナ様の尽力のおかげ。お礼をなさるのであれば、わたくしではなくミレーナ様になさるとよろしいでしょう」
どこまでも、ジュードは謙虚だった。
そして、
――あの中に……。
「あの中に……魔導書が」
雨宮も、思っていることは同じだったようだ。
「おっしゃる通りです。あの中には、過去に失われた書物や魔法陣の研究書が複製され保管されております。皆様方の求める本も必ずあると思って間違いないでしょう」
召喚魔法の魔導書――俺たちがこの国に来た理由がまさにそれだ。
結局、膨大な蔵書量をほこるミレーナ宅の書庫にも、召喚魔法陣についての情報はなかった(元々ミレーナはその道専門ではなかったため、当たり前といえば当たり前だが)。
しかも、召喚魔法陣とはとっくに昔に消失してしまったオーバーテクノロジー。存在していたらしていたで、国の最高機密にあたる情報だ。おいそれと見つかるはずない。それがミレーナと俺たちが出した見解だった。
だが、この場所なら。そう思ったミレーナが、わざわざコンタクトを取ってくれたのだ。
ここには、絶対に何かの手掛かりがある。
たとえ、召喚魔法陣ではないとしても、俺たちが元の世界に戻る方法の手掛かりが。
迷い人が現れる仕組みが…………。
「一週間後……でしたよね?」
「はい。皆さんが世界樹へ入る許可が下りるのは、一週間後の予定です」
当然ながら、国で最も重要な場所に部外者が簡単に入れるわけがない。
「ですので、今日はぜひおすすめさせていただきたい場所があるのです」
「場所、ですか?」
「?」
ルナが、そう返す。雨宮が、隣でクエスチョンマークを浮かべる。
「ええ。わたくしの古い友人が経営している店なのですが、きっと気に入ると思います」




