第2章ー5「『ご・め・ん』と、ありがとう」
――……ここは?
気が付けば、俺は不思議な場所にいた。
どこまでも続く、果てのない世界。クラリとするほど真っ青な空が、上にも、下にも一面に広がっている。陸と空の境界が溶け込み混ざり合った、不思議な世界。その果ての無さは、底のない海の闇を見た時と同じ恐怖を俺に突きつける。だけど、不思議と冷静でいられた。
一歩前へと踏み出し、ここがどういうところなのかようやく理解する。足元に広がっているのは確かに底のない空。それでも、足の裏には確かに地面の感触がある。
きめ細かな砂のようなものが足元にはあり、その上から薄く水が張っている。軽く足を動かせば、足下の空はいとも簡単に歪んでしまう。この空は本物じゃない。そうだ、ここは例えるのなら――、
「……塩湖?」
ウユニ塩湖……正確にはウユニ塩原。かつては美しい塩の大地として知られ、今ではその下に埋まるリチウムの採掘によってその姿を無残なものに変えられてしまった大地だ。しかしなぜ俺はこんなところにいるのだろう。場所が解ったところで、それが解らなければどうしようもない。
まるであの時みたいだ――そんな感覚を抱きながら、直近の記憶を掘り起こしてみる。
日中は、ミレーナから課せられた依頼の山を雨宮たちと三人でこなしていたはずだ。その後、後藤の店で少しだけ話をし、それからしばらくしてレグ大尉に食事へと誘われていた。
しかし、それ以降の記憶がない。どっと疲れて寝てしまったのだろうか。だとしたら、ここは夢の中だろうか。それにしては、色彩がはっきりしているし身体も思うように動く。普通の夢のように、身体が言うことを聞かないとかそういったことが無い。
そして、俺を困惑させているものがもう一つ。
――……鏡?
すぐ真正面に立てかけられた、姿見だ。
俺の全身が映るほどの、そこそこきちんとした鏡。よく見ると、これにも見覚えがある。そうだ、これは現実世界の俺の部屋にあったものと同じだ。高校になって一人暮らしを始めるからと、父さんたちが買ってくれた「独り暮らし応援何とか」に入っていたもの。
それだけがここにあった。
それだけしか、この世界にはなかった。
――何なんだよ……ここ。
いよいよ訳が分からなくなり、ぼうっと姿見に映る自分の姿を眺めてみる。もちろん映るのは、真っ青な空とそれを移す鏡のような地面。そして、目の前にいる自分自――、
『よう。元気そうだな』
「⁉」
自分自身、そのはずだった。
笑った。鏡の中の俺が。
腕を上げた。そんなこと、鏡の前の俺はしていないのに。
「お前、誰だよ」
『解ってるだろ? オレは、お前だよ』
解って当然という態度で、オレは俺を置いてきぼりにし話を進める。だが、俺にとっては全く理解不能の状況なのだ。できることといえば、ただひたすらに困惑するだけ。解らないという意思表示をすればいいと気が付いたのは、数秒後だ。
「いや……知らない」
『あー、そっか。覚えてないのか』
返答を聞くや否や、めんどくさそうに鏡の向こう側で頭を掻く。その仕草も、口調も、自覚している限りでは俺と全く同じ。向こうのオレの言うように、もう一人の俺がいるという認識が一番近かった。
だとしたら、どうして俺はふたりいるのだろう。
一番簡単なのは、夢だからで片付けることだ。というよりも、それが一番可能性が高いだけだが。あと考えられるのは、俺のクローン。または精神に侵入している悪魔とかそのあたりだろうか。可能性は低そうだが。
「ここは、どこなんだ?」
『ん? ああ。ここはお前の精神世界だよ。別の世界とかじゃない』
「じゃあ、何で俺はここに?」
『んー……、多分、相当無茶したからじゃないか? 心当たりとかは?』
「あ……、あの時の薬」
『多分それだな』
すぐに思い当たったのは、迷宮内で使ったあの薬。結局、使えるということしか解っておらず大博打を打つに近いものだった。オレも頷いていることからして、どうやらそれを使った時の後遺症にこれは入るらしい。
あの薬は、確か扱えるオドのリミッターを瞬間的に外すものだ。ということは、それを使ったことでこの世界に入る回路が開いてしまったということだろうか。
「もう一つ質問。どうして出てきたんだ? 俺と入れ替わろうとか考えてる?」
『まさかっ。そんなわけないだろ』
ケタケタと、オレが愉快そうに笑う。腹を押さえ、うっすらと涙を張り、声を押さえることもなく。その表情からは、敵意や悪意といった類の感情は読み取れない。
それどころか、その笑顔は少し悲しそうにすら見えた。
『ただ、謝りたかったんだ』
「?」
どういう意味を指しているのか、解らなかった。
「それは、一体どういう……、」
『お前が――――――』
そこからさきは、聞き取れなかった。
なぜなら、世界から音が消えたから。
鏡の向こうで。オレは俺に向かって何かを言っている。しかし、何を言っているのかが全く分からない。
理解できないということじゃない。ただ聞こえない。音が空気を震わせる感覚が唐突に消えたのだ。先ほどまで鼓膜を震わせていた振動が消え、風が肌を撫でる感覚だけが残る。
「ちょっ、なんて? 聞こえない」
そのとき、
ぐにゃりと、世界が歪んだ。
まるで、色粘土を混ぜるかのように景色がつぶれ、引き延ばされ、境界線があいまいになっていく。陸と空の青が混ざり、溶け合い、色が消えていく。
白い空間に、鏡と俺たち二人だけが残った。
「―――――っ⁉」
どうなってっ⁉ そう言ったつもりだった。だが、自分の声すらも耳には届かなかった。喉を震わせている感覚はあるのに、音は聞こえない。喉は揺れているのに、それを伝える媒体が無い。
ズブリと、身体が地面にのめり込んだ。
『時間切れ』この四文字が脳裏に浮かぶ。そうか、ここは俺の精神世界。ということは、夢から覚めるのと同じで時間制限が存在するのか――本能的に、そう理解していた。それ故に、抵抗はしなかった。
世界が、崩れていく。
目の前の鏡だけが、はっきりと形を保っている。
その向こう側で、オレが何かを言っていた。
『ご・め・ん』
そう言っているように感じた。
◇◆
――…ツキ。イ……。
何かが聞こえる。
静かで落ち着いた女の人の声だ。それがどこからが聞こえてくる。
――イツキ。
ああ、これは俺の名前だ。俺を呼んでいるんだ。
その瞬間、四肢の存在をはっきりと認識する。自分と他の境界線が完全に分かれ、俺という意識が光の中へと急浮上していく。
「イツキ」
顔を上げる。
目の前にいたのは、師匠であるミレーナだった。
「え? ……あ」
「勉強熱心なのは良いことだが、無理をするのは感心しないな」
呆れたように顔をしかめ、大きくため息をつく。その背後には、俺たちの背丈よりはるかに高い本棚が見えた。
見上げれば首が痛くなるほど高くにあるステンドグラスの天井には、夜の闇が映っている。視線を戻せば、あちこちには薄橙に光るランプが明かりを放っている。そして、俺が肘をついているのは巨大なテーブル。周りには三冊本が広げられ、残り五冊がすぐ右横に積まれている。どうやら、俺はここに突っ伏していたらしい。
ここは、書庫だ――ようやく、そのことを理解した。
思い出した。俺はここで調べ物をしていて、寝落ちしたんだ。
「すいません。寝落ちしてました」
「いくら体力があるといっても、あれほどの依頼をこなせば疲れもするさ。そんな時に調べ物をしても実にはならんよ」
「すみません」ともう一度謝る。「しかたがない子だ」とミレーナは苦笑いし、小型杖を一振りする。それに呼応して消灯していたランプが起き上がり、光を湛える。
「その量をひとりで運ぶのは難しいだろう。私も運ぼう」
「いえっ、そんな」
「さあ、行った行った。落とさないように」
反論の間もなく、特に分厚い四冊が放り投げられる。慌てて腕を伸ばすが、本がある位置は俺の指から数センチ先。どう考えても受け止めきれないことは明白だった。
その瞬間、手を伸ばした数センチ先で本が静止する。今度はしっかりと本を掴むと、それと同時に本が質量を取り戻し手の中に納まる。なんてことはない。そう言った理屈かは知らないが、魔法で浮かされていたのだ。冷や汗をそのままに顔を上げる。放った張本人であるミレーナは、なんとも意地の悪い笑みを浮かべていた。
「……脅かさないでくださいよ」
「反応が遅いな。精進、精進」
はめられた、その思いから少しばかり文句をつける。だが、ミレーナは薄く笑うだけでそれを流し、俺のことなどお構いなしに先へと進んでいく。遅れるわけにもいかず、小走りで追いつき並んで歩く。ありがとうございます、と声をかける。気にするなと、ミレーナは笑う。
元々、同じ本棚の本しか持ってきていない。そして、それを持ってきた本棚まではかなりの距離がある。それゆえ、ミレーナとは必然的にずっと一緒にいることとなる。コツコツという、二人分の足音だけが書庫に響く。
「首尾はどうかね」
唐突に、ミレーナが口を開く。
「あまり……良くはないです。技術的な方から考えていくにはまだ力不足ですから、伝承で近いものがあるかどうかを調べていたんですが」
「見つけたものが大雑把すぎる――といったところだな? 加えて、かなりのブレがある」
「はい。覚悟はしていたんですけど」
「そう簡単に見つかりはしないだろうなぁ。それで、どうするつもりなんだ?」
「一応、見つけた話の中で共通点を探しています。あとは、下調べをしてからその場所に行ってみるかな、と」
「そうだな。今はそれしかできることはない」
視界の先に、そのままになった脚立が見えた。俺が使っていたものだ。ミレーナを追い越し、その脚立に上る。場所を見失わないように置いて置いたノートの切れ端を抜く。そして、両側の本を起こしてできたその隙間に、切れ端に書かれた題名の本を戻していく。
下に置いたものを取りに戻ろうと振り返ると、すぐそばにそれが浮いていた。下にいるミレーナに礼を言って、本を受け取り元在った場所へと戻していく。
脚立移動も含めて約三分。作業が全て終わった。
今度は出口に向かって歩き出す。再び、コツコツという音が書庫に響く。
「ありがとうございます。手伝ってもらって」
「構わんさ。私も君に用があったからな」
気にするなとばかりに、ミレーナは手をひらひらと振る。
「用、ですか?」
「そうだ。まあ、付いてきたまえ」
そう言うと、ミレーナはひょいと角を曲がった。その先には扉がひとつ。どうやら、そこが目的地のようだ。そこまで、距離は十数メートルしかない。ほんの十数秒ほどで、目的地へと到着する。
「ここ……ですか?」
たどり着いた扉は、何の変哲のない木の扉だ。大きさも、普段使っているものとほとんど同じ標準的なサイズ。『倉庫Ⅰ』という札が、こちらの世界の言語で書かれていた。
「そうだ。何せ正面扉は大きいからな、これを使うには」
ゴソゴソと、ローブについたポケットをまさぐる。絹ずれの音に混ざり、チャリッという金属のこすれる音が布を通して鈍く鳴いた。どうやらそれがお目当てのものだったようだ。ミレーナの手がするりと抜け出る。
姿を現したその手には、どこかでよく見たものが握られていた。
「鍵?」
数本の鍵束だった。
俺たちが使うシャープペンと同じくらいの、少し大きめの者。造りは単純で、まっすぐかつ細い円柱の先に合い形が付いている。よくドラマなどで見かけるスケルトンキーだ。
「これは、個々のカギですか?」
「そう言っても間違いではないな」
「?」
意味が解らず首をかしげる。それを見て、ミレーナは一本の鍵を手に持った。
「いいか、イツキ。これは鍵穴がある扉なら大抵使うことができる。使い方は普通の鍵と同じ。入れて回すだけだ」
手に持った鍵を、そのカギ穴へと差し込む。
ゆっくりと左に回す。
カチリ、
錠の外れる音がした。
「さあ。入ってみたまえ」
その言葉と同時に、腕をつかまれ扉の方へと放り出される。大きく前へとつんのめり、手を突こうと扉に腕を伸ばす。そのとき、タイミングよくミレーナが扉を開けた。
ゴウッと、一陣の風が吹いた。それは部屋の中にしていささか強すぎる風で、窓を開け放っているのは明らかだ。だが、部屋の中から何かが飛んでくることはない。紙も、ペンも、部屋の埃さえも。
前を見る。
思考が停止する。
目の前に広がっていたのは、どこまでも続く空。
……………。
………?
………………………ッツ‼
「おおおおおおおぉぉぉぉお⁉」
全身の毛が総立ちになる。ひゅぅという冷たい感覚がへその下あたりを撫で、全身に鳥肌が立ったのが解った。しかしそれを自覚したところで、身体にまとわりつく慣性は止められない。
部屋の中だとか、そんなことはどうでもよかった。そんなことは何の救いにもならなかった。
だって、目の前は地面が無いんだから。
間一髪で、ドアのふちを押さえることに成功する。木が割れんばかりの力を込めて、ふちを握りしめる。そこでようやく、身体を止めることに成功する。
「驚いただろう?『間繋ぎの鍵』というんだ」
つかまれた襟が、ぐいっと後ろへと引かれる。数歩後進し、鼻先で扉が閉められた。
「どうだ?」
「何するんですか! 死ぬかと思ったわ‼」
師匠であることも忘れ、噛みつく。
忘れていた鼓動を急に思い出したかのように、心臓が早鐘を打つ。耳の奥で鼓動の音が鳴り狂い、身体中に冷たい汗がにじんで肌着を湿らす。地面に手をついていてなお、さっきの浮遊感にも似た感覚が平衡感覚を惑わせる。
「〝間繋ぎ〟という言葉通り、この鍵は二つの扉をつなぐ役割を果たしている」
「何事もなかったかのように説明するの止めてもらっていいですか?」
不満などお構いなしに、ミレーナは説明を続ける。
「この間の迷宮攻略時に、王都にいるはずの私が駆け付けただろう? それができたのも、この鍵のおかげだ」
「じゃあ、雨宮がミレーナさんを呼びに行けたのも……」
「ご名答。この鍵のおかげだ」
ジャラリと、鍵の束が音を立てた。
「それぞれの鍵がどこにつながるのかは造った時に決まる。基本、変更はできない」
ミレーナの説明によれば、それは魔法具と呼ばれるものの一種らしい。
魔法具とは、その名前から察するように魔法的な役割を果たす道具のことだ。身近な例えを上げるとすれば、『空飛ぶじゅうたん』や『魔法のランプ』がそれに当たるらしい。
そして、この鍵のようなものは特にオーパーツに分類されている。オーパーツとは、現在の技術力では再現不可能な品のことを指し、それらは個人や国家間によって高値で取引される。おそらく、雨宮が話さなかったのはそのあたりの理由もあるのだろうか。
しかしそれよりも、気になることがある。
それは――、
「それで……あの、どうしてそのことを俺に?」
俺に見せる必要があったのかということだ。
はっきりって、なぜミレーナがあの場所に来れたのかなんてもう気にしてはいなかった。ミレーナだから来たんだという風に割り切ってしまっていた。そこからは、特に聞くつもりはなかった。
だからこそ、これを見せることの意味が良く解らなかった。オーパーツの存在を俺にさらしたところで、メリットよりもデメリットの方が大きいようにしか思えないのに。
「見せる必要があったからだよ」
薄く、ミレーナは笑った。再びポケットの中に右手を差し入れ、引き出す。
「これを渡したかったんだ」
引き出された手の中に、もう一本の鍵が握られていた。
さっきと全く同じ形状。違うのは、頭の部分が赤色に塗られていることぐらい。
つまりこれは、さっきミレーナが使ったものと同じ……。
「開けてみなさい。大丈夫、今度はきちんとした場所だ」
ミレーナを信じ、鍵穴に受け取った鍵を差し込む。ゆっくりと、反時計回りに回す。カチっという小さな振動が、手のひらに伝わった。
ノブを掴む。そのまま右手首を回し、前へと押し込む。何の違和感もなく、扉は開く。
――ここって……。
ミレーナの言う通り、目の前にあったのは部屋だった。
明かりは点いておらず、真っ暗で奥の方は暗闇に溶け込んでいる。しかし、薄暗い中にいくつかの扉があることがぼんやりと見える。
まるでそれは、どこかの家の中に見えた。
埃っぽく、一歩足を出すとその部分だけくっきりと跡が残る。長い間人の手が入っていない証拠だ。木が痛んでいないのは、強い木を使っているのだろうか。それとも防虫成分か何かを含んだ木なのだろうか。
「いつだったか、君は訊いたな。どうして俺たちにここまでするんだと」
「はい」
前々から、気にはなっていたことなのだ。
ミレーナがやさしいのは、一緒に暮らしてきて良く解っている。ルナを育てていることからも、悪い人ではないことは重々承知している。それでも、町の人たちの声を聞けば聞くほど疑問を抱かずにはいられなかった。
なぜなら、ミレーナはいままで一人として弟子を取ったことが無かったから。
どれほど際のある者が訪ねてきても、弟子入りを志願しようとも、ミレーナは冷たく突き放していたらしい。それを聞くたびに、なぜ俺たちを弟子に取ったのか不思議で仕方がなかったのだ。
迷い人として価値があるというのなら、とっくに俺たちは何かをされているはずだ。というよりも、実験材料にするなら抵抗するための力など授けないはず。だが、ミレーナは俺たちに魔術を――戦うための術を叩き込んだ。魔術が使えない俺には、魔法陣や魔法薬学の知識を叩き込んだ。
結局、用事が入ってあのときはうやむやになってしまったが。
「昔、私も弟子を取ったことがあったんだ。だけど、私が至らない師匠だったせいだろうな。その子はもう、帰らぬ人になったよ」
「……あ」
「ふふ、ずいぶんと馬鹿げた理由だろう?」
ふと、ひとつの可能性が浮かんだ。同時に、胸のあたりがチクリと傷んだ気がした。
それを見たミレーナが、自嘲気味に笑った。
「似ていたんだよ。いいや。瓜二つと言ってもいい。ハルカは私の知人に、君は私の弟子に」
「……じゃあ、この鍵は」
「そう。私の弟子が持っていた鍵だ」
醜いだろう? と、ミレーナが問うた。
君たちを別の人物と勝手に重ねている。君たちを成長させて、あの時の贖罪をしているような気になっている。自分の罪を、軽くしようとしている。あの子たちが救われた気でいる。
自分勝手だろう? と、ミレーナは嗤った。
迷惑だろうに。と、肩を落とした。
「迷惑なんかじゃないですよ」
「…………」
最後の言葉だけは、どうしても受け入れたくなかった。
「ミレーナさんがどういう気持ちで俺たちを拾ったんだとしても、そのおかげで俺たちは救われたんです。それは事実です」
ミレーナがどう思っていようとも、そんなことは俺たちに関係ない。俺たちにとっての事実は、それで俺たちが救われたということだけなのだ。
もし仮に、ミレーナがその負い目を感じていなかったら、俺たちは助けられていたか分からない。仮に助けられていたとしても、決してミレーナは弟子に取ろうとなど考えはしなかっただろう。そうなれば、俺たちがどうなっていたのか……そんなこと想像もできない。確信できるのは、今のように笑うことはできなかっただろうということだ。
――その人にとっては、君の動機なんてどうだっていいの。君のおかげで助かった。大切なのはその部分――
あの日、雨宮に言われた言葉だ。まるで、俺が雨宮になってミレーナを見ているような、そんな錯覚を抱く。
雨宮の言う通りなのだ。今ははっきりと確信できる。内心でどう思っていようとも、その行動のおかげで俺たちはいまここに居る。この場所で、笑っていられる。そのことに感謝こそすれ、文句を言うことなんてできるはずない。もしその通りになれば、俺たちはここにはいないのだから。
だからこそ、
「だから、迷惑なんかじゃないですよ」
これだけは、ちゃんと言わなければいけないのだ。
「ありがとうございます。あの日、俺たちを助けてくれて。弟子に取ってくれて」
その想いに、俺たちは助けられたのだから。
「…………敵わないなぁ。君たちには」
顔を上げることはしなかった。
だってその声が、湿っていたような気がしたから。
後日談は終わりです。
次回から、物語が動き始めます。




