第1章ー31 「四方魔法陣」
《あらすじ》
「この迷宮の仕組みが解りました」
樹の記憶には、誰かの記憶が宿っていた。その記憶が迷宮の仕組みを樹に語る。雨宮と衝突し、心にわだかまりを抱えながらも樹は攻略へ向かう。
もう、止まれない。
もう、やるしかない。
決意、不安、恐怖、不信感――様々な思いを抱えながらも、攻略隊は前代未聞の『迷宮主同時攻略作戦』を実行する。
樹を待つのは、最悪の敵 《ヴィンセント・コボルバルド》
負けられない戦いが、いまここに幕を開ける。
なぜだろう、胸騒ぎがする。レオ・グラディウスは攻略が始まる前から感じていた。今、再びゴーレムと対峙しているのは、最初に突入した人数の三分の二。敗走した時よりも多いとはいえ、兵力は充分ではない。だが、それ以上に問題なことが別にある。
《ヴォォオオオ――――ッ‼》
ゴーレムが咆えた。とたんに、先ほどまで削ってできていた傷が見る見るうちに修復されていく。無機物でできた巨体は、本来の状態へと戻っていく。
「ああもう! 埒が明かない」
隣に、細身の少女が着地する。バルマスクを着けフードを被り、完全防備をしている。しかし、ぐもったその声は聞き覚えがある。フードの隙間からは、人間にはない耳がピクピクと動いている。
「下が戦闘を始めたみたいだね。ゴーレムは防御に徹してる。イツキの言う通りだ」
「あとどれくらいなんだろう」
「さあ? とにかく、僕たちはこいつを削っていこう」
どちらかが合図をしたわけでもない。だがそうとしか言えないほど同期した動作で、レオとルナは走り出した。ルナは自身の双剣を、レオは大剣を引き抜きゴーレムへと接近する。それを確認し、前に出ていた遊撃隊がすぐさま後退。代わりに重装兵が前に出て盾を構える。
倒せるかどうかと訊かれれば、レオ一人でも倒すことはできる。簡単だ、精霊の力を借りて風の魔法を放てばいい。そうすればさっきと同じことができる。
しかし、そういうわけにもいかないのだ。あの魔法をもう一度はなったところで、ゴーレムは何度でも再生してしまう。それに引き換え、マナが回復するしばらくの間は、アレどころか全ての魔法が使用不可能になってしまう。精霊たちが自身を吸収されてしまわないように逃げてしまうのだ。そうなれば、大気中のマナが回復する速度は極端に落ちる。割に合わない。
「僕が切り崩す」
「了解。その後に続く」
ルナが一気に減速。それをしり目に、足にオドを込め一気に跳躍、全てを抜き去り加速する。先にゴーレムの警戒範囲に入ったからだろう。意識がこちらに向かい、案の定振り上げたこぶしは攻略隊ではなくこちらへと牙をむく。鉄ではないと言っても、あの質量の石だ。強度は鉄以上と考えていい。だとすると、まともに打ち合えば刃こぼれどころかこちらの剣が一撃で折れてしまう。
ならば、
「残念。的の大きさを考えた方がいい」
真面目に受けてやる理由などない。
ひらりと、寸でのところで真横に跳躍する。拳の叩きつけられた地面は大きく亀裂が走り、拳の形にえぐり取られる。衝撃で、ゴーレム自体の動きが鈍る。続いて拳を引く、運動の方向が真逆になり、動きが一瞬だけ完全に止まる。時間にして、一秒もない。
しかしそれだけあれば、間合いのさらに内側へと入るには十分だ。
跳躍したその足で、ゴーレムの腕に着地する。ゴーレムが視認する前にレオは再び跳躍、腹を通り過ぎ足へと向かう。がら空きになっている足周り。右足を軸として、そのつま先で体重を支えている。
わずかにひび割れたその足の可動部分は《魔法陣》。その場所を――、
「高すぎるんだ。少し合わせてくれないかい?」
たたき壊した。
キィィィ――ンッツ‼
という、金属を断ち切ったかのような鋭い悲鳴が耳を突いた。
足の先――人間で言えば指の付け根にあたる部分だろう――五か所の小さな魔法陣は、それらが繋がる根元が破壊されたことによって輝きを失う。そして、そこから先が朽ちて崩れ落ちる。それはまるで、その場所だけ何百年も時間を早送りさせた様だ。
ずるりと、踏ん張っていた右足が支点を失って滑り出す。ぐらりと、支えを崩された巨体が大きく前に傾く。そうはなるまいと、ゴーレムが攻撃を中止し両手と両膝をつく。
高さがちょうど、人間の頭上に来る。
「突撃!」
わああああ! という雄叫びとともに、前衛がゴーレムへと突進する。それを隠すように魔法が飛来、炸裂する。風属性が砂を巻き上げ、ゴーレムの視界をふさぐ。煙幕が立ち込める中、砂が、水が、火が風が、武器に乗ってゴーレムへと直撃する。魔法を武器にまとわせ、物理攻撃に魔法の効果を付与する……王国騎士団に伝わる秘奥義だ。
魔法をまとう魔剣が、ゴーレムの身体を容赦なく削っていく。ひときわ大きな衝突音が石を砕き、先ほどと同様の音が鳴り響く。頭上の右腕が、音を立てて崩れ落ちた。
いままでにない悲鳴が、広間を震わせる。残った左腕がめちゃくちゃに振り回され、回避行動を取り損ねた前衛数人が吹き飛ばされる。「退避!」という命令がかかり、それと同時に全員がゴーレムの間合いから姿を消す。
十分に間合いを取り、ゴーレムの姿に注目する。それは、あることが起こっているか見るためだ。イツキの言いうことが本当ならば、いまこの攻撃で、体のどこかにその証拠が現れていても不思議じゃない。
ゴーレムが再び咆えた。煙幕を振り払い、ゴーレムが完全にその巨体が露わになる。煙幕の中で感じた通り、ゴーレムの体はひどいありさまだ。腕は半分千切れているし、足も片方が欠損している。いまは、残った腕と足で無理やり体勢を立て直しているような状況だ。もう一撃喰らわせてしまえば、すぐにバランスを崩すだろう。だが、ゴーレムの恐ろしさはそこではない。
また咆えた。すると、広間の床が光を帯びる。割れ目にはまった透明な水晶が紫の光を放ち、壁に埋まった発光石も同様の光を湛える。以前の戦闘で起こっていたのだ。あの時は魔獣の乱入などであまり余裕がなかったが、この光景ははっきりと脳裏に刻まれている。
足元の石が、小刻みに動いた――そうかと思えば、まるで磁石に引き付けられているかのように宙を舞い空間を直進する。飛んでいく先は、もちろん岩でできた巨体。大小さまざまな石ころが追従し、くっつき、砕け、ひとつに固まっていく。
むき出しの肩口から腕が生えた。まずは肘先まで、その次は手首まで。そして最後にごつごつとした腕が再生される。気が付けば、足の指先も何事もなかったかのように修復されている。生き残っている魔法陣から輝線が伸び、修復部位全体に広がる。
「……どこだよ」
後ろからそんな声が耳に入る。
全て、元通りになった。
魔法陣には、すぐに解るような欠損部分はない。手足の指の本数も、腕の長さも細さも、全てが元通り。いくら中止しようとも、イツキの言っていた印が見つからない。もしや、本当に思い違いだったとでもいうのか。
いや――、
「――――あった‼」
すぐ横で、ルナが叫んだ。
「左わき腹と右足のふくらはぎ。傷が消えてない」
よく見ると、それは確かに見つかった。ルナの言ったとおりの場所に。しかも、左わき腹の部分は魔法陣同士をつなぐ魔力回路が一部だが切れている。目を凝らさなければ解らないほどの傷。しかし、それは確かにさっきまではなかった。
イツキが言っていたことがよみがえる。
――俺の記憶が正しいなら、奴らは命以外のすべてを同期してるはずだ。
――攻略が始まったらできるだけ広範囲に攻撃を当ててくれ。俺たちも同時に攻撃する。もし、俺の言ってることが正しいなら……、
――どこかに必ず、治らない傷ができるはずだ。
「びんご……でいいのかな?」
彼に聞いたお国言葉を口に出す。確か意味は『成功』とか、『正解』とかそういう意味だったはず。だとするなら、いま使っても間違いないはずだ。
気が付けば、笑みが浮かんでいた。いつも浮かべているような人当たりのいい笑顔ではない。もっと強烈で暴力的な笑み。いままで出さないようにしてきたものだ。騎士になると誓った時から、封印してきた笑み。
いや、いまはそんなことどうでもいい。そう考えなおし、いらぬ思考を排除する。イツキの言っていることが正しいということはほぼ証明された。だとするならば、することは決まっている。
今はとにかく、ゴーレムに攻撃を当て続ける。こっちの体力が続く限り、延々と。ゴーレムが動けなくなるまで淡々と。止めは、イツキたちがしてくれる。
「そっちは頼むよ。イツキ」
初めて会ったという気がしない少年へと、届かない声をかける。
◇◆ ◇◆ ◇◆
雄叫びが、広間を揺さぶった。
向こうが態勢を整える前に行った一斉攻撃。炸裂する魔法に隠れて繰り出された斬撃は、何の抵抗もなくヴィンセント・コボルバルドの皮膚を貫き筋組織を分断する。傷口から煙が吹き出す。可視化できるほどに高濃度な瘴気の煙だ。
一斉攻撃で刻まれた大小さまざまな傷。吹き出す瘴気に、全員がその場からいったん離れる。そうしている間にも、傷口はふさがっていく。吹き出す瘴気の量が絞られ、やがて止まる。俺たちが攻撃する前の状態に、ヴィンセント・コボルバルドは戻っていく。
それでも――、
「……よしっ!」
気が付けば、そんな声が出ていた。左手を握り締め、腰のあたりで小さくガッツポーズする。俺は賭けに勝ったのだという安堵と、それをかき消すほどの鼓動の高鳴りを自覚する。心臓がうるさい、身体が熱い。
見つけたからだ。
奴の右横腹と後ろ足。止まることのない瘴気の煙と、一向にふさがらない傷口を。それはすなわち、作戦が十分に実行可能であることを示す。
「大丈夫! 効いてる!」
通信機にそう怒鳴る。同時に、各所で歓声が上がる。まだ倒したわけでもないのに、それに匹敵するかのような熱気を感じる。
これではっきりした。ゴーレムとこいつは、二体でひとつの体なのだ。
奴らは、何らかの方法で身体を同期している。どちらの体にも、お互いの遺伝子情報か何かが保存されているのだろう。一方を攻撃されると、無事な方の体から設計図が何らかの方法で送信され傷が再生する。『同じ場所』を『同時に』攻撃しなければ、傷は今のようにすぐさまふさがってしまう。
そう考えるなら、やはり核も同様なのだろう。一方が壊れたところで、もう一方が無事であるならすぐさま修復が始まる。いま奴らは、お互いのバックアップデータを持っているという状態に近いのだ。一方が傷つき倒れたとしても、もう一方が無事であるならば蘇る。つまり、奴らを倒す条件は、同時に核を破壊するほかない。
《グゥァァァァッツ‼》
歓声をかき消すかのように、咆哮が轟く。ヴィンセント・コボルバルドの目が、俺たちへと照準を合わせている。奴らは倒すべき敵なのだと、恐らくいまので認識された。
「――! 直線上から離脱!」
そう悟ると同時に、ヴィンセント・コボルバルドが大きく体を倒し〝伏せ〟の状態を取る。記憶が浮かぶ。浮かぶと同時に指示を出し、俺たちも真左へと一気に飛び退いた。
ドゥッ‼ 一陣の風が駆け抜けた。
俺たちの何十倍もの体積を誇る巨体が、まるで砲弾のように急加速しすぐ真横を通り過ぎる。かき分けた風が突風となり、身体を持ち上げる。背中に刺さる金属器が音を立てる。それと同時に耳に届く、鈍い接触音と鋭い破砕音。それがなんであるのか――認識した瞬間に、背筋に冷たいものが走る。
「何人やられた⁉」
『一番隊、三人!』
『三番隊、四人!』
「八番、九番隊、けが人輸送!」
了解、という応答が入り、助けられた騎士たちの輸送が八、九番隊に引き継がれる。入れ替わるように重装兵部隊の四、五番隊が前へと進み、盾を構える。
冷や汗が流れる。予想していたよりも攻撃の範囲が大きい。彼らは突進を避けたはいいものの、突風で体勢を崩したところに一撃をもらったのだ。やはり、事前に伝えているだけでは不十分だ。攻撃を避けることだけを考えていてはいけない。攻撃そのものを、できる限りキャンセルするのだ。
「魔法士部隊A、B煙幕で足止め! C、D、E隊、魔法陣用意! 六番、七番、C、D、Eを守れ!」
緑色の煙幕アノスンセント・コボルバルドの顔面で炸裂する。それと同時に、足元へと火球が打ち込まれる。目の見えないあいつには、いまここは、踏めば何かが起こる地雷原と化している。そうそう大きな行動はできないし、何より予測しやすいはずだ。あらかじめ構えていた重装兵――四、五番隊が前へと踊り出る。感覚任せに振られる前足を盾でうまくいなし、輝線部分に攻撃を加える。
同時に、安全地帯で後方支援をしていた魔法士たちが数人、魔法陣展開のため手筈通りに散開した。重装兵の残り半分である六、七番隊がC、D、E隊の魔法士に張り付く。目指す場所はいま奴がいる壁のちょうど向かいに位置する壁。地面に走る亀裂と水晶体が最も多い場所。
『魔法陣準備完了まで、あと二分』
数十秒後、通信機から声が飛び込む。それと同時に、腕時計のパネルを押して針を進める。彼女らが描こうとしているのは、簡易魔法陣。「あと二分!」そう通信機に入れれば、再び士気が爆発的に膨れ上がる。
そもそも、魔法陣とはマナの変質を目的とする幾何学模様のことを指すため、どうしても複雑なものになってしまう。しかし、それでは実戦で使えない。刻一刻と安全地帯が変化する迷宮攻略などもってのほかだ。
そのために開発されたのが、簡易魔法陣だ。これは、亀裂のように地面を広がる発光水晶を使う。それを魔法陣のようにつなぎ、簡易的な魔術行使を可能にする。もちろん、オリジナルのものよりも明らかに威力は劣る。しかし、これが使えるだけで攻略は一気に楽になる。奴の足を、動きを、封じることができる。
風魔法は絶えず発動し、煙幕は霧散することなくヴィンセント・コボルバルドの視界と嗅覚を奪い続ける。無茶苦茶に振るわれる巨腕は、騎士がいなし、弾き返す。斬撃は呼吸する間などなくぶつけられ、ヴィンセント・コボルバルドの体には回復しない傷が増えていく。
『あと一分』
そのとき、
「――――⁉」
両後ろ足が、限界まで縮みこむ。それはさっき見た光景と瓜二つだ。だとすれば、奴がやろうとしていることは容易に予想できる。強引に、この状況から脱するつもりだ。
「全員離れろ!」
咆哮が、容赦なく鼓膜を殴りつけた。
縮みこんでいた両足が、解放され一気に跳ね上がる。強烈な加速度で砲弾と化した巨体は、煙の壁を二つに引きちぎり、まるで目標があるかのように跳躍した。
下方から、迎撃魔法が炸裂する。風が巨体を取り巻きバランスを崩させ、土魔法が散弾のように足へとめり込む。水が凍りと化し、無防備な腹部へと突き刺さる。それでも、一度走り出したものは止まらない。血を流し、瘴気をまき散らしながらも、十数メートルの跳躍を成し遂げ同時に次の目標を品定めしている。わずかに口が開き、よだれがこぼれた。
視線の先には壁。
そこにいるのは、魔法陣を編む魔法士たち。
「狙いは魔法士!」
「させるか‼」
そんな声が耳に届く――直後、着地した巨体の頭に何かが直撃した。右の顎に打ち込まれたのは、ひと二人分ほどの大剣。しっかりと骨に突き刺さり、直進する巨体に左方向の力が加わった。着地直後の不安定な巨体は、バランスを崩し左前へと頭から倒れ込む。
「うっしゃあ‼」
少し離れた位置にいる巨漢が、ガッツポーズをしていた。彼は確かアノスという騎士。貴族出身ではなく、平民で真っ当に入隊試験を受け合格枠をつかみ取った実力者。
「そのまま引き付けて! 四番、援護! 魔法士はアノスさんだけが常に見えるよう攻撃!」
『おうよ!』という野太く頼もしい声が帰ってくる。同時に陣形が変化し、アノスを守るように組み替えられる。それ以外の騎士は離脱し、必要最小限の人数を残し治療のため陣地へと退避する。
直後、再び煙幕が炸裂する。ヴィンセント・コボルバルドの視界を徐々に縮めていき、明いているのは右斜め前――つまりアノスのいる方向だ。
「よし来いッ、犬っころ!」
ギョロリと、血走った目玉がアノスを捉える。そして数秒後、明らかに怒気のこもったうなり声が耳に届く。『この距離』『あの態度』とどめに『あの体格』まるでそれらを瞬時に分析し、自らの顎に突き刺さる鉄の塊が誰の仕業なのかを理解したように感じた。
のそりと起き上がり、身体をアノスと対面するように向け直す。右前足で地面を掻く。突進しようとしている、そのことは明白だ。
一瞬のこう着。その後、
《ガァァァアッ!》
巨体が溶けるように前へと動き出した。
先ほどとは明らかに動きが違う。さっきの突進は、広範囲を巻き込む全体攻撃。対してこれは、特定の個体を狙いその命を刈り取らんとする……いわば必殺の一撃。大気を引き裂くのではなく、その隙間を縫うように進む。身をギリギリまで落とし、得物への攻撃を外さぬよう繊細に制御された、洒落にならないほどに凶悪な攻撃。
ぐばっ! と、ヴィンセント・コボルバルドの口が開いた。肉を切裂き骨をへし折る、剣のように巨大な歯がのぞく。顎に剣が突き刺さっていようともその動きに支障はない。掠るだけでも重症となる唾液を滴らせ、ひと一人など丸呑みできる地獄への門がアノスの身体をすっぽりと囲む。
バクン!
「――――⁉」
鼻息荒く、周囲に唾液をまき散らし、乱暴にアノスをかみ砕いた。
光沢のある金属片がヴィンセント・コボルバルドの口周りを舞う。独特のフォルム、部品の形、間違いなくアノスがつけている鎧の一部だ。ゾクリと背筋が凍る。いやな汗が吹き出す。惹きつけろとは言ったが、自分を犠牲にしろと入っていないじゃないか。
しかし、それをまとう肝心の本体がそこにはいなかった。
瞬間、
「ハハハハハッ、うらぁぁぁあッ‼」
噛み合わせられた巨大な口が不自然な勢いで上を向いた。
鎧かみ砕いた口、その真下から上へと突き上げる両手を用いた完璧な掌底打ち。それを行ったのは、噛みちぎられたと思っていたアノス。どうやったのかは知らないが、鎧を変わり身の術として使い。自分は下へと滑りこんでいたのだ。
傷つけることすら困難な硬質の岩盤が、衝撃波でも受けたかのようにひび割れ、それは蜘蛛の巣のように広がる。それと同等の衝撃がヴィンセント・コボルバルドを襲い、妙なうめき声とともにたたらを踏む。
大きくよろめき、数歩後ろに下がる。どうやら顎の骨と一緒に皮膚もやられたようで、舌の裏側――オトガイ下部――には大きな穴が開き、そこからおびただしい量の瘴気が漏れ出す。肉にめり込んでいた手甲の破片が、バラバラと落下してくる。
「イツキぃ、これで問題はないかぁ!」
「十分です! 魔法陣に向かって走って!」
「よし来た!」
すぐさま、アノスは後ろを振り向き魔法陣へと走り出す。その速さは決して早いとは言えない。ともすれば、ヴィンセント・コボルバルドが全力を出せば追い付いてしまうのではと感じてしまうほど。しかし今は、その速度が奴の思考を上手く誘導する。
《オオォォォォォ――――オオッ‼》
刀を持つ手アノスリビリと痺れるのが解った。耳に取り付けた通信機から、それを投げ捨てたくなるほどのジャミングが鼓膜に突き刺さった。耐えきれずに耳を押さえる。次に見たのは、魔法陣へと走るアノスに向かって突撃する怪物の姿だ。
身体中から瘴気が吹き出している。治りかけだった傷口が、さっきの衝撃波で裂けてしまったのだ。死を滴らせ、身体中に輝線を走らせたその体からはもう余裕など見当たらない。目は血走り、口からは血を吐き出し、顎に刺さった大剣が地面を削っていく。
疾走する、地面に亀裂を入れ乱暴に空気を押しのける。そこにまともな思考など見られない。奴の目に映っているのは、自分のこんな目に合わせた憎き捕食対象だけだ。許すまい、許すまい――そんな風に聞こえる怒号を発しながら、アノスとの空間を一気に詰める。十秒もかからず、その距離は十メートルを切る。ちょうどそのとき、アノスが走るのを止め奴の方向を向く。
薄ぼんやりと発光する『簡易魔法陣』の真上で。
「はめられた」ヴィンセント・コボルバルドがそう言いたげな表情を浮かべた時には、全てが手遅れだった。
◇◆ ◇◆ ◇◆
魔法陣が、一気に光を強める。
蛍のような粒子がチラチラと舞い、ヴィンセント・コボルバルドの巨体を緑色に照らす。
慌てて両前足を突き出し、後ろ向きの加速度を加える。
しかし勢いは減衰しながらも、身体は慣性の法則にしたがい前へと動き続ける。
ようやくその巨体が止まる。そして目を見開く。
それは魔法陣のど真ん中だった。
「俺の剣返せ」
ガクンと、右顎に痛みと衝撃が走り、突き刺さっていた異物がその存在を消した。
次に感じたのは、尋常ではない力の濁流。身体を包み込み、乱暴に干渉する。
そして――、
『冷たい』この感覚はそういうものなのだと、ヴィンセント・コボルバルドは生まれて初めて理解した。
◇◆ ◇◆ ◇◆
わあああ! と、歓声が上がった。ヴィンセント・コボルバルドの両足は凍り付き、関節の駆動部分までが氷におおわれている。
動かせるのは胴体と頭部だけ。この状況から脱しようと、体をくねらせ必死にもがく。だが、分厚くまとわりつく氷はそれをよしとしない。苛立ちをこめたなうなり声をあげるだけで、抵抗と呼べるような行動ができない。
体は動かず、脱出できない。傷は治っていくが、その巨体を囲っているのは王国最強の戦闘集団。
彼らが、見逃すはずもない。
「叩き込め!」
間髪入れず、大剣が腹部を貫いた。そのまま解体でもするかのように、刃こぼれを起こした剣は強引に肉を引きちぎり、浮かび上がる輝線をなぞっていく。それに続くように、動ける騎士たちはヴィンセント・コボルバルドに飛び掛かった。
数人の騎士が重装兵から借りた盾を持ち跳び上がる。落下する勢いそのまま、面を背中に叩きつける。背中に刺さっていた武器が、ハンマーに打たれたかのように沈み込む。
何十年経っているのかは知らないが、腐っても鉄製品。折れ、砕けながらも、それらは身体の奥に刺さりこみ内臓を損傷させる。関節に入り込み、ヴィンセント・コボルバルドの動きを阻害する。長い時を経て、その役割を果たす。
人外の悲鳴が木霊した。
巨体から赤黒いしぶきが飛び散り、数瞬遅れて瘴気が栓を外したように吹き出す。
その姿に、大きな変化はない。
――まだ。まだいける。
今の段階で、攻撃手段を指定する必要はない。というよりも、彼らの方がそっち方面の知識は持っているはずだ。俺が気を配らなければいけないことは、もっと別にある。
――まだ来てない。もう少し。
ぐるりと、広間を見渡す。まだ周囲の様子に変化はない。だが、俺の中にある記憶が確かなら、もうすぐその兆候が表れるはずなのだ。安全策を採ってあると言っても、俺自身が楽をしていいということではない。それが機能しないものとして動かなくては、失敗すれば、取り返しのつかないことになる。
『なるほど、これですか。見つけましたよ』
通信機に、この迷宮攻略で聞き慣れてしまった独特な声が飛び込んできた。続けて、声の主であるレグ大尉から、どこにそれがあるのかの指示が出された。指示された通りのことに注目してもう一度見渡す。
注目していたのは、壁にも埋め込まれている水晶体。その中で、いくつかだけがまるで生きているかのように不自然な明滅を繰り返している。そしてその壁には、はるか昔に刻まれたと思われる魔法陣。
明滅する水晶体を視線で繋げていく。すると、それはヴィンセント・コボルバルドを囲むような領域を浮かび上がらせる。間違いない。探していたのはこれだ。そして、その範囲もいまはっきりと解った。
『では、私は手筈通りに』
「お願いします」
レグ大尉との通信が切れる。
直後、
《オオォォォォォオオッ‼》
咆哮とともに、まがまがしい空気が拡散した。ゾクリと、背筋が凍るような嫌な空気。チラリと計測器に視線を向ければ、値はすでに危険域にまで達していた。
同時に、地面に輝線が走る。
光ったのは、壁の水晶四か所。それは放射状に広がるのではなく。いつの間にか引かれていた練成陣をたどり直線的に広がっていく。完成したのは、四角形の陣。偶然にしては形が整いすぎており、しかし魔法陣にしては簡略化しすぎた代物。
――来た!
その内側に、もう一つのサークルが生まれた。それは、外のものよりも黒く、歪で、禍々しい。この中にいてはいけない――そう本能が直感してしまうほど。攻略隊すらも、思わず地面に目を向けてしまう。そして、瞬時に理解した。
これが、作戦前に言われていた奴の切り札なのだと。
「輝線外に飛び出せぇぇえ‼」
そう言った時には、もうすでにすべてが始まっていた。
ある者は負傷兵を抱え、間に合わないと思った者は自らの武具を投げ捨て、一目散に張られた四角形の外へと飛び出す。全員が、半ば転がるように離脱した。
その数秒後――、
強烈な光が迸った。
四角い領域の中に生まれた歪なサークル。その内側全体が真っ白に発光し、光は暴風となって走り抜ける。史上最悪と言われた魔法が発動する。内にいる生命体を、全て死滅させる。
その魔法の名は――『四方魔法陣』
時が止まる。目の前で起こったことを、仮に数秒遅れていたとしたときの運命を理解し、ここにいる全員が動けなくなる。
「ううむ。中々に性根の腐った魔法だな」
いつの間にか、俺の隣にはさっきまで前にいたはずの巨漢がいた。その言葉に、心の中で大きく頷く。
サークル内の地面に、コウモリが散らばっている。
広間の天井に張り付き、迷宮主に集まる瘴気を喰らって生きる生物だ。それが魔法の影響をモロに喰らい、絶命したのだ。
そこには、生命と呼べるものはいない。
その領域上にいるすべての生命体のオドを過活動状態にする魔法。それと限りなく似た状況が、いま目の前で起こったのだ。
「飛び込まないでくださいよ」
「おいおい、俺だってそこまで馬鹿じゃあない。だが、」
カラカラと笑い、そこで言葉を切る。
「お前の話通り、どうにも出来んというわけじゃあなさそうだ。ここからが、第二段階……と見ていいわけだな?」
「そういうことです」
四方魔法陣は強力かつ凶悪だ。魔法陣であるため、陣を壊すことでしか魔法をキャンセルできない。しかも、生物全てを死滅させると言われている魔法だ。不用意にいじってしまうと暴発する危険もある。現状では、奴を倒すことでしか止めることができない。
しかしアノスの言う通り、どうにかできないわけではない。
四方魔法陣は、術の発動時に領域内にいた生物のオドを過活動状態にする魔法――言い換えれば、発動時に中にいなければ意味がない。つまり、発動時以外は何の危険もない。
もともと、この魔法陣が凶悪だと言われていたのは、有効範囲となる領域が広すぎたことが理由だ。気づいた時には逃げられないほどの広範囲に張る。魔法陣がもつ構造上の欠陥を、そのような力技で解決していたのだ。だが、こと迷宮内での使用という場合に限れば、その方法は取れない。つまり、この魔法が持つ能力を半減させたにも等しい。
初見であればやられただろう。しかし、知っている俺たちにとってはどうとでもなる。油断さえしなければ、十分に攻略できる!
さっきまでが第一段階。そしてこれからが、第二段階。
「――――」
息を吸う。通信機を握りしめ、回線をつなぐ。「突撃!」その言葉を口に含んで――
「――……ッ⁉」
あり得ないものを見た。
言葉を失う。まさか、まさかと、嫌な汗が吹き出してくるのが解った。
ヴィンセント・コボルバルドが発動した魔法は、四方魔法陣。影響するのは、生物が保有するオドそのもの。つまり、それ以外のものには一切の影響はない。
はずだった。
思考が停止し、目に映る事実が素通りする。遅れてその事実を理解し、再度頭が真っ白になる。
キリキリという耳障りな悲鳴を上げて、
計測器の針が、〝即死領域〟を完全に振り切っていた。




