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異世界幻想曲《ファンタジア》  作者: 紅(クレナイ)
第一章 『アルトレイラル(迷宮編)』
30/45

第1章ー30 「Are you ready ?」

 ――翌日――


 準備は、驚くほどすぐに整った。というのも、ボスモンスター二体への同時攻略の限界回数が、持ち込んだ回復薬で二回。つまりるところ、これが失敗しても、もう一回くらいは挑戦できるという状態らしかった。


 もちろん、準備がこれほど早かったのには他の理由もあったのだろうが、俺が知るところではない……というより、知らなくてもいいことだ。あんなことがあった翌日に攻略が行える。その事実だけで十分だ。


「休まなくてもいいのか?」


「外傷は回復しているさ。それに、一度破壊した核は再生して徐々に大きくなっていく。大きくなるほど迷宮主が強くなるのは君も知っているだろう? 早く倒すに越したことはないのさ」


 ボスモンスターは、核によって動いている。核がエネルギー源であり、それを全体に送り出す第二の心臓だ。それが拡大すれば、使う技の攻撃力も上がる。それはすなわち、攻略が困難になるということを示す。


「それは解ってるけど……タフなんだな」


「当然さ。僕たちはそんなにやわじゃない」


 レオは朗らかに笑う。こんな状況なのに、本当に何でもないように笑う。それは、強さからくるんだろう。本当に、レオにとってはこの攻略自体は脅威ではないのかもしれない。


 だけど、俺までそうはいかない。


 いまも、気を抜いてしまえば足が震えてしまうくらいには怖い。死への恐怖もある。でもそれより、他人の命を預かっていることの方がはるかに怖い。俺の采配ミスひとつが、今度は本当に攻略隊全員の命と直結する。そのことが何よりも怖い。「これが失敗すれば、かなりの大打撃になる」その事実が頭から離れず、身体は強ばる。


 だけど、そんなことも言っていられない。

 俺が言い出したことなのだ。これしかないと、そう確信した一手なのだ。俺が怖がってどうする、俺がやらなくてどうする。こうでもしなきゃ、大切な人たちに火の粉が降りかかるというのに。


 通信機の動作を確認する。どうやら正常に作動しているようで、あちこちから聞こえるという意思表示が帰ってくる。俺が持っているのは、貴重な親機だ。これを使えば、攻略隊全員の通信機に一斉に声を届けることができる。


 準備はすでに整った。もう何もすることはない。

 あとは、俺自身の問題だけだ。


「…………これは、僕の持論だけどね」


 不意に、隣でベルトを締め直していたレオが呟いた。


「すべて自分で抱え込んでしまうと、人は案外脆いものだよ? できないことはないと思うけど、自分が弱いって自覚している人にはお勧めしないかな。頼る……っていうのとは違うかもしれないけど、寄りかかれる相手がいるときは寄りかかることをお勧めするよ。逆に、寄りかかってほしいって思う人もいるしね」


 誰、とは言わなかった。いつ、どこで、だれが、何を、どのように――5W1Hが全てそろっているとは言えない不完全で、傍から見れば意味不明なアドバイス。だけど、誰のことを言っているかなんてすぐに解った。


「昨日のアレ……聞こえてたんだな。もしかしなくても……」


 この場に、雨宮の姿はない。


 今朝、連絡隊が輸送隊と一緒に地上へと向かった。ポーションの調達やその他諸々の仕事を済ませるためだ。そしてその中に、雨宮も同行した。


 結局、最後まで何も言えなかった。何を言えばいいのかがそもそも解らず、気の利いた言葉は何も浮かばなかった。結局、「昨日はごめん」というのが、俺の発した言葉だった。


「うん」と、雨宮は頷いた。それから、俺と同じく「昨日はごめん」といった。俺たちが交わした会話は、ぎこちなくてもどかしい。自分で言うのもアレだが苛立ちすら覚えるほどだった。


「なんのことかな?」


「嘘つくなって」


「…………すまない」


 案外簡単に、レオは白状した。


「全部じゃないが。……聞くつもりはなかったんだ。本当はそのことも黙っていたかったんだけど…………」


「隠すの下手すぎるだろ」


「やっぱりそうなのかい? 同世代とあまり話す機会がなかったからかな。諭されることが多かったから」


 そう言って、申し訳なさそうに苦笑する。まいったな、という呟きが、微かに耳に届いた。


「気の利いたことはするものじゃないね」


「いや、そうでもない。……ありがとう」


 レオは、見た目通り優しい性格なんだと思う。弱きものを助け、導く。騎士道精神の塊が彼なのだろう。自己犠牲というか、おせっかいというか。他人が困っていたら見ていられなくて手を出してしまうタイプだ。


 そのおせっかいが、無性にうれしかった。寄りかかるということに、なぜか妙に納得してしまった。それは、俺が自分の性格を良く解っていたからなのかどうなのか……。


 他人に寄りかかったことなんて皆無だ。

 裏切られたらどうしよう、拒絶されたらどうしよう、そんなことが頭をよぎるのだ。すべての人がそんなことするわけじゃないとは解っている。事実、雨宮という数少ない相手もいる。だけど、どうしても考えてしまう。考えずにはいられない。


 多分それは、俺が怖がっているから。裏切られることとか、拒絶されることとか、それ自体が怖いんじゃないと思う。ネットゲームじゃ裏切りは常だし、それには特に何も感じなかった。多分俺は……、


 ひとりになるのが怖いんだ。


 手の中から離れて行ってしまうことが怖いのだ。ひとりになるときのあの苦しさが怖いのだ。そんなことはないと解っていても、頭と感情は別駆動。解っていてもそう感じずにはいられなかった。


 だから、踏み込まなかった。起承転結の『起』を起こさなかった。他人に興味を持たないように、理解しないように努めていたんだ。そのことが、いまになって解った。そして、それはいずれ俺をむしばんでいくとも遠回しに言われた。


 その結果が、昨日のアレだ。雨宮にも関係あることも話さずに、俺がひとりで抱え込んで決めた。多分それが、昨日のきっかけだと思う。レオの忠告に妙に納得したのは、多分、アレがあったからだ。


 ――帰ったら、もう一回謝らなきゃ。


 雨宮は、寄りかかってほしかったんだろうか――その正解は解らない。だから、もう一度話す必要があるんだと思う。今度はしっかり話して、しっかりぶつかって、仲直りしたい。雨宮のことだけじゃない。俺が思っていたことも解ってほしい。こう考えていたんだっていうことも、雨宮には知ってほしい。


 今のままじゃダメだから。もう、他人を拒絶している場合じゃないから。もしかしたら、取り返しのつかないことになってしまうかもしれないから。


 もしかしたら、俺が考えていることはすべて的外れで雨宮がまた怒るかもしれない。それでも、訳も分からず仲たがいしているよりましだと思う。もしそうなったら、申し訳ないけどルナには仲介に入ってもらおう。


 そのためにも、今日は何としてでも。


「それじゃあ、お互いに頑張ろう」


「そっちも死ぬなよ?」


 もちろんさ、というお決まりの言葉とともに――、


 迷宮攻略が幕を開けた。


 ◇◆


 ――迷宮内、裏広間入り口前――


 たった今、ボス攻略の最終打ち合わせが終わった。

 各自、あらかじめに伝えたボスの攻撃パターンに対応して攻撃。俺が司令塔になり、不確定要素の対応やボスの攻撃パターンの変化時は俺が指示を出す。


「……えっと、今回の攻略では、俺が指揮をさせていただきます」


 そう切り出し、慣れない挨拶を始める。本来、これは軍の指揮を上げることが目的なのだ。ここで気持ちを高ぶらせ、一時的に恐怖を取り払う。自分たちがやっていることは正義なのだと、思い込ませるのだ。それなのに――、


 不信感――明らかにその感情が彼らにはあった。

 軍である以上、上からの命令は絶対。それ故に作戦には従う。だが、従うことと納得は対ではない。本当に倒すことなどできるのか……そんなことをみんなが抱いているのが手に取るように分かった。


 ヴィンセント・コボルバルドの攻撃パターンを知っているのは俺だけだ。俺が見た記憶は、多分ここで死んだ誰かの記憶。どういうわけだかそれが精霊を介して俺に届き再生された……そう考えている。もしかしたら、当時とは状況が変わっているかもしれない。それでもないよりある方がいいに決まっている。この作戦が一番可能性が高いと、そう俺は確信している。 


 だけど、それを実感できるのは俺ひとりなのだ。正直、この記憶を見ていなければ俺だって信用なんかしない。『俺は見たんだ。みんな俺を信じてくれ!』なんて、どうやって信じればいいのか。精霊という信ぴょう性はあるにしても、自分の命がかかっているのに、信用できるものか。


 故に、


「俺からは、これだけしか言えません。俺を、信じてください」


 懇願することしかできない。


 正直言って、すでに何をしゃべっているのか、俺には自分の言葉が聞こえていない。音を消した、あるいは未修得の外国映画を字幕なしで見ているような、そんな不思議な感覚がずっと付きまとっている。なんとなく何かを言っているということだけは分かる……そんなイメージだろうか。


 バクンバクンと、心臓がやかましい。これはたぶん、緊張だけの所為じゃない。


「必ず、勝ちましょう」


 びっくりするほど意味のない挨拶だった。それは、この雰囲気を見てすぐさま悟ることができてしまった。口を閉じてなお、士気が上がったとはとても言えず、逆に不信感が募っているようにさえ感じた。俺が喋ったところで何の進展もなかった。やっぱり、挨拶などするんじゃなかった。


 安心させたい。納得させたい。そう思うのに、そうしなければいけないのに――、

 俺には、どうすることもできなかった。


 すると、


「はぁー……なんて顔をしているのですかあなたたちは」


 いつの間にか、俺の真横には人が立っていた。男性にしては少し高い特徴的な声。悪役かと言わんばかりの目つきに真っ赤なローブ――レグ大尉だった。彼も、ここの担当なのだ。というより、俺にこれを提案し、半ば強引に決定した張本人だ。


 裏広間攻略隊全体に、困惑が広がる。「なぜ、ここで彼が」どこからかそんな声が微かに届いた。


「こんなときになってまで、作戦自体に疑問を持っている。いまさら何を言ったところでもう止められないと知っていてもなおです」


 心底呆れ、軽蔑した目。それは、攻略前には絶対にやってはいけない行為の筆頭に来るもの。危惧した通り、すぐさま不穏な空気が立ち込め、雰囲気を塗り替えていく。それは、攻略隊の士気を直接削り取っていく。


「承諾しておいていまさらですが、私も半信半疑です。彼の言葉には不確定要素が多すぎる。これで成功させるなど、まるで夢物語でも見ているようだ」


 怒気が、一気に膨れ上がった。全員が、彼の発言に耳を疑い怒りを募らせる。自分たちの命さえ使いつぶしなのかと、その理不尽さにどよめき立つ。


「そしてこの中には、私の作戦にも不満を持っているものが数多くいることでしょう。あなたたちの雰囲気を見ていれば嫌でも伝わります」


 まずい。これはまずい。


 この迷宮に来て幾度となく感じたものだ。本能が察知し、激しく警鐘を鳴らしている。このままでは取り返しのつかないことになるぞと、訴えかけている。


 一体、それを告白して何のメリットがあるというのだ。いまここで言うべきなのは、自分はこの攻略に可能性を見出しているとか、嘘であろうとも、すでに手は打ってあるとかそんな風なことのはずだ。どうせ戦闘が始まったら誰も真偽なんて解らない。嘘でもはったりを敷いていれば、士気の底上げくらいはできたはずだ。


 仮にも、レグ大尉は王国騎士団所属の彼らの上司に当たる。自分よりも強いものがそう言ったのなら、そうに違いない――そう思っておこう、そんな無言の圧のようなものを創り出せた。その確証はある。それなのに、そのチャンスをみすみす逃した……いや、破り捨てた。その理由が理解できない。


「だからこそ言わせていただく――あなた方は自分の立場を理解していない」


 お前馬鹿じゃねぇの⁉ 


 反射でそう叫びたくなった。いままで感じていた無力感、罪悪感、恐怖、その他諸々の感情が一気に吹き飛び、その思いが思考の大半を占めていた。いったい何を思ってそんなことを言ったのか。


「より良い作戦があり、かつそれを実行する権限があるのなら話は別でしょう。しかしあなたたちにはそれが無い。そのくせ、彼の作戦に不満を持ち引きずっている。いいですか――」


 止めろ止めろ止めろ! 続くレグ大尉の言葉に心の中でそう叫ぶ。


 いまここにいる者たちは、俺を含めてすでにレグ大尉のことなんか信用してはいなかった。いまはかろうじて理性があり、彼が上司であるというリミッターが働いているだけだ。これ以上煽れば、暴動が起こる、そんな気しかしなかった。


 だが、




「冒険者たちの運命は、あなたたちが握っているのですよ?」




 その言葉は、誰も予期していないものだったはずだ。なぜなら、全員の顔がそれを如実に表していたから。全員の時が、きれいに一時停止したから。


 どういう意味なのか、瞬時に判断することができなかった。遅れて理解した内容は、おおよそいまの発言にはつながらないもの。それでも、それしか考えることができない。この場では、あまりにふさわしくない行動だ。


 それはつまり――、


「不満を持つのもいいでしょう。信じないのもいいでしょう。ですが、それを攻略にまで持ち込んで失敗されてはたまったものじゃない。というよりも、その行為そのものが私の作戦を引き寄せていると自覚しなさい」


 脅迫だ。これは、冒険者を使いつぶすという作戦を実行されたくなければ勝て、という冒険者の命を人質に取った脅迫だ。不満も、不信感も、怒りも、全てを強引にねじ伏せ一時従わせる手段だ……。


 ああ、そういうことか。


 すとんと、心の中で何かがおちた。納得というか、理解というか。レグ大尉の狙いは、もともとこれだったのだ。そうだ、そう考えればさっきまでの発言にはすべて納得がいく。


「この作戦に不満を持とうが従いたくなかろうが、失敗すれば私は容赦なく私の作戦を実行する。それが嫌なのでしょう?」


 ここにいる者たち全員が抱いているもの、それは不信感だ。この作戦自体にも、俺にも、そして外道な作戦を平気で立案したレグ大尉にも、少なからずそれは向いている。質の悪いことに、よっぽどのカリスマを持った人物じゃないと不信感というものは拭い去れない。


 レグ大尉は、始めから悟っていたのだ。不信感が自分に向いている以上、もう自分にはどうすることもできないと。だからこそ、まずヘイトを集めた。自分が彼らにとって明確な敵になるように仕向けたのだ。全ては、この作戦に向かわせるために。


「騎士道とやらを守りたいのであれば、あなたたちはここで勝つしかない。どんな思いがあろうとも、ここがあなたたちのプライドを守る最後の砦なのです」


 不信感を抱き、敵意を抱く者の発言を、基本的に人は受け入れようとしない。利することだと頭でわかっていても、よっぽどの者でなければ少なからず反発する気持ちが生まれる。そして、彼の作戦は元々全員が否定的だった。それを踏まえたうえで、それを防ぐためにはこの作戦を成功させるしかないと、そう認識させた。


「選択の余地などないのですよ」


 心理的な抵抗を取っ払ったのだ。


『やらなければ、冒険者たちが作戦に投入される。できなければ、その未来が確定する。

 倒せない可能性があっても、どんなに信用できなくても、結局やるしか道はない。倒さなくてはいけない。そうしなければ、彼の作戦が実行される。

 だったら、

 考えている場合ではないではないか。』


 彼らの心理を予測するなら、そんなところだろうか。


「あなた達には、勝つしか道はない」


 武器を構え直す音が、一斉に鳴り響いた。己を奮い立たせる金属音が、喊声に取って代わった。威勢のいい掛け声や行動など何一つない。それでも、さっきまでだだ下がりだった士気が、気温を上げるほどに高まっていた。

 それでは行きますよ、というレグ大尉の声で、全員が静かに動き出した。


 ――頼むぜ、少年――


 すれ違う瞬間、誰かの声が耳をかすめた。


「なんて顔をしているのです。進みなさい。指揮官はあなただ」


 とん、と背中が押される。そうかと思えば、レグ大尉の姿はもうすでに俺の前にあった。

 その表情は解らない。笑っているのか、真顔なのか、声からも解らなかった。そのつかみどころのない立ち振る舞いは、彼の姿を揺らめかせる。


 結局のところ、彼はどこまで想定済みだったのだろう。


 少なくとも、あの演説は狙ってやったものに違いない。だとすると、俺が失敗することは想定内だったのだろうか。いや、そもそも失敗する前提で俺に挨拶をさせたというのだろうか。だとするならば、俺は完全に彼の手の上で転がされていたことになる。


 ――……考えとも仕方ないか。


 そうだ、そんなこと考えている場合じゃない。考えても仕方のないことだ。


「――よし! 行くか」


 全部終わったら、まず雨宮にもう一度謝ろう。それから、これを話のネタついでに考えよう。今はとりあえず、

 全員無事に、奴を倒そう。


 ◇◆   ◇◆   ◇◆


「……なんっつー瘴気濃度だよ。こりゃあ、マスクが取れたら終わりだな」


 広間へと続く回廊で、俺を護衛してくれる騎士団の一人が計測器を見ながらうなる。その値は、人間の活動限界値を大幅に超えたものだ。いまこのマスクを外せば、一呼吸ほどですぐさま瘴気中毒に陥るだろう。普通の迷宮攻略ではあまり見ないほどの数値らしい。その事実が、この迷宮がいかに異質であるかを物語っている。それは、広間へ近づくにつれてさらに上昇していく。


 ここまでくると、まさか迷宮主までが広間から出てくる可能性はないかと、そんなことを考えてしまう。いくら記憶上はそんなことがなくとも、もしかしてとは思わずにはいられない。


 基本的に、ボスモンスターがボス部屋から出ることはない。いや、出られないと言った方が正しいのか。ゲーム時にボスが出てこなかったのは、もちろんそれが仕様だから。そして、いま目の前でうなっているあいつが出られないのは、『出たら死ぬ』からだ。


 この世界のボスモンスター――こっちの言葉で迷宮主――は、体内に核を持っている。魔獣特有の構造で、それが瘴気をため込み同時に体中に瘴気という力を張り巡らせるという機能を担っている。そして、瘴気は体が大きくなればなるほど消費していく。大抵の迷宮主は、普通に考えれば存在そのものが不自然なのだ。なぜなら、(送り出す瘴気の量)〉〉〉(取り込む瘴気の量)という不等号が成立してしまっているからだ。例えるならば、ソーラー発電で旧東京タワーの電力をも適おうとしているに等しい。


 それが存在することを許されているのは、ひとえにこの広間のおかげだ。迷宮の構造上、全ての瘴気はここにいったん集まり、そして核を通して全体に広がっていく。迷宮主はその制御装置のような役割を果たしているのだ。絶えず供給を受けているが故に、存在できるのだ。


 それでも、もしかしたら何らかのイレギュラーでそれが覆されてしまうかもしれない。そう考えてしまうと、一時押さえこんでいた不安がまたむくむくと膨れ上がっていく。


「そんな顔をするな」


 そう声をかけてきたのは、俺のすぐ右にいる重装兵だ。まっすぐ前を向きながら、意識だけをこっちに向けている。


「不確定要素など考えても無駄だ。どうせ対応なんぞできんのだから、いまはそれ以外のことに集中しろ」


「は、はい」


 はっと目が覚めた気がした。

 ごもっともなことだった。確かに、仮にそれが現実に起こったとして、何ができるというのだろうか。せいぜいが、この先にある入り口を何らかの方法で塞ぐとかそんな程度だ。それしかやることが無いのに、いま考えても仕方がない。


「心配するな。何を考えているかまでは知らんが、お前は俺たちが守ってやる」


 俺の周りには、五人の重装兵と二人の魔法士がいる。指揮官である俺を守るためだ。広間に着いたら俺は入り口付近に陣取り、そこから指揮をとることになっている。その布陣が、言うまでもなく心の支えとなっている。


「あの……そう言えば」


 それについては、不思議な点が一つあるのだ。


「大尉は護衛しなくても?」


 俺の前を歩いているレグ大尉、彼には一人も護衛が付いていない。俺は七人体制なのに、彼は――、


「ああ? ああ、あの人は、まぁ大丈夫だ」


 そう言えばそうだった、そんな様子で説明してくれる。


「あの人、強さだけは一級品なんだよ。本来ならもっと偉くなってるはずなんだが……大尉って地位にいるのも、偉くなって机に張り付きたくないんだと。前に半強制的に昇進させたら、問題行動起こしまくったらしい。あの地位にいればおとなしいから、上はそうしてるってさ」


 ごくりと、つばを飲み込む。つまり、彼はレオと同格レベルで強いとでも言うことだろうか。あの魔法チートと同じくらい……。


「――――っと、着いたみたいだな」


 目の前に大きな空間が広がっている。そしてその奥には大きな穴が口を開けており、そのさらに奥には奴がいる。ここからは、不用意な会話をしている場合じゃない。ここからは、気を抜けば死ぬ。


 通信機のスイッチを入れる。ここからは、俺の仕事だ。


「――重装兵。壁に沿って広間に展開」


 すぐさま、重装兵たちが動き始める。入り口からゆっくり突入し、察知されるギリギリの距離で展開する。


「総員、突入」


 それを確認し、俺たちも中に入る。一瞬で瘴気濃度が上昇し、視界に靄がかかる。

 広い――この場所に対して感じた素直な感想だ。地下奥深くにあり、真上にはゴーレムがいるというのに、空間の広さは俺がいた高校の体育館並み……よりも少し大きいかもしれない。球体を半分に割った空間。その壁いっぱいに発光石が埋まっており、それが一昔前の水銀灯の役割を果たして俺たちを照らしている。


 その中央に、奴はいた。


 狼をベースにしたと思わせる四足歩行の巨体。その背中には大量の剣や槍が突き刺さり、見るからに痛々しい。だが、本体の異形さには敵わない。一体、何種類の魔獣を混ぜたというのか。


 《ヴィンセント・コボルバルド》――ここがゲームであれば、仰々しいエフェクトと共にそんな文字が浮かび上がっただろう。巨大な四肢を折り、瘴気の渦に身を任せている。まだ、俺たちの存在に気が付いていない。


「攻撃準備」


 金属音が、一斉に鳴り響いた。剣を抜き、槍を構え、杖を向ける。今か今かと、戦意を研ぎ澄ませる。


「まだです。合図を待ってください」


 放っておけば弾けそうになる緊張を、ぎりぎりで張り続ける。いま攻撃しても無駄だ。こっちは、上のゴーレムに比べてはるかに質が悪い。ここで消耗するわけにはいかない。


「まだ。まだです」


 まだだ、いまじゃない。ヴィンセント・コボルバルドの体には、まだ何の変化もない。いまはまだ、攻撃の時じゃない。緊張の弦が、限界まで張り詰める。


 永遠にも感じる静寂。


 遂に、


 《――――――ッツ‼》


 その時が来た。


 咆哮が、広間いっぱいに轟いた。


 バネが弾けたかのように、ヴィンセント・コボルバルドが起き上がる。そして、不快そうなうなり声をあげてもだえる。

 その足には、縦横無尽に走るいくつもの輝線。


 ――来た!


「一番、二番、前へぇえ‼」


 鬨の声が、咆哮をかき消した。


 火ぶたが、切って落とされた。





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