第1章ー2 「日常の最終日」
漆黒の刀が煌く。
闇夜の中でそれは吠え、一筋の輝線を描き、ヤツへと吸い込まれるように加速する。衝突により爆音が生じ、空気を軋ませる。激しいライトエフェクトがダンジョンを照らし、怪物が浮かび上がる。
体長約八メートル、牛と羊を混ぜた容姿に、その巨体を覆う赤黒く発光する皮膚。属性は闇、このダンジョンの階層主 《アストロ・ボーン》。その体には、無数の傷が刻まれている。
闘いは佳境。この数十秒で、戦況は大きく傾く。
アタッカーが吹き飛ばされる。
お返しにと魔法が炸裂する。
色彩豊かな爆発が、ダンジョンを彩る。
「オオオォォ————ッ‼」
咆哮とともにヤツの口内が、バチバチという耳障りな音を立て、青白く光りだす。
「前衛、退け‼ 詠唱急げ‼」
立て続けに起こるイレギュラーに、指令の声が怒号に変わる。詠唱が加速し、魔法が構築される。コンマ数秒の誤差で、戦況は大きく傾く。
チリチリと肌を焦がす、あの嫌な感覚が身体を包む。
詠唱が紡がれ、空間に魔法陣が出現する。
口から溢れ始めたスパークが、大気を焦がし始める。
最終シークエンスに入り、魔法が組み立てられ始める。
アストロ・ボーンの待機動作が終わる。
魔法が、顕現する。
世界が、白銀に染まった。
◆◇
——迷宮都市、カリバンケルヴ、メルシーの酒場——
「それでは、ダンジョンの単独攻略を祝して……カンパーイ!」
「「「カンパーイ‼」」」
カオルの掛け声に合わせて、ジョッキが高々と掲げられる。琥珀色の液体が、ぶつかった拍子に飛び散り数珠丸となって宙を舞う。そして、俺たち男性陣は中身—エール—を一気に飲み下し、並々と注がれていた液体はあっという間にジョッキから姿をくらませる。
「っかぁぁぁあ、ウマいね! やっぱ祝い酒は格別だな!」
一番初めに一気飲みを終えたダンジョーが、開口一番、なかなかにオッサン臭い台詞を吐いた。それに賛同するように、カゲタカもニマニマ笑いながらうなずく。
「お前らやけに上機嫌だな。どうしたんだよ、さっきからニヤニヤして。なんかあったのか?」
エールを飲み干し、まるで酔いつぶれたオッサンのように騒ぐ二人に疑問を抱き、好奇心から思わずそう尋ねる。
「あっ……そうか、お前は知らなかったのか」
「これ見てみーの」
思い出したようにダンジョーはつぶやき、カゲタカが数枚の紙きれをストレージから取り出す。半券のようなそれをカゲタカから受け取り、そこに印刷されている文字列に目を通す。
『ダンジョン《スペルヴ》攻略予想——チーム《ドラゴン》単独撃破』
『賭け金、100万ゴールド』
『賭け金、上乗せ』『賭け金、上乗せ』『賭け金、上乗せ』『賭け金——
………………。
「これ、ウチのパーティーじゃん⁉ なんだよ、賭けって!」
VRMMORPG 《カリバー・ロンド》には、、競馬や競艇よろしく『賭けシステム』が実装されている。その内容はさまざまであり、それを本職とするNPCのグループに接触すれば現実同様の賭けができる。
「ダンジョン攻略のカテゴリーって……、そもそもそんなのなかっただろ」
「俺たち攻略組がダンジョンに挑戦するって情報が広がった次の日から——だったっけか? いいネタになるってんで、どこぞのギルドがこんな賭けやりはじめた。そんなら俺たちも乗っかってやろうってことになって、三人で始めた」
なるほど、と説明を聞き納得する。騎士様から配管工事まで、ここでプレイヤーの就ける職種は現実世界と大差ないのではないのかと錯覚してしまうほど豊富だ。NPCがいるため考えもしなかったが、探せばそういう職業もみつかるのだろう。
「三人って……カオル、おまえもかよ⁉」
「うん、オッズも0.01だったから、少し賭けただけでもけっこう儲かった」
相当儲かったのだろう。ちびちびとジョッキに注がれた飲み物を口に含んでいたカオルが、ほくほく顔で頷く。ちなみに、カオルの飲み物はエールではなくジュースだ。たしかに、それだけのオッズなら少し賭けただけでも——
……オッズが0.01?
「ちょっと待て。さっき見ただけでも、掛け金軽く二〇〇万は超えてたけど。一体いくら使ったんだ?」
「ん? 確かダンジョーのやつが一〇〇万で、俺は上乗せの分入れたら……二五〇万くらいか?」
このゲームの賭け事に用いられるオッズ—賭け率—は、アメリカやヨーロッパで古くから使われてきたものが採用されている。その方式では、賭けた金額をオッズで割った値が、ギャンブラーに支払われる金額となる。
つまり、いまの場合で考えてみると……、
(ダンジョー+カゲタカ)÷オッズ=三五〇万÷〇.〇一=三億五〇〇〇万。
「…………」
そこら辺の小国の国家予算並みであった。
「……それ、向こうは払えんの?」
「さあ? さっきカネ取りに行ったら、「頼むから勘弁してくれぇぇぇぇっ‼」って泣きながら謝ってきた」
「向こうも、まさか本当にこうなるなんて思ってなかったんだろうな」
俺たち以外のパーティーが全滅することなんて誰も予想できないだろうし、ましてその状態から俺たちが単独撃破することなんてそれこそ好運に幸運が重なった天文学的確率の末での結果だ。それが起こってしまったのだから、本当にご愁傷さまとしか言えない。
「だから、全額払わせるのは止めにして、とりあえずギルドの有り金全部と、貯蓄してたレア装備、ギルドの固定資産全部で手を打った。向こうは涙流してぶっ倒れたぜ?」
「…………お前、本っ当にイイ性格してるよ」
脳内に、資産すべてを差し押さえられスッカラカンとなったギルドのエントランスと、そこで体育すわりするギルドメンバーの姿が浮かぶ。あまりにもあんまりな代替案に、頬を引きつらせる。もしかしたら、こいつは近いうちに暗殺職にでも殺られるのではあるまいか。
「ていうか、何で俺に教えてくれなかったんだよ」
「ちょっと野暮用がー……とか言って直前まで連絡とらなかったのは誰だよ」
黙って視線を外し頬を掻く。それを言指摘されてしまっては、黙るしかない。
「し・か・し、だ。こんなにガッポリ儲けさせてもらったリーダーになんの謝礼も無しっていうのは、パーティーメンバーとしても、人としてもどうかと思ってな。俺たち二人からささやかな恩返しって事で、これ」
そう言って、ダンジョーがアイテム欄から何やらパスのようなものを取り出して、俺へと差し出す。
「いやいいよ! さっきのは冗談みたいなやつだし」
「そう言わずに、受け取っとけって。お前ら二人で行ってこいよ」
「わ、わたしも?」
「ああ。二人一組だからな」
突然自身の名を指名され、カオルが目を白黒させる。
「本当はダンジョーと俺で行くつもりだったんだけどな。俺たち、補修に引っかかって、その日がちょうど補修なんだ。捨てるのももったいないし貰ってくれよ。多分、お前が一番喜ぶものだ」
その言葉に、俺は半ば強引に手渡されたそれへと目を通し、
「これって……」
手に持った物の招待に気づき、激しく動揺した。
「そうよ」
ダンジョーはニヤリと不敵に笑い、
「日本初、《カリバー・ロンド》ARMMORPG版ソフト、βテスター二人一組ご招ー待」
プリントアウトされた文字列を、声高らかに読み上げた。
◆◇
「…………疲れた」
ようやく駅から出て、我慢できずにポツリとつぶやく。
ゴールデンウィーク初日、俺はβテスト参加のため先ほどまで電車に揺られていた。テストは専用の施設で行われるため、そこに行くまでのバスがチャーターされている。俺たちテスターにはその場所がポイントされたメールが送られているのだが、あいにくそこへ行くための直通バスはない。そっち方面に向かうバスに乗るために、こうして電車に乗ってきたのだ。
元号が平成から改められ、いくつかに分割されていたゴールデンウィークがまとめて十連休となった。職種によって違うだろうが、たいていの人は休みだろう。そう考えて電車に乗ってみると、なぜかこの通勤ラッシュである。完全に読みが外れた形だ。休みなのに、社会人はそんなに仕事が好きなのだろうか。
ただでさえ人混みが苦手なのに、エアコンの職務放棄+持っていたパンがつぶれるほどの乗車率はかなり応える。次で降りてタクシーを使おうとどれだけ考えたことか。
幸いにも、バスのほうはそれほど込んでいるというわけではなく、座って一息したところでLINEの通知が届いた。
『いまどこ?』
表示されたアカウント名はハルカ。雨宮 晴香のものだ。
『バスの中。あと数分で着く』
『わかった。わたしは右から二番目のバスの前にいるから』
『俺から見てか、雨宮から見てか』それを訊き終える前にバスが停車し、慌てて降車する。
そして、チャータバスが停車する駐車場に入ったあたりで、俺は立ち止まる。
「右から二番目……っと」
実のところ、大体の場所さえ絞れていれば彼女を見つけることは割と容易だ。俺からみて二番目、その場所だけスマホ率が低い。触っている人たちも、ちらちらとどこかに視線を飛ばしており、その視線は一か所に集中する。なかには、露骨に指をさしている者もいる。
——いた。
キャラネーム:カオル 本名:雨宮 晴香
中学の時に知り合い、高二になってもなんだかんだで関係が続いている数少ない友人の一人。
うつくしさよりもまだかわいらしさが勝る、整った顔立ち。後ろで一か所に束ねられた、少し茶色がかった長髪。そして、清楚さ:おしゃれが3:2の高校生ファッション。好みの問題を除けば、かわいくないと言う人はいないだろう。街中で見かければ、思わず振り返ってしまっても何ら不思議ではない。
だからこそ、いまみたいに疲れているとき、連れが雨宮なのはかなり助かる。
雨宮は、かなりかわいい。
何度も告白されたとかいう噂はざらに聞くし、真偽を確かめる必要性もないと思う。その容姿のため、不特定多数の人間がいる場所では長くとどまるほど注目を浴びてゆく。雨宮本体を探さなくても、周りの視線や行動でなんとなくどこにいるかの目星がついてしまうのだ。
待ち合わせをするうえで、これほど便利な機能もないだろう(ただし、それを言った時は複雑そうな顔をされた)。
ただ……、
「? ——!」
雨宮は俺を見つけ、自身の存在を気づかせるためこちらに向けて大きく手を振る。
グリンと、その視線につられて周りがこっちに顔を向ける。その目が、俺を捕捉する。再度、雨宮に視線が戻されそして——、
妬みを載せた視線が、俺に突き刺さる。鬱陶しいような申し訳ないようなこの感覚は、何度味わっても慣れない。
突然、俺の携帯が鳴る。
『神谷くん、そのまま真っすぐ来て。いま手振ってるの分かる?』
言わずもがな、雨宮からの着信。視線がさらに厳しくなる。
頼むから、そういうことはやめてほしい。
◆◇
二〇二〇年、紆余曲折を経てなんとか東京オリンピックが開催されたその年。世界各国からは大量の観光客が押し寄せ、景気が向上し、日本の産業は大きく成長した。
だが、ビックイベントはそれだけではなかった。
オリンピックが閉幕し、観光客の数もひと息ついたその年の冬。日本のとあるベンチャー企業が、未だかつて類の見ない新技術を組み込んだゲームを発売した。
《VRシステム》
『特定の脳波を脳内に送り込むことにより、脳内に世界を構築する』そのコンセプトの下に開発された《VRシステム》内では、アバターはまるで自身の身体を動かすかのごとく操作でき、食事もスポーツも、空を飛ぶ事すらも自由自在。比喩ではなく、地の意味でゲームにのめり込むことができる。それは、ひと昔前から存在し「VR擬き」と呼ばれていた機器とは一線を画すものであった。
向こう百年はオーバーテクノロジーと結論付けられていた技術の登場。その事件に世界が沸いた。当然、日本は世界初のVR発祥国として歴史に名を連ねることとなり、生体ソフトウェアの先駆者として邁進を続けた。しかし、VR革命と呼ばれたその年から二十二年、世界全体の、平均基礎運動能力の低下という新たな問題が発生しつつあった。
VR技術の登場により、記者会見や会議、さらには職場そのものがVR技術で賄えるようになり、通勤や小移動といった必要最低限の運動すらも、その姿を消していった。そのおかげで、もともと運動不足で定評のあった日本人の運動量は減少の一途を辿り、ついには国が動く事態にまで発展した。
そのおかげで、新たに注目を集めているのがAR技術である。
フルダイブとは違い、運動神経への干渉はせず、制御するのは視覚、聴覚、触覚、嗅覚のみ。簡単に言えば、『仮想世界を作るのではなく、現実を仮想世界に置き換えよう』というコンセプトの下で開発された技術だ。
そして、その技術を用いて開発されたのが「ARMMORPG」。俺たちが今日参加しようとしているゲームのジャンルである。
「でも、何でわざわざゲームなの? もっと別のものでもよかったと思うんだけど」
服のサイズを合わせながら、周りの空間を見渡し雨宮がつぶやくように問う。
バスで移動すること数時間。途中に休憩をはさみながらもたどり着いた研究施設で、俺たちは着替えの後、特に広い空間へと通された。エレベーターを使っていたことから多分地下なのだろうが、学校の体育館ならば十個は入るのではないか、と思われるくらいの巨大なこの空間は耐震構造その他をきちんとクリアしているのだろうか。
「あーうん、俺もそこらへん謎なんだけどさ。もしかしたら、実装っていうより負荷実験が目的……とか」
「負荷実験?」
「ほら、ゲームってかなり激しく動き回るだろ? どれだけシステムに負荷がかかるかーとか、バグが出ないかーとか。そのときのっデータが欲しいのっかもなっと」
支給された服を着こみ、緩んでいる靴紐を直し終えて立ち上がる。中で何かが引っ掛かっているのか、となりで服の背中部分を引っ張っている雨宮に「あっち向けよ」と言って代わりに引っ張ってやる。
「なんでもいいけど、データ取りならラグ出そうだよなあ。マジで勘弁」
「そんなに嫌なの?」
「お前、ラグの怖さ知らないだろ。攻撃とか、アイテム消滅前のコンマ数秒とか、俺たち動けないのに勝手に時間進むんだぞ? 気が付いたら攻撃喰らうわ、アイテムは消えてるわ。あのときの脱力感なんて——」
「ぷっ……ふふふ」
「? なんだよ」
「だって、神谷くん、その、ずっと仮想世界のキャラだから。現実世界じゃそんなに冗舌じゃないもん」
「そんなに楽しみだったの?」と笑いをこらえた言葉にピクリと、服を直していた手が止まる。言われてみれば、訊かれればきちんと受け答えはするが、俺は現実世界じゃ自主的に発言することはあまりなかったと思う。だが、その性格もだいぶマシにはなってきたような気がしなくもないし、最近はそんなことなかった気もするのだが——
「……悪いかよ、楽しみで」
いや、全面的に認めよう。俺が冗舌なのはこのテストが楽しみだったからだ。
年齢不相応なものに熱中していることがバレたようなあの独特の気恥ずかしさに顔を赤らめ、「ん」とぶっきらぼうな声で服の調整が終わったことを伝える。「ごめんごめん」と謝る雨宮と顔を合わせるということもできず、俺の視線は腰へと動く。
腰のベルトに固定されている、スキーゴーグルのような形をした銀縁のヘッドギア。試作品名は《バーチャル・ホーク》というらしく、これを装着することで視覚、聴覚、触覚、嗅覚の四つを制御する。試作品という名前の響きに、それを強調するかのような塗装なしの銀色ボディ。なぜだか、心が騒ぐ。
「運動系の信号を送らなくていいってことは、その分の情報量はグラフィックに反映されるのかな?」
「そこらへんは、始まってからのお楽しみってことで」
百聞は一見に如かず。どうせ、すぐに解る。
——βテスト参加者の皆さん、《バーチャル・ホーク》を装着してください。ただいまより、βテストを開始いたします。繰り返します。βテスト参加者の皆さん——、
そのアナウンスが耳に届くが否や、すぐさまヘッドギアを装着し、電源を入れる。
現れたシステムメニューに、俺は《カリバー・ロンド》でのアバターネームと、プレイヤーID、並びにパスワードを、視線入力ですばやく打ち込む。
いよいよだ。
——これより、ARMMORPG 《カリバー・ロンド》βテストを開始いたします。
その声とともに、シグナルソウサリーシステムが起動、視界が暗転する。
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感覚を遮断されたときに訪れる浮遊感が、一瞬身体を包み込む。
《Welcome to Caliber Ronde!》
幾度となく俺たちをVR世界へと誘ったその文字が、目の前に浮かび上がった。
暗転した視界の先に、小さな光点が生まれ——
◆◇ ◆◇ ◆◇
『こちら現場から三十キロ地点の救出本部前です。衛星からの映像によると、研究施設があった部分はクレーターのようにえぐられています。まるでこの部分だけが蒸発してしまったかのようです。施設の痕跡すら確認できません』
『村田さん、何か新しい情報は入っていませんか?』
『はい。先ほど確認した情報によりますと、事故が起こったとされる時刻には、研究所の職員二百人に加え、一般の見学者二百五十人がこの施設にいたそうです』
『そちらの方々の安否はどうでしょうか?』
『えーあまりに大規模な爆発のため、テロの可能性も視野に入れ自衛隊の出動要請が下りました。現在、安全を確認している最中のため、救助隊がまだ出動できていません。ですが専門家によりますと、事故現場の状況から見て、要救助者の生存は絶望的とのことでした』
『わかりました、何かあればまたお願いします。……えー、突然起こった謎の爆発事故。ラグナ社の責任は大変大きなものであり、今後の対応にも注目が————』
前話にあたる「少し先の未来」を非公開としました。「置いてきぼりにされる」という感想をいただいたので。直して公開し直すかもしれません。