第1章ー17 「とある技師の話」
遅くなって申し訳ありません。今回で日常回は最後です。
「そうか、お前らはミレーナ様に拾われたのか! そりゃあ良かった!」
セルシオ、場所はメリゴットの酒場。並々に注がれたジョッキがハイペースで持ち上げられ、中身のエールが見る見るうちになくなっていく。それに比例するように、後藤の笑みも、感情の振れ幅も大きくなっていく。交わされる言葉には笑いが絶えず、お互いの武勇伝らしきものをしきりに披露する。
俺たちは酒を飲めないが、まるで酔っているのかと錯覚するほど不思議と気分がよかった。場の雰囲気に酔うとはこのことなのだろう。楽しく、最高に気分がいい。何よりも、端的に言えばとてもうれしいのだ。
『後藤――同じ世界の生存者――に会った』という説明すると、俺たちが頼みを口にするよりも早く、ルナは俺たちに外泊の許可を出した。俺たちが居なければ居ないでやることもあるし、何より『早く会いたいでしょ?』という、実にルナらしいというかミレーナの思考に染まっている言葉で。それも、今日という実に急な外泊許可だった。あまりのとんとん拍子に戸惑いながらも、俺たちはその厚意に甘えることとした。
俺のおごりだと後藤が矢次に料理を注文し、テーブルの上が皿であふれかえる。ミレーナ宅では食べられない種類の料理に、俺たちは遠慮なく舌鼓を打つ。
自分でも信じられない量の料理が腹の中へと消えていく。空になった皿が山積みとなっていくのには、さほど時間はかからなかった。
「後藤さんは、鍛冶屋さんのところで働いていたんですね」
「ああ。リンクスの鍛冶屋ってとこに住み込みでな。と言っても、俺が任されてんのは精密修理の方で、直接の製造はまだだけどな」
「そういえば、家が修理屋だって言ってたっけ」
「そうなんですか?」
「そうか、晴香ちゃんは聞いてなかったか。実は実家がそうでよ、俺はそこの精密部品の加工をしてた」
なるほどと、雨宮が頷く。それを見て、「これがそいつだ」と後藤がポケットからある部品を取り出してきた。
取り出されたのは、長さが二十センチくらいの筒。歪みひとつない円柱型で、内側は空洞。中は慎重に削られており、どこかで見たことのある模様を描いていた。
顧客情報になるからと言って、何に使う部品なのかは明かしてくれなかったが、この世界の技術でそれを作ることがどれくらい大変なことなのかは十分に解った。確かに、後藤が即採用されるのも理解できる。
話しは俺たちの日常へと、話題を変えて続く。楽しい話題は尽きることがない。この町でおすすめの店や都市伝説、最近やらかした互いの失敗談など、いつまでも続いた。
そう、不自然なくらい長く。
こんな状況でも、いつしか俺の頭はどこか冷静に機能していた。いま思えば、後藤が馬鹿みたいに酒を開けているのはその違和感を俺たちに悟らせないようにするためかもしれない。あるいは、自分自身に。
自覚すら、していないのだろう。
この雰囲気を壊したくはないから。今はまだ、再開の余韻に浸りたいから。
俺も雨宮も後藤も、決して話に出さない。その話題に繋がる話は、誰もそちらに誘導しようとはしない。日本での酒の席ですら、いつかはその話題が出るのに。あんな経験をした後に、この話題が頭に残っていないというのはどう考えてもおかしい。それが気持ち悪くて、そして悲しかった。
悟ってしまったからだ。口にしないということは、俺たちだけがここにいるという事実で完結している話題だからだと。
そう、《それ》は他でもない、
俺たち以外の、仲間の安否。
「…………」
俺と目が合った後藤が、一瞬だけ悲しそうに笑った気がした。
◆◇ ◆◇ ◆◇
カラリと、グラスの中で氷石が弾ける。「氷」と名はついていても所詮はただの石、溶けることはなく破片が底に薄く積もる。水になる氷はそれなりに高価だ。そのため、同じ効力のある氷石で代用している。これならば、入れる前に済ませた処理で水温が二十分は保つ。
破片をのどに通さぬよう、口内で歯を合わせてフィルターの代わりとする。酒はやはりのどごしも命。あまり大きな破片でイガイガとした感覚を貰いたくはない。この方法も、ずいぶんと慣れてきたものだ。
「…………今日の代金はいい」
注文を用意したマスターが、ぶっきらぼうにそう答える。その瞳には、かわいそうなものを見るような色が映っていた。
「いや、そりゃまずいだろ。上さんに怒られるぞ?」
「俺のおごりだと言ってる。さあ、いつもの分だ」
ありがとな、と礼を言ってトレーを受け取る。トレーに乗っているのは、小さめのグラス。そこにいつものごとく酒を注ぎ、こちらには本物の《氷》を入れる。
グラスの数は二十個――昨日までは十九個だったのに。
「また、見つかったのか」
疑問形ではない。確認するために使う、語尾を下げた口調。それは、グラスが増えた意味をきちんと理解しているから。他でもない、いつも不自然な数のグラスを注文することを不審に思っていたこの店主に、自分が教えたのだ。
それ以来、このマスターからは詮索されたことは一度もない。
「ああ。ひとりだけな」
言い出すのは、いつも自分からだ。
「見つけるなら、もうそろそろ時間がないぞ?」
「解ってる。多分、こいつで最後だ」
この世界では、死体は思ったよりも早くなくなる。地球のように、白骨化して見つかることなどまずありえない。なぜなら、森には猛獣よりも怖い魔獣がいるからだ。
奴らは肉を、数キロ先からもかぎつけるらしい。いままで死体が残っていたのは、あの場所がつい最近までバカでかいオークの縄張りだったから。それを聞いた時は、ああそうかと直に納得できた。
そして、今日見に行った時には遠くからだが魔獣がこちらを見ていた。もう、ひとりであそこに行くのは自殺行為に近い。それに、魔獣が戻ってきているのなら、残った死体は骨まで残らず消えているはずだ。明日行ってもないかもしれない。
そんなことを考えながら、目の前の酒を肴にグラスをあおる。
目の前のグラスは、後藤が見届けた死者たちの証。
行方不明は数えていない。いつかは見つかるもの、そう考え、このテーブルには乗せていない。なぜなら、言霊という類を信じているから。今日もそれで、奇跡が起こったから。
「マスター、聴いてくれよ。今日、仲間がふたり見つかったんだぜ?」
「――ああ。お前と騒いでたあいつらか。……ここに並べてなくてよかったな」
自分でもわかるほど無邪気に、首を縦に振っていた。その様子に、カウンター越しのマスターも少しだけ口端を持ち上げる。ほとんど表情が変わらないマスターにしては珍しい。そのわずかな変化さえも、今日はことさらにうれしい。
夢だと、最初はそう思っていたのだ。白昼夢ではないかと、何度も頬をつねったのだ。それでも、ふたりの姿は消えなかった。抱きしめたそのぬくもりは、確かに本物だった。
見つからないはずだ。だって、生きていたのだから。
嬉しいに決まっている。生きていたのだから。
生きていた。生きていた。その事実だけをかみしめながら、現実なのだと確証を得ながら、酒を楽しむ。そんなに高い酒ではないのに、今日はなぜだかすべてのものが輝いて見える。
「なあマスター、聴いてくれよ――」
自分でも驚くほどに冗舌だった。勝手にしゃべって勝手に笑う。マスターは黙ってグラスを磨くだけだが、時々ニヤリと頷いてくれる。
二人が話した内容。話した内容で片方が急に怒りだしたこと。その理由も無理はないということ。自分が話した内容に、ふたりが大笑いしていたこと。
そして、
仲間の死を、どうしても言い出せなかったこと。
「それは……別に話さなくてもいいんじゃないのか? あいつらだって察してるだろ」
「多分な」
言葉を切り、グラスをあおる。すっかり虜となってしまった味が、口内を潤す。しばし、沈黙が流れる。
「最初は、何が何でも切り出すつもりだったんだけどな」
最初は、何が何でも伝えなければと思っていた。たとえふたりに煙たがられたとしても、仲間の死は伝えなくてはいけないと、そう覚悟していたのだ。
「雰囲気で察しろじゃなく、死んだってことくらいははっきり教えてやらねえと。死んでったあいつらが……あいつらはもう何にもできねえだろ?」
「まあな」
「せめて、あいつらの死を受け止めることくらいは……って」
死者は語ることができない。どんなに会いたい人がいたとしても、どんなに伝えたいことがあろうとも、死者には何もすることができない。死人に口なしとは、よく言ったものだ。
死してなお伝えたいことも、死してなお果たしたいことも、その役割はすべて、生者に任せることしかできない。何を想っていたとしても、死者はこの世に干渉することすらもできないのだから。
ならば、だとするならば、それは生者《俺たち》がやるしかないじゃないか。
死者の最後を、彼らの存在をこの世界に残す。家族に伝える。あの場にいたのは自分だけだ。ならばそれが、本来しなくてはならない自分の義務だ。そして、覚えている人は多ければ多いほどいい。
「だけどよ。ふと思っちまったんだ」
少し、回想にふける。思い出すのは、あのときの二人がうかべていた笑顔。心が折れるほどの絶望を生き抜き、前に進むふたりの顔。
「あいつらはどう思うんだろうってな」
「…………」
「俺が煙たがられるだけならいいんだ。元々そのつもりで話す覚悟してる、そこは別に気にしねえ。そうじゃなくてよ、あいつらが自分を責めはしねぇか?って、そう思っちまった。あのとき逃げたから、代わりに仲間が死んだんじゃねぇかって。そう思わねぇ保証はねえだろ? どう考えたってあいつらのせいじゃないのに。そう考えたら、急に怖くなっちまって」
死者を弔い、死を受け入れ、それを語り継ぐことは大切だと思っている。彼らの犠牲があったからこそ、こうして自分は生き残っているのだし、ふたりも逃げきれたのだ。それくらいしても罰が当たることはないだろう。
だが、彼らはまだ子供だ。多少人間が出来上がり、ある程度は割り切れるようになった自分とは全く別。心も体も、未だ発展途上の少年少女だ。発展途上であるがゆえに、心の傷は自分よりも深く、そして消えないだろう。はたして、そんなことをしていいのだろうかと、そう思ってしまった。
忘れないこと、真正面から受け止めること、そして語り継ぐこと――それが生者にできる最大の供養であり、責務だとは思う。だが同時に、死者にとらわれて生者が苦しむのは少し違うとも思っている。
死者は、良くも悪くも死者だ。何も話せないし、こちらに干渉することもできない。言い方は悪いが、そんなもののために、彼らの心を傷つける危険を冒していいのだろうか。そしてその権利はどこにあるのだろうか。
ふたりとも、素直で優しい子であると感じている。話せば、そのことに責任を感じてしまうかもしれない。そんなふたりに、真実を話す必要があるのだろうか。話したことで、傷ついてしまったらどうすればいいのか。どう考えても、逃げたふたりが悪いはずがないのに。
怖くなった。恐れてしまった。そう考えると、決意はたちまち薄れてしまった。自分がとてつもなく大きな分かれ道に立っていることの気がついたのだ。
「もうふたりとも、もうほとんど解ってるだろうけどよ。たとえ核心突いてても、言葉にしなけりゃ、俺が言わなけりゃ、まだ行方不明ってことにしておける。少なくとも、断定できない分いくらか気が楽だろ?」
「それじゃあ結局、話さないのか?」
「行方不明ってことにしとくさ。俺なら、そう言われた方が気分的に楽だ。生きてる可能性否定されない分はな」
シュレーディンガーの猫という思考実験がある。簡単に言えば、どんな現象も物質も、自分が認識しなければそれは「存在しない」と同義であるということ。つまり、この世界すべてのものは、認知して初めて存在が確定するということである。
今回のことに当てはめれば、こういうことだ。あのふたりに仲間の死を伝えない。それによってふたりの中では仲間の死は断定されない。死体をその目で確認するまで、生きている可能性が残る。正確には生死の判別が不可能となる。
ほとんど悟ってしまっていても、死んでしまったと、そう断定されないだけでも気が楽になる。なぜなら、どんなに確信していようとも、もしかしたら生きているという可能性を、決して否定できないから。もしかしたら、言葉が大きな力を持つ所以もこれなのかもしれない。
それに、
「あいつらが訊いてこない限り、俺は言わない。仲間のことを背負うのは、俺一人で十分だ」
最後を見届けたのは、他でもない後藤 竜也だ。そして、死者を忘れるべからずという考えも、後藤独自のものだ。よくよく考えれば、無理してその考えに他人を巻き込むことなどしていいはずもない。そうしてしまえば、それは死者のためではなく、自分がやりたいからという自己中心的な思想に成り下がる。
それは何のためにもならない。少なくとも、弔う死者のためには絶対にならない。
カラリと、氷石がはじけた。気が付けば、グラスの中身はほとんどからになっていた。マスターは、否定も肯定もしない。それは相手の決意を揺らがせる結果になると知っているから、後藤の言葉には頷くだけだ。
沈黙が下りる。はるか遠くでなっている楽器の音が、いやによく聞こえる。
どれくらい経っただろうか。
「……だ、そうだが?」
「?」
唐突に、本当に唐突に、マスターが、口を開いた。そしてその言葉は、どう考えても後藤に向けられたものではない。目は後藤の後ろ、階段の方に向かっていた。まるで、後藤の背後に誰かいるとでも言外にほのめかすように。声に釣られて、後ろを振り返る。
見えたのは、節約用に照明が消された暗い階段。色濃い影が、床にシミを作っているだけだ。生物らしき物体の姿は見当たらない。すると、
ゆらりと、影が動いた。少し遅れて、影が人を飲み込んでいたのだと悟る。なるほど、影になっている場所は明るいこちらから視認することのできない不可視領域なのだから、どうりで姿が見えないはずだ。立っていた人物が影から這い出して来る。その人物を確認したとたん、驚きの声が漏れた。
なぜなら、その人物がよく知っている少年だったから。
「樹?」
「……すみません。盗み聞きするような感じになって」
謝罪をしながら、樹近づいてくる。装備は完全に外しており、上はアンダーウェアだけというかなりラフな格好だ。「隣、いいですか?」という問いに、右の椅子を叩くことで答えとする。少し後ろめたいような顔をしながら、樹がその椅子に座る。マスターが水を出し、礼を言って樹が一口飲み込んだ。
「晴香ちゃんはどうした?」
「……寝、てるんじゃないですか? 物音もしませんでしたし」
「お前ぇも寝とけよ。大きくなれねぇぞ?」
「俺、四時間睡眠なんですよ」
「ジジイかよ!」
「……雨宮にも言われました、それ」
先ほどまでと別の話題を振ると、樹は少し戸惑う様子を見せたが、話に応じてくれた。その顔は、あからさまにほっと気が緩んだ顔つきだ。やっぱり、結果的にだが盗み聞きとなってしまったのが後ろめたかったらしい。
しばらく、当たり障りのない話題での会話を楽しむ。こうして話をしてみると、樹はどうやら人との距離を測るのが苦手なんだなというような印象を受けた。というよりも、距離の詰め方がよくわかっていないと言った方が正しいだろうか。
話しは盛り上がる。話題は別のものへと飛び、「さっき聞きましたよ」と呆れながら笑われることもあった。酒が入っているせいか、何をしゃべったのかを判断できない。だが、同じ話を聞かせ樹が笑うというその一連の行動さえも、無性に楽しかった。段々と距離の縮め方を理解したのか、樹の口調も良い意味で砕けたものになっていた。
そして話は、さっきの場面について向かっていく。
「それで? どっから聞いてたんだよ」
「……また、死体が見つかったってところくらいから」
だいぶ最初だ。そして樹の表情は暗い。だが考えてみれば、あの状況で出ていくのはかなり度胸がいるだろう。いままで話していた感覚からして、樹には難しいか。
「気が付いてたんだろ?」
「はい。後藤さん、全然その話題に触れなかったから」
「こりゃあ失敗したな。もしかしたら、晴香ちゃんも気が付いてたか?」
「解りませんが、なんとなく察してかなあ……って感じです」
「そうか」
こりゃまずったと思いながら、酒のお代わりを頼み、グラスへと注ぎ込む。ごまかすように、それを一気に口へと含み飲み込む。樹の視線が、手の付けられていない、トレーに乗ったグラスへと向けられているのに気が付いたのは、酒が空になった後だった。
「その酒は……死んだ人たちの?」
「……そういうことだ」
「そうですか」
それから、樹は何も言わなかった。そうかと思うと、ポケットに手を突っ込み、飴玉を二つ通りだす。そしてそれを、静かにトレーの上へと置いた。
「俺からのお供え物ってことで」
「うはは! そりゃあいい!」
そうだ、そういえば甘いものが大好きなヤツがこの中にもいたなぁと思い出す。こらえる気を端から放棄して大声で笑う。つられて樹も笑う。その笑みが、話を聞かれてしまったという思いをやわらげさせた。
「なあ、樹――」
◆◇ ◆◇ ◆◇
――多分あの時、俺はどうしようもなく酔ってたんだ。酒には強いが、さっき自分が言った言葉すら忘れて、訊く相手も選べないほどに。
◆◇ ◆◇ ◆◇
「――あいつらのこと、聴いてくれねえか?」
その言葉を発した時、まるでテレビでも見ている感覚だった。その言葉を発した自覚がすこぶる希薄で、それ故、最初は自分の言ったこと、そしてその言葉が樹に向けられていたものであるということに気が付くまで、少し時間がかかった。
先ほどの決意なんて全く無視した、唐突で身勝手な頼み。樹本人が責任を感じるかもしれないからと、後藤自身が封印した問いかけ。それを行ったことに、後藤は最後まで気が付かなかった。
沈黙が下りた。
氷が弾け、カラリとグラスが鳴く。二人しかいない店内で、その音がいやによく響いた。
なぜかそれが鼓膜を突き、跳ねるような刺激とともに鈍った視界を修正していく。
「………………?」
考える、思い出す、把握する。
あれ……?
俺は、いま一体何を言った?
「あっ……いや、悪ぃ。気にすんな」
動悸が激しい。顔が熱い。それは、取り返しのつかない事ぎりぎりの行為を行った時に感じるもの。自身がよくやらかしていたから解る。二度と直せない品物を、不注意で壊しそうになった時と同じ感覚だ。
「言うつもりじゃなかったことだ。あー、酔ってんな、俺。忘れてくれ」
――クソッ、なに言ってんだ俺はよ!
さっき決めたばかりじゃないか。樹たちに重荷は背負わせない。仲間の死に様は俺ひとりが解っていれば十分だと、そう納得したじゃないか。いまさら何を言うか。
樹は、まだ高校生だ。雰囲気的には落ち着いているが、それでも幼いことに変わりはない。そんな少年に、仲間とはいえ、あの時たまたま一緒になっただけの連中の死に様を伝えることに何の意味もないはずだ。
樹にとってのメリットなんか見つからない。聞いても罪悪感を感じさせるだけだ。それで気持ちよくなるのは、樹ではなく俺。それも、自分の役割を果たしたという単なる自己満足にすぎない。己のために子供を利用する。そんなこと、真っ当な大人がしていいはずがない。
まったく、なんて自分勝手なのだ。恥ずかしい。
「――――――」
樹は、何も言わなかった。罪悪感で、樹の方を見れない。樹の方からは、何の声もかからない。いま彼は、どんな表情を敷いているのだろう。
呆れているだろうか。戸惑っているだろうか。いや、樹はさっきの話を聞いていたのだ。それなら俺の決意も知っているはずだ。もしかしたら、軽蔑している可能性も捨てきれない。
ああ、自分が嫌になる。
すると、
「…………よっと」
樹の手が、うなだれた顔の上を横切った。顔を上げたとき視界に飛び込んできたのは、酒瓶を握る樹の手。
それを自分の方へと持って行き、空になっていたグラスに琥珀色の液体を注ぐ。そしてそれを手に取り、口の前へと持っていく。
「あっ、ちょ、お前!」
忠告するには、少し遅かった。
注がれた液体は、樹の身体へと消えていく。わずか三秒、それだけでグラス一杯の酒が姿を消した。飲み切ったと同時に、樹が激しくむせかえる。ようやく我に返り、樹の背中をさする。
「馬っ鹿お前。酒なんて飲み慣れないもん、いっきに飲み込むな!」
こっちの法律を順守すれば樹が飲酒することは可能なので、そこについてはとやかく言わない。だが、この飲み方はまずい。倒れないか冷や冷やしながら身体を押さえ、咳が治まるまで背中をさする。
大きく数度せき込んだ後、樹が顔を上げる。早くも酒が回ったのか、その顔は高揚しており、心なしか体温も上がっているような気がする。
グラスが強めに置かれ、ガツンと言う音を立てる。そのままグラスはスライドされ、仲間の分の酒が乗ったトレーと接触する。今度はやさしく、微かな音を立てる程度で。
それを持つ樹の顔は、笑っていた。そのことに、目を丸くする。どういうことだと、理解不能な行動に一瞬思考が停止する。だが――、
もう一度、グラスの位置を確認する。樹の表情、行動を思い出す。これは決して、意味のない行為じゃない。その思考回路に、先ほどの発言が加わる。
――ああ、そうか。
そういうことか。
「……ケッ、背伸びすんなっての」
笑みとともにこぼれたのは、そんな憎まれ口。もちろん、本気では言っていない。樹も理解したようで、ともに笑みを浮かべている。
さっきの行動に、俺の言葉。なるほど、ようやく理解した。つまりこれは、樹の格好つけたキザな返答なのだ。
――話せってことかよ。
こんな返しをするとは、まったく、ませたガキんちょだ。
「――――俺のダチもあそこにいてな?」
話題が、尽きることなどなかった。
後藤が喋り、樹が相槌を打ちながら笑う。呆れながら笑う。楽しそうに笑う。そこに、後ろ向きな感情は感じられなかった。
当たった宝くじが飲み会の席で紛失した。
好きなものは栗羊羹だった。
初めてここで知り合ったあいつは、強面のくせに待ち受け画面がアニメキャラ。
一つ一つに笑いが生まれる。実は俺もだと、意外な事実が発覚する。死者を惜しむのではなく、その話をしながら楽しかった記憶に浸る。それは、二人にとってひと際楽しい時間だった。
どれくらい経ったのだろうか。喋り疲れてふと窓を見れば、すでに道がはっきりと目視できるほど明るくなっている。時間にして朝の五時といったところか。ずいぶんと喋ったものだ。そう思った時、言い忘れていたもう一つのことを思い出す。それは、さっきとは別の意味で言いにくいものだ。
なぜなら、それは誰のためでもなく、完全な後藤の自己満足なのだから。
「……樹」
「どうしたんです? 改まって」
「ちょっと、付き合ってくれねえか?」
◆◇
燃焼石を引き出すと、室内が温かい光に満たされる。設置された機材が光を反射し、金属光沢を魅せる鋭いながらも柔らかな光が、その部屋の正体をさらけ出す。それを見て、樹が目を丸くしている。
「これって……工房」
「俺の修理工房だ。製造はまだ任されちゃいないが、修理と特殊加工は任されてる」
「特殊加工?」
「ほら、見せただろ? こいつだよこいつ」
ポケットから金属筒を取り出す。ああなるほどと、樹が頷く。それをしまってから、工房の中のものを説明する。酒が入っているため機械を動かすことはできないが、説明することくらいは十分できる。
「ここにも、機械ってあったんですね」
「複雑なもんは無いがな。こいつなんかは、表にあった水車を動力にして動いてる」
この世界には、電気はない。よって大規模な工場なんかは作れず、当然電子機器も精密機械も無い。ここにあるものが限度だ。
「作業機械はこれくらいだけどよ、俺なら、日本の部品と遜色ないもんが作れる」
それでも、自分になら扱える。自動機械を使わなくとも、自動機械と遜色ない物を手作業で作ることができる。なぜなら、実家での自分の担当分野がそこだったから。
その言葉に、樹が首をかしげる。どういうことなのだと、説明を求める。
「……だからよ、樹」
まだ、向こうの製品を思うようには再現できない。だが、こっちの装備品ならいくらでも直せる。知っている知識を使えば改良さえもできる。
俺は戦えないから、そんな力も、勇気すらないから。せめてこれくらいはやらせてほしい。
「俺を、専属技師にしてくれねぇか?」
「……後藤さん」
「もう嫌なんだよ。知ってるやつらが死んでくのは、もうまっぴらごめんなんだ。俺は戦う才能なんかなかった。俺が戦えんのはこの分野だけなんだ」
今でも頻繁に夢を見る。あのときの光景を夢に見る。目の前で、横たわるすぐ近くで、命の灯が消えていく。俺が助かったのは、単なる偶然だろう。
あの時の戻っても、俺は何もできないだろう。ゲームじゃないんだ、この世界で戦える才能が俺にはなかった。仕方ないと思っている。悲しいとは思っている。しかし後悔はしていない。なぜなら、あの時に戻っても何もできないことは解っているから。
だが、いまは別だ。
知り合いが目の前にいる。それも、命を賭けて相手を狩る戦闘職だ。死ぬ可能性は俺よりもよっぽど高いに決まっている。装備品の不具合が起こることだって十分にある。それだけは、絶対に見過ごすわけにはいかない。
技師という分野なら、俺は樹たちよりもはるかに戦える。どんな不調だろうが、たちどころに見つけることができる。生存率を、上げることができる。
だとしたら、俺が命綱を結べるというのなら、
「だから樹。俺に、命綱つけさせてくれ」
俺がやらないわけにはいかないではないか。
◆◇ ◆◇ ◆◇
細かいことを書くのは無粋だろう。あの時のことを手短に書く。
『樹が笑って頭を下げた』それが全てだ。
◆◇ ◆◇ ◆◇
――二週間後・リンクスの鍛冶屋整備室にて――
「よし、装備品のメンテも完了してる。頼まれた仕事はこれで全部だ。お前ら――」
「思いっ切りかましてこい!」
これにて、前半戦は終了です。ここから一気に後半戦へと移ります。