第1章ー16 「六角薄雪」
謎回です。次週で、日常系は最後になると思います。
ドシンッというかなり乱暴な衝撃が、身体を伝う。衝撃ではなく痛みにさえ感じるほどであったはずなのに、いまはそれすら心地よい。後藤が、両腕で俺たちを抱きしめたのだ。おとなしく、左右の肩に顔をうずめ、感傷に浸る。目の奥から、熱い何かが上がってくるような感覚がした。
「お前らぁ……晴香だよなぁ……樹だよなぁ……!」
「はい。そうです……! わたしたちです……!」
耳元で、後藤が嗚咽を上げる声が聞こえる。雨宮が涙をこらえたような声で返事をし、それを肯定するように俺も後藤へと回す手に力を籠める。それを聞くや否や、後藤の嗚咽は噛み殺せないほどのものになっていく。
「そうか、そうかぁ……! よかった! 俺ァてっきり、あのとき死んじまったとぉぉ……‼」
それを聞いた瞬間、俺の目からも熱い雫がこぼれた。もう流さないと決めたはずのものが、際限なく、止めどなく、特大サイズで零れ落ちる。これは喜びの涙なのだからと勝手な理由をつけ、止めることはせず代わりに腕の力をさらに強める。絶対痛いはずなのに、俺たちを抱く後藤の腕は、俺たちを決して離すことはしなかった。
ずっと、死んだものと思っていたのだ。
心の中では生きているはずがないと諦めていた。生きていると言い張ったのは、そうしないと心の均衡を保てなかったから。だが内心、こんな幸運だったのは俺たちくらいしかいないと、勝手に後藤を殺していた。
これが言霊なのだろうか。口に出された言葉は、何らかの結果を伴い発言者の前に現れる。そんなものは単なる気の持ちように過ぎなく、やる気のある人ならば発しなくても叶えてしまうし、やる気がないなら言ったところで無意味に違いないとずっと思っていた。もしかして伝説は、いまこのようなときに生まれるのだろうか。こうやって、いま伝わっているものは生まれ語り継がれてきたのだろうか。
全く非科学的、根拠すらない言い伝えを、いまなら信じられるような気がした。どんなに非科学的だろうが、この結末を知っていたらもしあの時に戻ったとしても、死んでしまったとは口が裂けても言えない。言いたくない。もしかしたら、いまが変わってしまうかもしれないから。
嗚咽を漏らす、男女三人。
その光景は、後藤の親方が通りかかるまで、延々と続いた。
◆◇
いい武器屋なら教えてやるよ!
事情を聴いた後藤は俺たちに、おすすめの武器屋を教えてくれた、聞くところによると、後藤が働いている鍛冶屋がそこに簡単な武器と特殊インゴットを下ろしているらしい。
その場所は偶然なのかどうなのか、ミレーナからもらった地図に記された場所と全く同じ。暇があればと後藤が働く鍛冶屋の住所を渡されたのちに、まだ仕事があるからと言った後藤に別れを告げ十数分、俺たちはお目当ての武具店にたどり着く。
「ここ……だよね?」
「一応だけど看板はあるし、ここなんだろ。…………多分」
雨宮も俺も確証はない。それほどその店は判りにくかった。
建物は大きめだが、如何せんそれ自体がボロ家と言っても差し支えないほどの状態。
壁には穴が開いているわ、窓は割れているわで、こうやって建物としてまだ存在していることそのものが不思議なくらい。
看板も、二〇二〇年代の旧式ノートパソコンほどの大きさ。しかも、それだけが妙にしっかりしていてなおさら怖い。売り子の老婆が言っていた通り看板が極端に小さいため、なんとか「そうかも?」と思える程度だ。看板についた金属片も、一応は《OPEN》となっているし。
あの忠告を聞いていてなお、信じがたい。もし聞いていなければ、間違いなく店を間違えたと思ってしまっただろう。
「…………入るぞ?」
「……うん」
とは言え、ルナとの待ち合わせ時間もあるのだ。ここでもたもたしていても仕方がない。雨宮と目配せをし、錆びついたドアノブを回す。カチリというわずかな引っ掛かりがあったが、それ以降ノブは存外滑らかに動いた。そして――、
ポロリと外れた。
「「………………」」
…………。
…………………。
………………。
……………………………………ちくせう、やってられっか。
「スンマセーン! ノブ・コワレタ・ノブ‼」
「ちょっとぉぉお⁉」
雨宮の制止を振り切り。ノブを投げ捨て、外れた扉をドンドンと叩く。
「クソッ、何で俺ばっかこんなことになるんだよ! こっちはギルドの件で頭いっぱいなんだよ‼ 請求されたら破産確定なんだよ‼ どんな顔してあそこで住めばいいんだよ畜生‼ 知らないからな! 俺、絶対知らないからな⁉」
「待って⁉ 待って‼ ドアも壊れる‼」
雨宮が何か言っている。だが、そんなことを考える余裕なんてもう残ってなんかいなかった。
ギルドの事件だって、いくら不可抗力であったとしても、俺のせいと言われれば否定なんかできるはずもない。実際、俺が壊したことにかわりないのだ。
いままでの予想からしてミレーナが支払ってくれるだろうが、そんなことが起ころうものならどうやってあの家に住めばいいのか。居候の身で、居候先に多額の請求を押し付ける俺――なんて疫病神だ!
いくら他人の目を気にしないといっても、この気にしないとは訳が違う。支払わせた本人たちの前で、平然と生活するほど俺の心は図太くない。流石に……というより当たり前にそこら辺を気にするほどの神経はある。
どうすればいいんだ本当に! 何で俺ばっかりがこんなことになるんだまったく!
そう言って扉の前で騒いでいると、
「――――あがっ⁉」
突然、目の前で火花が散った。クラリと身体が傾き、雨宮に支えられたのだということを理解するのにさえ数秒の時間を要した。いままでの思考が一瞬リセットされる。ここはどこで、自分が何をしているのかが現在進行形でわからなくなっていく。瞬く間に、頭の中が真っ白になる。身体の感覚すらも、数舜の間ロストする。
目の前の扉に頭をぶつけたのだ。それを理解するのには、体感時間でたっぷり十秒が必要だった。それを理解したとたんに、頭蓋全体に締め付けるような痛みも戻ってきたため、「おぉぉ……」という変なうめき声をあげてうずくまる。
「…………何をやってる。早く入ってこい」
頭の上から、声が降ってきた。
声からして、どう考えても男性だろう。涙目で顔を上げてみれば、案の定そこにいたのは大柄な体形をした浅黒い肌の男性。そして不思議なことに、耳がとがっている。ルナがいることから考えるに、もしかしたらエルフ――それもドワーフという種族だろうか。
「ごめんなさい! ノブが壊れちゃって……」
「……ノブ?」
痛みで喋れない俺の代わりに、雨宮が誤り状況を説明してくれる。雨宮の言葉に首をかしげる男性だが、地面に転がるドアノブを見つけると、ああ、そういうことか、と頷いた。
「別に構わん。そいつはほとんど取れかけてたヤツだ。早く入ってこい」
「落っこちたやつもな」と背中越しに伝え、男性はノブが抜けたことでできた穴に指を突っ込み強引に扉を閉めた。穴からは、室内の光が漏れている。
「…………行こっか」
「悪い、迷惑かけた」
◆◇
扉を開けると、そこにはもう一つ扉があった。俺が額をぶつけた、いまにも外れそうなあの扉ではなく、しっかりとした造りにニスが輝く見事な扉。そこに継ぎ目はなく、まるで巨大な丸太をそのままドアの形に削り出したかのような印象を受ける。男性は律義にも開けて待ってくれており、扉からは店内の様子をうかがうことができた。
「……これ、もしかして家の中にもう一つ家があるんですか?」
「そうだ。買いもしない邪魔者が来ても迷惑だからな。あの外見を見りゃ、そんな奴らは入ってこん」
男性は、ぶっきらぼうではあるが雨宮の質問には答えてくれた。つまり、あの外見を見てなお入ろうとした俺たちは、無事客として認められたということなのだろうか。
店内を見渡す。斧、長刀、ナイフ、盾、片手剣に全身鎧と、ありとあらゆる武具がそろっており、飾られていた。それも、四つ壁、天井、いたるところに。その不思議な光景に、俺はまだかなり残っていたはずの痛みも忘れて呆然とする。
「それで? お前らは誰からの紹介で来た。こんな場所、普通の連中は寄り付かんぞ」
その問いには、ミレーナの書面を渡すことで答える。読み進めていくうちに、しかめっ面だった男性の目が、少し驚いたように見開かれていくのが解った。
「ほぅ……ミレーナ様の弟子だったか。あの人は弟子を取らないといってたはずだが……まあいい、そういうことなら、あんたらは立派な客人だ」
「お前ら」から「あんたら」へと、呼び方が変わる。そして、男性の表情も少しだけ柔らかくなり、笑みを見せた。
「俺はロキだ、一応この店の店主をやってる。これからは好きに来るといい。どんな武器でも完璧に作ってやるし修理もしてやる」
それからの対応は、驚くほど速かった。
俺たちも名前を名乗り、なぜ紹介されたのかを大まかに説明する。飛竜の亜種を討伐するための装備と聞くや否や、ロキは俺たちを凝視し分析を始めた。
「二人とも、武器は持っているのか?」
「近接戦闘はイツキだな? 見る限り、敏捷性でかく乱する戦法……」
「それで、ハルカは後方支援か……上級魔術は使うか?」
「使うなら、どっちも魔術耐久力がいるな」
質問はそれだけ。答えを聞いたのち、反射にも近い感覚でロキが行動に入る。そこには、考えるという動作が感じられない。
カウンターから横に据え付けられた大きなクローゼットに移動し、ロキがそこを開ける。大量に吊るされた服をあさり、フード付きのローブを一着、そして日本でいう迷彩服の黒verのような服を上下でひとセット取り出してきた。ローブを雨宮に、黒い方を俺に渡す。
「ハルカのそれは、魔術耐久力が大きい飛竜の皮をなめして作ったもんだ。ちょっとの魔術ならそいつで跳ね返せるし、魔術との親和性も高い。イツキの方は、いまのに加えてとにかく丈夫だ。鈍らな剣じゃ傷がつかない。その代わり、身体に直接打撃が通るから気をつけろ」
服を引っ張ってみる。頑丈なのだが、硬いというわけではなく、むしろ動きやすい。ベルトを通す部分には、いろんな装備が装着できそうな仕掛け。ド素人の俺でも、この服が近接戦闘に特化したものであることが瞬時に理解できた。
他にも、ロキが色々と小道具を出してくる。回復薬をはさんでおく金属部品や、剣を固定する金具、身体に直接取り付けるタイプのポーチなどなど。その中から、必要な特殊な装備品をいくつかつけてもらい、会計となった。
請求された額は、ミレーナが自由に使っていいといった金額とちょうど。まるで、ロキが何を勧めるかを予想していたかのようだった。会計を進める最中、思い出したようにロキが口を開いた。
「おっとそれから、飛竜を仕留めるなら翼だ。あそこには魔力血線がそこら中に這ってる。そこをズタズタにしちまえば、もう飛べはしない」
曰く、ドラゴンの翼にもきちんとした役割があるらしい。ドラゴンの飛行は、純粋に物理法則のみで飛んでいるのではなく、ちゃんと体内のオドを利用しているらしい。翼全体を用いて魔力行使を行い、魔法的に揚力を生み出しているのだ。その機関をつぶしてしまえば、なるほど確かに飛行はできない。
端末の音声書き取り機能を使い、その情報を端末内へと保存する。会計を済ませ、お礼を言って帰ろうとした矢先、
「……ちょっと待て」
ロキが俺たちを呼び止めた。というか、主に俺を。
「そのカタナ、……それが鞘じゃないだろう?」
そう言われ、腰に取り付けている不自然な大きさの鞘へと目が移る。通常の剣よりもはるかに細く、薄い、その黒い刀身自体には明らかに不釣り合いな革製の鞘。
「はい。鞘が見当たらなくて……今は有り合わせのもので対応してる形です」
刀を渡すように促してきたので、外して手渡す。
あの場所には、こいつの鞘が落っこちているということはなかった。よって新しく調達するしかなく、いま使っているのは、幅と長さが十分にある長刀用だ。だがそれゆえか、少し刀身がぐらつくため、模擬戦闘となると少し戸惑ってしまうのが難点。
といっても、なぜかこの刀に刃がついておらず、オドを練らなければ今のところは強烈に硬い木刀という立ち位置なので、危険性についてはあまり心配はしていないが。
「…………ちょっと、待ってろ」
しばらく黒い刀身を眺めていたロキが、ポツリと呟いた。
そう言って奥へと消えていく。三分ほどたっただろうか。布に包まれた何かを数本持って、カウンターへと姿を現した。カウンターに布の塊を置き、一気に取り去る。そこには、
「鞘?」
頭から尻まで真っ黒な木製鞘。それも長剣や片手直剣といった類のものではない。長さ、太さ、反り具合――完全に刀用に作られたとしか思えない品だった。
付けてみろと、無言で一本が手渡される。抜刀し、黒い方の鞘へと刀を収める。
コトリッという静かな音をたてて滑らかな刀身の滑りが止まり、刀身と鞘とが完全に一体化した。
「……ピッタリ」
「やっぱりか」
雨宮が呟き。ロキがうなる。どこで拾ったのかを話してみる。すると、納得した顔で話し始めた。
「うちの爺さんがな、昔それをよく作ってたんだ。理由を聞いても教えちゃくれねえし、いつか来るっつってな。ということは、そいつは爺さんの知り合いの持ち物だったか……」
聞けば、最近はどうも認知症の影が見え始めたようで、記憶もあやふやになりつつあるのだという。余談だが、ロキは予想通りドワーフで、ロキのおじいさんももちろんドワーフだ。どんな長寿な生物もいずれたどる道らしい。しかし、いまも鍛冶の仕事は続けているとのこと。
「危なくないんですか?」
「爺さん、つい最近のことは忘れるくせに、何十年も前のことは覚えてんだよ。鍛冶師として仕事もそこに入る」
それに、俺より作るのが上手いんだ、とロキが苦笑いする。それは確かに、技術を盗むためにも、嫌でなければ仕事をしてほしいとは俺も思う。自分よりもうまいならなおさらだ。
また、昔のことは覚えているが、最近のことはどんどんと忘れていく――それは認知症の症状だ。認知症の進行具合を確かめる検査とこれから起こるであろう事態の内容、そしてその対処法を、一般常識の範囲だが口頭で伝えておく。
そのとき、
「おいロキ! 頼まれた数、長剣ができたぞ」
奥から、もう一人の男性が顔を出した。ロキよりもかなり背が低く、髪もない。明らかに年上の印象だった。そんな男性が、なぜか俺を凝視し沈黙している。
「……えーっと、なんですか?」
「爺さん、イツキがこの刀持ってきたんだが、作ってた鞘ってのはこいつのだろ?」
「…………ぉぉお……」
「「おお?」」
「おお‼ 遅かったじゃねえか‼ どこほっつき歩いとった小僧‼」
突然、鼓膜を突き破らんというほどの声量で、老人が喋りだした。あまりの声量に、慌てて耳を押さえる。雨宮はもうすでに涙目だ。というよりも、俺は叱られているのだろうか。
「……俺、ですか?」
「当ったり前だ‼ どれほどほったらかしにしとったんじゃ‼ もうとっくに整備は終わっとる‼」
「うるせっ……いや、その、俺何も頼んでないと思うんですけど」
ピタリと、老人の動きが止まる。グリン! と首だけが真後ろのはずのこっちを向いた。後ろからは小さく悲鳴が聞こえる。
「小僧、ミレーナんとこの小僧じゃねーのか?」
「一応はそうなんですけど、多分、俺はあなたが思ってる人――」
「やっぱり、ミレーナんとこの小僧じゃないか‼ 自分の預けたモンを忘れよってからに、けしからん‼ 待っとれ、持ってきてやる」
嵐のように騒いだ老人は、そう言って奥へと戻っていった。
「……悪かったな。爺さん、最近耳も遠くなってきたんだ」
「でしょうね」
「うー……耳が痛い」
押さえていた手を外し、耳を休ませる。まだ先ほどの残滓が頭に残っているようで、微かに耳鳴りがする。
「念のために訊くが、身に覚えは?」
「ないです」
「そうだよなぁ……誰と間違ってんだ? あの爺さん」
「俺から、もう少しだけ少し預かってて欲しいって言いましょうか?」
「そうしてくれるか? 爺さんをだますような役を押し付けて悪いが――」
「持ってきたぞ‼ 小僧‼」
「「「ッ⁉」」」
再び爆音が室内全体を揺らし、慌てて耳をふさぐ。照明が小刻みに震えている。視界の片隅で、花瓶が落ちたのが目に入った。
「あの、できればもうすこしだ、け…………」
預かっていてください、その言葉が紡がれることはなかった。差し出されたものが何なのかを認識したとたん、言葉がしりすぼみになって消えていく。反射的に、受け取ってしまう。
「かなり特殊な素材だったからな、修理材料を探すのに手間取ったが、それで元通りだろう?」
思わず頷いた。ロキと雨宮が、驚き目を見開く。だが、そんなことに構っている余裕はなかった。
鞘も白、鍔も白、俺が持っている黒刀と対極の、何から何まで真っ白な刀。この名前を、俺は知っている。
こいつの名前は、
「……《六角薄雪》?」
「名前まで忘れとったら、ひっぱたこうと思っとったわい」
フンッと鼻息を鳴らし、老人が悪態をつく。雨宮とロキが目を見開く。
「神谷くん、知ってるの?」
「雨宮とゲームでパーティーを組む前、俺が使ってた刀だ。何から何までそっくり……どういうことだ?」
「そうりゃそうじゃろう。ワシが完璧に復元したんだからな」
違う、そういうことじゃない。この刀は、本来この世界にあるはずのない刀なのだ。なぜならこれは、ゲームの世界で造られた空想の産物なのだから。
刀という存在があるのは、そういう進化をしたからだと理由をつければまだ納得できる。白い刀も、そういう材料を使ったのだと言われればまだ理解もできる。だが、鍔の模様に刀身の刃紋、鞘に掘られた細工に部品の形まで一緒であることなど。あっていいはずがない。あるはずがない。そんな偶然は、起こりうるはずもないのだ。
念のため、刀身を抜いてみる。やはり、真っ白な刀身が俺の目に入った。
可能性があると言えば、それはこの世界がゲームの中だと認めてしまうこと。だが、それは違うともうこの数週間で嫌というほど実感してしまったはずだ。あの経験をしてなお、ここがゲームかもしれないとはどうしても思えない。
突然、
「……持ってけよ、イツキ」
ロキが俺に近づき、老人には聞こえないほどの声量でそう具申した。
「ロキさん……」
「これもなんかの縁だろ。それ、何なのか知ってんだろ?」
黙ってうなずく、ロキが小さく笑った。
「で、爺さん。こいつはいくらなんだ?」
「代金は前払いで貰っとる。待たされたからと言って取れん」
「だ、そうだ」
「本当に、いいんですか?」
「お前ってことになってんだ。ありがたく貰っとけ」
白刀を見つめ、少し考える。
これを必要としている人物が、まだこの世界にいるのではないか。いつか、これを取りに来るんじゃないか。そのとき、なかったらどういうことになるんだろう、と。
「持ってけよ。持っていけ」
その葛藤を知ってか知らずか、ロキがさっきと同じ言葉を繰り返す。考える――これを持ち去ればどうなるか、持ち去らなければどうなるか。もう一度刀身を引き出し、純白のそれを眺めながら思考を加速させる。
ロキは持って行ってもいいといった。だとすれば、一番の問題は俺の心だ。迷いがある状態でこれを使えば、良いことはひとつもない。もし、刀に命があるのなら、そんな奴には従いたくもないだろう。少なくとも俺はそうだ。
考える。考える。
俺は、どうすれば納得できるのか。どんな答えを出せば迷いが消えるのか。
考えること数十秒。
「…………はい。じゃあ、持ち主が来るまではそうさせてもらいます」
結局俺は、この刀をもらうことにした。ただし、あくまで借りるという体だ。本当の持ち主が現れるまでの、あくまで一時借用。その返答に、ロキが(なぜか雨宮も)苦笑した。
この刀が、俺と全く無関係かと訊かれたら、なぜか否定できない。俺の記憶にある、ここにはあってはいけないはずの謎の刀。この刀には何かを感じる。言葉にはできないが、不思議とそう思った。だから、あくまで借りるだけ。命を預かる相棒なのだから、墓場に刺さっていたこの黒刀と違って貰うと割り切ることができなかった。
「それじゃあ、ありがたく受け取ります」
「ありがとうございました」
さよならの言葉は、帰ってこなかった。二人とも、腕を組んでこちらを見つめている。あれが、鍛冶師の流儀なのだろうか。
「もう壊すんじゃないぞ‼」
店を出た後、そんな声がはるか後方からはっきりと聞こえた。
◆◇ ◆◇ ◆◇
「……さあ、今日は終いだ。飯にするぞ」
「へいへい」
老人の提案に、ロキが店じまいの準備へと移る。看板をしまい、店のランタンを消していく。その間も、老人は店の前で立つ続けた。
唇が動く。
「…………あの小僧、エルフだったか」
その呟きを聞いたものは、誰もいなかった。