第1章ー12 「謎と挫折」
目をつむり、呼吸を正す。
体内の魔粒子――魔力を活性化させ、右手へと集中させる。頭の中で、ミレーナに教わった詠唱術を思い浮かべる。
大丈夫。詠唱の意味は理解している。詠唱自体も、詰まらずに言えている。大丈夫、今度こそ、大丈夫……。
「炎熱よ、その身を焦がせ……」
魔術と親和性の高いキエラ語はまだ使えない。ミレーナに教わった標準詠唱を、ゆっくりと唱える。
身体の魔力が活性化し、変質しているのが感覚で分かる。その塊を、全て右手に集中する。それと調律を整えるように、大気のマナがふさわしい形へと姿を変える。その時生まれる副産物こそが、魔術。
そしていま使う魔術は、高度演算が必要ない初歩魔術。感覚次第でいくらでも増幅できる、ある意味使い勝手がいい魔術。
疑ってはいけない。世界の理を書き換えているのだ、いびつなのは当然。理解しようとしなくていい。ただ、成功することだけを思い浮かべろ。この魔術には、高度演算は必要ない。
右手付近のマナが順調に変化している。右手に集まるオドも、これまでになく静かで力強い。これならば、今度こそいけるはず。あとは、書き換えを命じれば魔術が発動する。
書き換えコマンドを、空気の振動として発する。喉から生まれた空気の波は、音となって晴香の耳にも届いた。
「《フレイマ》!」
停滞していたオドが、急速に存在を変えていく。均衡を保つため、大気のマナにも書き換えが起こる。しかしそのプロセスには明確なラグが存在し、書き換え不全の《マナ擬き》が、火へ、水へ、氷へと、例外的に書き換わる。いまの場合は、燃え盛る小さめの火球へ――、
瞬間、
パチンと、何かが弾けた感覚がした。本来の魔術では、決して感じるはずがないとされる痛みにも似た破裂の感覚。晴香にとっては、何度も経験している苦い感覚。
ああ、まただ。と、魔術が完成する前に言葉にならない落胆が襲う。同時に、脳が理解してしまう。数秒先が確定する。また、いつものごとく、
失敗なのだと。
感じた破裂の感覚が、完成間近のマナ溜りに狂いをもたらす。途中計算で代入値を間違えた時の様に、狂った値はどんどんと誤差を広げていく。知覚できるように、続いて明らかにおかしいと分かるほどに、そして、最後は無視できないレベルに。
理をゆがめる事象が、いい加減に発動することなどありえない。狂ったマナが正常なマナをかき乱し、完成間近の魔術が一気に崩壊する。望んだ事象とは、別のものに変換される。それすなわち、暴発。
晴香の初歩魔術は、爆風爆音とともに、無残にも大気へと飛散した。
「…………はぁ」
腕に残るのはしびれにも似た痛み。同時にけん怠感とめまいが身体を襲い、思わずその場に座り込む。
少し離れて立っていたルナが、晴香の隣にやってくる。そして晴香同様、少し困った顔をして隣に座り込む。
「う~~~~ん……なんでだろう」
頭の上に疑問符を浮かべながら。
◆◇
修行を開始してから早二週間。ミレーナの監修の元、初めの四日で魔力の知覚とコントロールが可能になり。その次の日から、本格的に魔術の修行が始まった。
普通は、魔力の知覚が習得までに一番時間のかかるステップだったらしく、なかなかに筋がいいとミレーナに褒められたくらいだ。
これで、わたしも戦える――次の段階へと進む際、晴香の胸には期待と高揚感しかなかった。当然だろう、常人なら数か月はかかると言われていた段階を、たった四日で攻略してしまったのだから。
ここまではよかったのだ。問題は、その先にあった。
魔術が発動しない。
ミレーナ曰く、魔術を行使するために必要なオドは晴香の中に十分に存在しているらしい。理論的に考えれば、オドの知覚とコントロールが可能になったならば、初歩魔術を使う事自体はそこまで難しいことではないはずなのだ。そのはずなのだが……。
「はぁ、なんでわたしは使えないんだろ……」
疲れもあって、少し大きめの気の抜けたため息が、晴香の口から洩れる。
なぜだか、晴香の場合は魔術が全く発動しないのだ。どれだけ詠唱を頭に叩き込んでも、どれだけ詠唱の練習をして詰まらずに言えるようになっても、結果は同じ。最終工程の魔術行使の段階まで来ると、なぜだか魔力の調律が狂い、霧散してしまうのだ。
これには、さすがのミレーナも予想外だったようで、色々と試行錯誤を繰り返した。一番有力視された説は、知識不足。そのことが、晴香の心に一抹の不安を持たせ、魔術発動の邪魔をしているのではないか――との結論に至った。
よってここ数日、晴香の修行はこの世界のこと、そして魔術に関する知識を叩き込むという方向に切り替わっていた。そのおかげで、この世界のことについては樹異常に詳しくなってしまった自信がある。
『魔術とは、魔法の技術の略である』
ミレーナの言葉がよみがえった。
◆◇
『魔術は、使用者の技量が大いに関係する魔法を誰でも使える汎用技術に落とし込んだもの、そう考えると解りやすい。基本属性は火・水・風・土の四種類。その分類は血中の魔粒子―オド―の型によって決定される。ハルカが使ったあの銀板は、その属性を判別するための道具と思ってくれればいいよ』
『ということは、持っていない型の属性は使えないということですか?』
『そういうことだ。それから、常人は主に一種類の魔粒子を大量に持ち、残り三種類が微量に存在するという分類が一番多い。よって、実戦で十分使用可能な威力を誇る属性が一種類であり、威力は劣るがそのほかの魔術を補助として使うというのが一般的。ただし、まれに二種類以上の魔力粒子を持つ者も存在する。ハルカ、君もそのうちの一人だ』
『適正については理解しました。でもそれなら、神谷くんはオドを持っているのに、どうして魔法を使えないんですか?』
『いい質問だ。簡単に言うと、何にでも例外は存在するということだ』
『?』
『先に挙げた四種類の他に、もう一種類、別の魔粒子が存在する。これは他の魔粒子とは根本的に異なり、事象改変の機能がない。よってこの型を持つものは、魔術を行使することが不可能となるんだ』
『初歩魔術も……ですか?』
『その通り。といっても、本当に何にもできないかと問われれば、私は否と答える。君も見ただろう? イツキが行った攻撃を。あれが、数少ない攻撃手段。自身のオドと大気のマナを干渉させて、一気に解き放つ。他にも、身体能力向上や治癒力の上昇なんかも存在はするが……。何にせよ――』
――恐ろしく使い勝手が悪いことは事実だ。
◆◇
思考が、今この場所に戻る。いくら考えても、晴香が魔術を使えない理由が見つからない。それどころか、自らの未熟さを痛感してしまう始末。
神谷 樹は魔術が使えない。
そのことは、ミレーナの話から知った。そして同時に、努力云々で解決できる類のものでもないことは証明されてしまった。
リンゴが浮き上がるのも、水が一瞬で沸騰するのも、魔術があるからこそ可能となる。だとすれば、それを使えない樹にとって、ここは日本よりもの凄く危険な外国という場所でしかない。春香なら、その時点であきらめていただろう。
だけど、樹は違った。
そんな場所でも、戦う術を身に着けようとしている。訊けば、順調だという答えが本人からは返ってきた。そういうことにはプライドなんか無い樹のことだ、嘘をついているとはとてもじゃないが思えない。だとすれば、いま晴香が想像しているよりも、さらに先へと進んでいるのだろう。
対して、自分はどうだろうか。
せっかく持った才能を、樹が持ちたくても持てない能力を持っているにもかかわらず、この体たらくは何なのだろう。使えるはずの才能を使いこなせず、ただいたずらに時間だけを浪費している。
こんな状態じゃ、樹の隣に立つどころか足手まといにしかならない。このままじゃダメなのに、いったい自分は何をしているのだろう。
そのとき、ルナが呟きを上げた。
「ごめん。もしかしたら、私の教え方が悪いのかも」
「そんなことないって! ルナのおかげでここまで来れたんだし。そもそも、教え方が悪かったら、最初で終わってるから」
いやいや、そんなことはないと、首を激しく左右に振って、晴香はルナの言葉を即座に否定する。その言葉に苦笑しながら、「でも……」とルナが言葉を続ける。
「ミレーナさんの時は、こうじゃなかったでしょ?」
「同じだったよ。ミレーナさんだった時も、全く使えなかった」
「だとしたら、本当になんでだろ……」
んー、とルナがうなり、ごろんと寝っ転がる。ちなみに、なぜルナが晴香の修行を担当しているのか、その理由は簡単だ。
ミレーナがここ数日不在だから。そして、ミレーナに樹もついて行っていたから。樹は、昨日ボロボロになって帰ってきた。樹を置いてすぐ、ミレーナはまたどこかに出かけて行ったのだ。
「ハルカは、何か心当たりある?」
「わたしもさっぱり解らない……」
心当たりは? と訊かれても、そんなものは知らないとしか言えない。どこが悪いか解っていて直せないといった類ではないのだから。
ふと、この立場が逆だったらと考えてしまう。
もし、樹が春香と同じ立場だったらどうだっただろうかと。
――……どうせ、上手くやるんだろうなぁ。
そのビジョンしか思い浮かばない。いままでの樹を、ゲーム世界のイツキを知ってしまっているから、失敗する光景が想像できない。もちろん、順調とは言わないだろうが、なんだかんだ言って成長していくのだろう……いまの晴香と違って。
全く、成長できない自分が情けない。
「――ハルカが魔術を覚えたい理由ってさ、足手まといにならないため……だったよね?」
「うん。そうだけど」
「足手まといになりたくない。守られるだけじゃ嫌。対等な関係でいたい。今度は自分がイツキを支えたい……こんなところ?」
「う、うん」
突然そんなことを訊かれ、戸惑いながらも晴香は頷く。頷いた後で、自分が言っていないことまで見透かされたことに気が付き、わずかに顔を赤くする。すると、ルナが起き上がる。その顔には意地悪い笑みが浮かんでいた。
「好きなんだ? イツキのこと」
「⁉」
「薄々……ていうかほとんど分かってたけど、どうなの?」
「それは……」
流石に、それ以上言うことは理性が待ったをかける。ほとんど分かりきっていることだとしても、それを口に出すのにはまた別の勇気がいるのだ。崖から飛び降りたり、絶叫マシンに乗るのとは違う、それ以上の覚悟のようなものが。顔が熱くなる。体温が急激に上がっているのが肌で感じられる。
「笑わないから」というルナの言質を取り、たっぷり数秒後、晴香は真っ赤な顔を縦に振った。
「そっか。で、どこが好きなの?」
「なんでそんなこと訊くの⁉」
「強いて言うなら、イツキの方を理解するため」
「?」
ルナの言った意味が良く解らず、晴香は首をかしげる。
「私、いまいちイツキのことが良く解らないんだ。信用できるし、いい奴っていうのは良く解るんだけど。もっと本質的なところ、なんて言うか……どこか人を避けてるように感じる。それに、踏み込む歩数を間違えたら、締め出されるような気がして――どうしたの?」
言葉が出なかった。嫉妬とか、突拍子もないことだから唖然としているとか、そんな感情ではない。ただ単純に、その感覚を持っていたことに驚いたのだ。
「いや、ルナが気づいてたことに驚いちゃって」
「?」
今度は、ルナが疑問符を浮かべた。
「それは当たり。神谷くんも言ってたから。『俺は、人を避けてる』って」
神谷 樹は、人を避けている。そのことは、本人も認めている紛れもない事実だ。だが、一緒に行動するうちに、そんな一面は段々と成りを潜めていたのだ。いまでは、初対面の人と会話していてもそんな面は出さない。だからこそ、ルナがその一面を感じ取っていたことに驚いたのだ。
「わたしが最初に合った時は、いまよりもっと露骨だったよ? もっとこう、《話しかけんなオーラ》みたいなものをずっと出してたから、すごく印象悪かった」
「ええー……想像つかない」
「だいぶマシになってるでしょ?」
「うん」
ルナが目を丸くしている。なぜかさっきの仕返しをしたみたいな感覚に陥り、少しだけすっきりとした。
「自分に害がある人には容赦なかったし、わざと嫌われるような方法を取ろうとするし、絶対に本心なんか見せなかったし」
「……よく、折れなかったね」
思い出しただけでもげんなりする。いつしか話す口調は誰が聞いても不貞腐れたようにか聞こえなくなっており、ルナも苦笑していた。
「何でだろう。初めは好奇心だったんだけどね」
「好奇、心?」
「うん」
いま思えば、よく初めの段階で折れなかったなと自分に感心する。しばらくすれば対応もそれなりにはなったが、よく考えてみれば初めの時点で見限っていてもおかしくはなかった。
「なんて言うか……他の愛想が悪い人とは違うような気がして」
「そこが気になったんだ?」
「簡単に言えばね」
言い方を変えれば、気になってしまったのが運の尽き……ともいえるだろう。
そこから、樹の印象が変わっていくのに対して時間はかからなかった。
「不真面目かと思ったら、頼まれた仕事はちゃんとするし。自分からは話さないけど、訊かれれば真面目に答えるし。言葉は全然乱暴じゃないし。気が付いたら、話すのもそんなに苦じゃなくなってた」
半分は、樹もあきらめていたらしい。事あるごとに寄って来る雨宮 晴香という存在を排除する労力より、しぶしぶ付き合うことを優先したのだという。初めて居場所ができたと喜んでいたその時は、それを聞いて盛大に落ち込んだものだが……。
「それで、何でそんな行動してたかは分かったの?」
「あー、うん」
「どうしたの?」
「ごめん。これ以上は話せない」
「?」
話過ぎたと、少し後悔する。まずったなと、心の中で反省する。これ以上は、どうしても話してはあげられないから。晴香の口から説明することは、絶対に許されないから。なにより、晴香自身の心が許さない。
「知ってるには知ってるんだけどね。実は、神谷くんから聞いたわけじゃないから。神谷くんからは、まだ話してもらえてない」
「…………」
卑怯な手段で知ってしまった、神谷 樹の過去。幼いころにあんなことがあれば、人を避けるのも理由を言われれば納得がいくような気がする。だが、樹からはその理由はおろか、何があったかも話してもらえていない。春香は、何があったかは知らないことになっているのだ。
「話してもらえてないことを、わたしからは話せない。ごめんね」
樹が話してくれないなら、何も知らないはずの晴香が話していいはずがない。そんな形で、樹を裏切るようなことだけは絶対にしたくない。いや、知っていたとしても、晴香が話すことではないだろう。
「そっか。そういうことなら」
晴香の表情で内容を察したのか、ルナはおとなしく引き下がった。「ありがとう」という晴香の礼を聞いたルナは再び寝っ転がり、空を見上げる。そのまましばらく、沈黙が下りる。
どれくらい経っただろうか、
「ねえ、ハルカ」
「うん?」
「イツキのところに行ってみたら?」
「……はい?」
突然、そんな突拍子もないことを言い出した。
「さっきから考えてたんだけどさ。ハルカが魔術を使えない理由って、心のどこかで魔術のことを信じられないからかもって」
「あ、そっちの話に戻るんだ」
当然、と言ってルナは笑う。
「ほら、私やミレーナさんがどれだけ説明しても、所詮はこっちの世界の常識が元になってるじゃん。価値観とか、文明とか、そんなのはどれだけ頑張っても、無意識のうちにこっちの世界の常識で考えちゃうし。魔術も、命の危険もない。私たちの住む世界とは何もかも違うから、もしかしたらそのことがハルカに不信感を持たせてるのかも」
「つまり、完全にそれをなくすには神谷くんのところに行くしかないってこと?」
「そういうこと」
ルナが大きく頷く。
「イツキも、魔術のことはミレーナさんと私から聞いて知ってるはずだし、聞いてみたらいいよ。同じ故郷の人間じゃないと気づかないこともあるかもだしさ」
目から鱗だった。
確かに、晴香からしてこの世界で理解できない事象はたくさんある。正直言って解らないことだらけだ。それに対する違和感こそが、修行の妨げになっているのではないか――なるほど確かに、そうとらえてみれば大いに納得がいく。
それに考えてみれば、仮に聞いてみたところで、収穫ゼロの可能性はあってもマイナスになることはないのだ。相談しに行くことそのものには、何のデメリットもない。
強いて言うなら、うまくいっていないことがイツキにばれてしまうということ。だが、このまま魔術が使えないことよりもはるかにましだ。
だとすれば、取るべき行動はもう決まったようなもの。
「……分かった。神谷くんにも聞いてみる」
「頑張って。もし何か分かったら、私にも教えてよ」
その笑顔は、同じ十六歳とは思えない不思議な雰囲気をまとっていた。
次回の更新は、4/30、0時の予定です。