93 夕焼けのふたり
月島嶺二と白石詩織の乗った自動車は、東京を離れて、神奈川の方へと向かっていた。ひたすら、人気のないところを探していた。白石詩織は、窓の外を眺めていた。鎌倉の方へと向かっているのに気付いて、一月前のことが思い出されて、苦しくなった。
「こっちの方は嫌か……?」
月島嶺二は、ちらりと詩織の様子を窺った。
「大丈夫。あなたさえいれば……」
その言葉に、嶺二は静かに頷き、ひたすら自動車を走らせた。
鎌倉の付近は、正月なので人が多い。しかし、浜辺は冷たい海水に浸かろうとする者もなく、人影はなかった。
ふたりは、日が暮れようとする中、鎌倉の浜辺に出た。中心地から離れた浜辺であるから、とても静かであり、波音が聞こえてくるばかり、見渡す限りの赤い海である。
白石詩織は、一月前に祐介とこういう浜辺で夕日を見ていたことを思い出した。
鶴岡八幡宮の石段を下った時に、詩織は祐介を見て、この人なら私たちの罪を止めてくれるのではないか、また幸せな日常に引き戻してくれるのではないか、と思った。
そして、こんな夕焼けの中で、詩織は祐介に今の心境を訴えたのだ。今、あの時が懐かしく感じてきた。
あれから、詩織は長谷川刑事と会って、日本刀で斬り殺した。
詩織が頭部と胴体を切り分けて、嶺二がビニール袋に頭部を入れて、胴体はカーペットに包んで、自動車のトランクに入れた。全ては、詩織のアリバイのためだった。これで、自分も罪人になったと思った。それも自業自得だと思った。五年前に月島嶺二に谷口刑事を殺すようにお願いした時から、自分は悪魔に心を売ったのだと思っていた。
恋人の月島嶺二は、その羽黒祐介に追い詰められたのだ。私たちは恨むだろうか、そもそも、私たちは滅びる運命であったのに、と詩織は自問した。
詩織は、嶺二に寄り添った。嶺二は、赤くなった波に目を落としていた。そして、詩織の方を向いた。
「君に嘘をついていたことがある」
「何?」
「長谷川を殺した理由だよ。君には、俺の人生を破壊した人物だと言っていたけど、本当は、俺の方がやつを個人的に恨んでいたんだ……」
「………」
詩織は、そんなことか、と思った。嶺二がどう思っていようと関係なかった。詩織にとっては、自分のために手を血に染めた嶺二に恩返しをしたかった。ふたりで血にまみれて、どこまでも堕ちていきたかった。
「やつは、俺の腹違いの弟だ。俺の本当の父親は、長谷川の父親だった。馬鹿な男で、月島家の嫁に手をつけて、妊娠させてしまったんだ。俺は、望まれないで産まれてきたんだ。月島の家に育って、俺はだんだん自分の居場所がここではないと感じ始めたんだ。母親は、すぐに死んでしまって、父親からは愛されなかった。だから、俺は、長谷川純二が羨ましかった。あいつは愛されていた。どうして、こんなことで、運命が違ってしまったのだろうと思った。それで、俺は長谷川に会いに行って、そのことを告げた。長谷川の父親が俺の母親を妊娠させたことも、全部な。あいつは、俺のことを厄病神のように思って、隠したがった。恐れていた。俺は、自分を厄病神だなんて思っていなかったし、思われたくなかった……」
詩織は、嶺二のいう言葉を聞いて、憐れに思った。そして、今ここにいる自分たちは憐れだと思った。もう、未来のない自分たちだった。
「理由はもういいよ。その日本刀で私を殺して……」
詩織は、そう言うと悲しげに微笑んだ。
「そうだな。だけど、君を殺すことになるなんて……」
「殺すんじゃないわ。一緒に逝くんだから……」
「そうだな……」
「私はあなたといっしょならどこまでも一緒に堕ちてゆく……」
月島嶺二は、静かに頷くと、詩織の瞳から涙が溢れているのを見て、自分も涙を流した。
「詩織、愛している……」
「うん……」
嶺二は、詩織に日本刀を振り下ろした。赤く散ったものが夕焼けと一色になった。嶺二は、すぐに自分に日本刀を突き刺して、それを抜いた。
「あっ……」
悲しみが押し寄せて、消えていった。あたりが暗くなった。その後は、もう自分たちがどこにいるのかもわからなかった。
……ふたりの体は、十字に折り重なり合って、倒れていた。ふたりはいつまでも一緒だった。閉じた瞼からは涙が滴っていた。赤い夕日がそれを静かに照らしていた。




