92 最後の格闘
祐介は間一髪のところで、背後の異変に気付いた。振り返ると共に、それが日本刀だと気付き、風に引き倒されるように、すばやく地面に伏した。
頭上を刀身がよぎったのを感じた。
すぐに顔を上げて見ると、そこにいたのは、やはり黒服にヘルメット姿の男だった。
男はもう一度、日本刀の柄を固く握りしめ、天に振りかざして、祐介の方に勢いよく踏み出そうとした。祐介は、もう駄目だ、殺されると思った。ところが、その時だった……。
祐介をかばうように、大きな人影が横から飛び込んできた。服が擦れる音が響いた。途端、ヘルメット男の日本刀を握る手首に、その人影の手が重なった。その瞬間、煌めく刀身が宙で動きを止める。あまりのことに、ヘルメットの男は驚いて、よろめきつつ、その相手の顔を捉えた。
「あっ……」
男のヘルメットの中からくぐもった声が聞こえた。
祐介も、突然の事態に驚きつつ、その人影の後ろ姿を見つめ直した。
それは根来警部の後ろ姿だった。相変わらずの汚れたコートは、すみれのいない間にさらに黒ずんでいた。根来は、男の手首を掴んだまま離さない。根来が、気合いを入れて、日本刀を握る手首をあらぬ方向に返すと、ヘルメットの男は大きくよろめいて、日本刀を離し、宙を一回転しながら、地面に落ちた。
根来は、ヘルメットの男が倒れたのを確認すると、祐介の方を見た。
「大丈夫か、羽黒……」
祐介は、根来の手を握って立ち上がると、
「危ないところでした……」
と言った。
「そんなことより、根来さん、何故ここに?」
祐介は、根来の顔を見た。
「いや、実は室生から電話があってな。どうやら、お前が真相を見破ったらしいのだが、いつもと様子がおかしいと言うんで、俺も心配になって会いに来たんだ。また、一人で無茶をしないかと思ってな、ずっと尾行していたんだよ……」
そう言って、根来は服装を整え、埃を払うと、倒れているヘルメットの男に近づいて行った。
「こいつは月島なのか……」
「根来さん。ヘルメットを取ってみましょう……」
根来が、ヘルメットを取り、覆面も剥ぐと、なるほど、月島嶺二の端正な顔が見えた。嶺二は、悲しげにこちらを見つめていたが、何も言いそうもなかった。すぐに観念し、死んだように目を閉じて、俯向いている。
「おい、現行犯逮捕だ。お前がこの事件の犯人なんだろ?」
根来はそう言うと、嶺二の腕を取って、無理に立ち上がらせようとした。
その瞬間、どこに隠し持っていたのだろうか、嶺二はナイフを根来に突き出した。根来は、慌てて、背後に飛び退く。祐介も息を呑んだ。嶺二は、その隙に、隅田川とは反対の方向へと走り出した。
「待てっ!」
根来の声が響く。
嶺二の向かう先には、黒い自動車が停まっていた。嶺二は、それに乗ると、あっという間に、その場を走り去ってしまった。
「いかん。犯人を逃した。しかし、やつの顔は見た。月島嶺二だ。羽黒、この事件の犯人はやつなんだろ?」
「ええ。でもそれだけではありません。犯人は、もうひとりいます」
「もうひとり、誰だ?」
「白石詩織です」
「白石詩織だと……?」
根来は、驚いたように口をつぐんだ。
そこに胡麻博士が、ジョギングをしながら戻ってきた。そして、根来と祐介が静かにうつむいていることに気づき、しばし、ふたりを見つめていた。
「何かあったのですね……?」
根来は頷いた。
「とにかく、月島嶺二を探し出すんだ。すぐに……」
……根来は悔しそうにそう呟いた。




