76 混乱する二人
月島嶺二は、煙草を取り出すと、自分を落ち着かせるようにそれを吸いながら、部屋を歩き回っている。
「大丈夫だ。少なくとも、長谷川の件については、まだアリバイが崩されていない」
「それも時間の問題だわ……」
「そうだろうか?」
嶺二は、一歩、詩織の方に近づくと、
「あのアリバイトリックには自信がある。根来は、おそらく、上野から先に進めなかっただろう。それというのも全て、あの日本刀のおかげだ……」
と言って、またソファーに深く座り直した。
「あの子が、何か話すかもしれない……」
と詩織は、不安げに言った。
「あの子……?」
「楊さん……」
「そんなはずはない。なぜ亦菲が俺を裏切るというんだ。何の恨みがあって、そんなことをすると言うんだ。第一、あいつは君と谷口の名前を知っているだけだ。それだけで、どうして、あの谷口刑事のことだと知れるんだ。誰が、この複雑なミッシングリンクを結びつけて考えられると言うんだ」
嶺二は、苛立ちを抑えるようにそう呟くと、苦しげに頭を抱えた。
「そうね」
詩織は、心のこもっていない声で返事をした。
「しかし、一点だけ……」
嶺二は、何かを思い出したように呟いた。
「一点だけ気になることがある。君が鎌倉で出会った探偵の名前だ」
「羽黒祐介……?」
「そうだ。羽黒だ。どうして君は、そんな名前の人物にアリバイの調査を依頼したんだ……」
「それは……」
詩織は、恐怖に怯えた瞳で、はっと嶺二を見返した。
「君は羽黒という名前を何とも思っていなかったのか。なあ、五年前のことを忘れたのか!」
「やめて!」
詩織は恐ろしくなって、立ち上がると、窓の外に逃げるように歩いて行った。
雨が窓をしきりに叩いていた。その下に、日本庭園が広がっているのが見える。それも、暗がりに光が輝いているだけだった。
「五年前、僕が殺した人物の名前を覚えているだろう?」
「名前……」
「羽黒龍三だ……」
詩織は、恐ろしげに嶺二の方を振り返った。
「だから、もしかしたら……」
「やめて!」
詩織はたまらなくなって悲鳴を上げると、頭を抱えて、床にしゃがみ込んでしまった。
「詩織。俺が、何かおかしなことを言っているか!」
嶺二は、そう叫ぶと、詩織の方へと歩いて行った。そして、しゃがんでいる詩織を抱き起こすようにして、
「なあ、詩織。俺は何かおかしなことを言っているか? あの探偵が、羽黒龍三の関係者なら、絶対に見つかるはずのないミッシングリンクも、最も簡単に結びつけられてしまうんだよ……」
嶺二は非難をするようにそう言って、詩織をすくい上げると、詩織の瞳から一筋の涙が落ちるのが見えた。それに驚いたように、嶺二はうつむいた。
「私たち、もうお終いなの……?」
「いや、そんなはずはない。しかし、もっとよく考えなきゃいけないってことさ」
嶺二は、弁解がましく、そんなことを言ってから、何か考え込むように床を見つめて、詩織を見つめ直し、
「俺が、君を苦しめているのかな……?」
と震えた声で尋ねた。
「そんなことない……」
詩織は慌てて、涙を拭うと、
「私、あなたと共に生きてゆくと決めたから……」
と言った。
……嶺二は静かに頷くと、詩織を抱きしめた。




