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75 ホテル桃山荘

 日が暮れて、雨の降りしきる中、白石詩織はタクシーに乗っていた。

 彼女は今、ある場所に急いでいる。それは、東京文京区にある老舗ホテルだった。彼女はそこである人物と待ち合わせている。

 彼女はどこか焦っているように見えた。それはタクシーの運転手にも、はっきり見て取れたらしく、彼は時々、ミラーに映る彼女の顔を確認しては、話しかけるチャンスを窺っていた。

「間もなく着きますよ……」

 タクシーの運転手は、白石詩織を可哀想に思ったらしく、そう声をかけた。

「そうですか……」

「お嬢さん、何かあったんですか?」

 その運転手の質問に、詩織はしばらく黙っていたが、

「別に……何も……」

 と心のこもらない声で呟いた。

「何かあったって顔をしてますけどね……」

 この運転手は、よほどデリカシーがないらしく、飽きずにそう語りかけたが、今度は詩織が答えなかったので、しぶしぶ諦めた。


 雨の降りが一層強くなって、あたりは白みがかってゆく。その中に、少し茶色っぽい色合いのビルが浮かび出るように見えてきた。それが、ホテル桃山荘(とうざんそう)だった。

「ほら、着きました……」

 運転手は、くるりと車を回転させて、ホテルの入り口に近いところに停車した。

 詩織は、お金を投げ出すように運転手に手渡すと、タクシーを降りて、一目散にホテルの中へと駆け込んだ。運転手は、物珍しそうにその後ろ姿を眺めていたが、ついにその姿が見えなくなってしまうと、タクシーを運転して、その場から去ったのだった。


 詩織は、ホテル内を走った。豪華なロビーを駆けて行った。高級な壺も、鮮やかな絨毯も、華麗な生け花も彼女の目には入らなかった。そして、ただ、あの人が待っているというその部屋へと急いだ。エレベーターに乗る。彼女は、ドアが閉まる時、おそらく、誰も追ってはいないというのに、人目が気になって仕方なかった。エレベーターが上昇し、その階に到着する。詩織はドアが開くと共に廊下に飛び出した。そして、その番号の部屋を探した。

 詩織は、はっとした。目に前にその部屋があった。インターホンを鳴らした。しばらくして、そのドアが音を立てて開いた。

「詩織……」

 そこに現れたのは月島嶺二の姿だった。顔面が蒼白である。痩せたようにも見える。すぐに、嶺二は詩織を部屋の中へと招いた。そして、ドアをぴたりと閉めて、向きを変えると、震えた声で詩織にこう言った。

「詩織。しくじった……俺はもう終わりかもしれない……」

「そんな……何があったの……柳家平八って人が殺されたってニュースになってたけど……」

 詩織は、嶺二を問い詰めるように言った。


「根来だと思ったんだ。しかし、それは、根来じゃなかった。暗いから、間違って殺してしまったんだ。それだけじゃない。根来を殺そうともしたのだけど、しくじった。あいつはまだ生きている……」

「生きている……? そんな……だとしたら、顔を見られてしまったの?」

 嶺二は、首を横に振った。

「顔は見られていないと思う。ただ、それも確証はない。その時、俺はヘルメットを被っていたし、その下にはマスクもつけていたから、限りなく、可能性は低いけれど……。だけど、少なくとも、あれから二日経った今も、俺はまだ逮捕されずにいる」

 詩織は、心配そうに部屋を歩きまわっていたが、脱力したように、ソファーに座り込んで、こう言った。


「これからどうするの?」

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