72 不思議な部屋
羽黒祐介は、話を聞きながら、静かに頷いていた。それから、そこで一旦話を止めると、
「どうも密室殺人のようですね。しかし、面白い状況です」
と感情のこもらない感想を述べた。
すみれは、祐介のデスクの椅子に腰掛けて、その話を空想の物語のように聞いていた。黒石の喋り方がどこか滑稽なので、実際に起こった事件という感じがまったくしないのだった。
「羽黒君。君は密室殺人を解くのが得意だろ。この謎も解けるのじゃないか?」
「どうでしょうね……」
と祐介は、にこりとして呟くと、一口、珈琲を飲んだ。
「雪の洋館。密室殺人……。本当にそうでしょうか。僕にははっきりとしたことは言えませんが……」
「それでは続きを喋ろう……」
と黒石はまた事件のことを話し始めた。
*
ところが俺は、弟夫婦を見て、少し話をすると、拍子抜けしてしまった。谷口の弟は、利き手である右手を交通事故で骨折していたんだ。この手では、あのように人を切り裂くことはできないと思った。利き手ではない、左手では難しいとも思った。
そして、その妻を見ると、全体に小柄で虚弱な人に見えた。この人も、屈強な谷口をあのように切り裂くことはできないだろう。
俺は、そのふたりの証言を聞いた。弟の名前を谷口春夜といい、妻の名前を谷口里子と言った。死体を発見したのは、今から三十分ほど前のことだという。そして、死体発見後、室内のものには一切触っていないということだった。
「どうして、ドアを壊そうと思ったのか?」
と俺が尋ねると、
「返事がないのがおかしいと思っていて。窓の外から死んでいるところを見たからです」
と春夜は言っていた。
「どの窓か」
と尋ねると、
「西側の窓です」
と春夜は言った。
俺はこいつを疑っていた。その窓の外に、本当に足跡があるだろうかと、まずこのことを疑った。ところが、外に出て、まわりこんでみると確かに西側の窓の外には、何人か分の足跡があった。
そして、窓の外から室内を覗き込んでみると、確かに倒れている谷口の遺体が見えるのだった。
してみると、あいつの言うことは嘘ではないということなるな、と俺は少しがっかりした。
しばらくして、事件の起こった部屋に戻ると、鑑識の一人が俺を呼んだ。なんだろうと思って歩み寄ると、殺された谷口の右手の中に一枚の紙が入っていたという。その紙にはボールペンの字で「はるよ」と書かれていた。筆跡は汚くて分からない。しかし、この「はるよ」に該当する人物がいるだろうかと思った。
ボールペンは、床に落ちていた。このボールペンには谷口薫の右手の指紋が残っていた。
それから、俺はすぐに谷口春夜に、
「はるよ、と言う名前の女性に心当たりは?」
と尋ねると、
「異母兄弟の邦夫の妻が、晴代と言います」
ということを谷口春夜は告げた。
俺は、すぐにその異母兄弟に会いに行った。異母兄弟は、すでに事件のことを聞かされて、居間に呼ばれていた。邦夫というのが、谷口薫の兄に当たる。しかし、母が異なる。そして、薫の家とは仲が悪かった。この人物と話をしているうちに、俺は不思議な話を聞いた。
事件の起こる二時間ほど前、谷口家の洋館の方から、谷口春夜と谷口薫の怒鳴り合う声が聞こえたということだった。
指紋については、部屋のいたるところから見つかったが、ほとんど、谷口薫の指紋だった。机の上の鉛筆や文庫本からは、谷口薫の左手の指紋ばかり見つかった。犯人は、現場に決定的な指紋を残さずに、出て行ったらしいのだが……。
捜査はその後、あまり進まなかった。さまざまな説が生まれたが、決定的なものはひとつもないままだった。
なあ。祐介君。この事件を君ならどう考えるかね……?




