71 谷口刑事殺人事件
黒石刑事は、しゃがれた声でこのように語り出した。
殺された谷口刑事は、本名を谷口薫と言い、山形県警の刑事だったんだよ。俺も生前の奴とよく話したもんだ。殺された時、奴はまだ三十歳だったなぁ。残念だ。一見するとかなりの好男子で、何事もはきはきとこなす真面目な人間だったんが、不意に暗ったい一面が出ることもあった。
そんなとりつきにくい谷口が無惨にも殺されたのは、忘れもしない、今からちょうど五年前の十二月の出来事だった。その殺害場所は、奴の自宅だった。
警察署に通報が入った時、俺と同僚は、偶然にも現場である奴の自宅の近くにいた。すぐに奴の自宅に向かうと、時刻はちょうど午後五時を過ぎていた。その日は、朝から雪がしんしんと降っていてな……それも昼頃にはすっかり止んでしまったが、自宅の周囲はいまだに真っ白な雪に覆われていたよ。
その自宅というのは、昔ながらの洋館なんだ。谷口の父親というのが売れない建築家であったから、若い時分に自分でデザインして建てたというまったく風変わりな建物だった。二階建ての赤い屋根の家。その赤い屋根には白い雪が乗っていた。綺麗だったよ。
それで、その赤い屋根の家の北隣には、谷口の異母兄弟の家が建っていた。後で知ったことだが、この異母兄弟と谷口の家族はひどく仲が悪かったらしい。
車道から石段を登って、玄関に上がると、すぐに所轄の刑事が出迎えた。一歩、彼らの方が早かったらしい。
所轄の刑事、そして駐在に案内されて俺たちは、その事件があったという奴の部屋に入った。なるほど。そこには谷口の死体が横たわっていた。血まみれになってな。凶器は包丁のようなものだと俺は思った。腹を刺された後に、とどめで首のあたりをばっさりやられていた。ひどいやり方だと思った。
すでに死後、一時間以上経っていることは明らかだった。と同時に、俺はあることに気がついた。この死体は、血のしたたる腹部を床に擦り付けながら、暖炉の方に這っていったらしく、床に血の跡があった。それで、俺は暖炉に近寄って暖まろうとしていたのかと思った。しかし、それにしても、何かがおかしいと思った。
その部屋の正面には大きな窓があって、外側へ観音開きになっていた。その窓は開かれたままだった。
この部屋は角部屋で、北側と西側に一つずつ窓があった。開かれていた窓は北側だった。俺が近づいてみると、その窓の縁に、ココアのカップが置かれていた。触ってみるとすでに温かった。窓の外を見ると、真っさらな処女雪が広がっている。足跡はない。
今度は、西側の窓を見ると、黄色いカーテンが開かれていて、窓の端に寄り集まっていた。そのカーテンを見てみると、その折り重なった布の陰まで無数の血痕が跳ねているのが見えた。どうやら、この近くで殺人は行われたらしい。その窓を見ると、内側から閂がかかっていた。
俺が、入り口のドアに戻ると、息を合わせたように、所轄の刑事がドアの説明を始めた。
「このドアは、内側から閂がかかっていて、第一発見者が体当たりして壊したようです」
って、そう言ったんだな。俺は、そう言われて、そのドアをすぐに確認したのだが、なるほど、ドアの閂が確かにひしゃげている。俺はすぐに、
「ということは、死体発見時、このドアの閂はかかっていたんだな?」
と尋ねた。
「そのようでございます」
とその所轄の刑事は答えた。
俺はその時、妙なことに気付いた。犯人はどうやってこの部屋から出て行ったのだろう。唯一、開かれていた北側の窓の外には、誰も踏みつけていない真っさらな処女雪が広がるばかりだ。暖炉があるからと言って、煙突は人が通れるほどのものではなかった。
そこで、俺は、すぐに死体を発見したという弟夫婦のもとへと走った。あいつらがきっと嘘をついているに違いないと思った。つまり奴らが犯人だと……。




