66 白石詩織の謎
「白石詩織って、月島さんの恋人でしょう?」
すみれは、そう言うと、何か重要な発言が出てくるのではないかとわくわくする気持ちを抑えた。
「そうですね。その人です。わたしが大学に入ったのはもう七年も前のことです。その頃、大学の先輩で嶺二がいました。嶺二とわたしは年が五歳も離れていますね。でも、わたしたちが巡り合えたのは、嶺二が浪人してくれていたからですね。そんな偶然のおかげで、わたしたちは、結ばれました。わたしたちはこの世の愛という愛を体験していきました。わたしたちを引き裂くものは何もなかった。それなのに、あの女は現れた。あの女は嶺二を惑わしました。嶺二は、あの女の陰に惹かれてしまった。あの女の正体が妖狐であることに気づきませんでした。そして、嶺二はわたしとの関係を絶ってしまったのです」
楊亦菲は、悲しげにそう言うと、かつてのことが思い出されるのだろう、どうしようもなく込み上げてくる涙をおしぼりで拭いていた。
「そういうこともあります。浮気心がかつて愛していた人を不幸にすることが……」
と祐介が月並みな感想を述べると、すぐに楊亦菲は言い返す。
「かつて、ではありません。嶺二はその後もわたしのことを忘れられない様子でした。大学で、白石詩織は、わたしと同学年でした。嶺二は白石詩織の暗い影に導かれるようにして、わたしのもとを離れてゆきました。その頃から、彼はまったく変わってしまったのです。何か陰鬱になり、周囲に壁を作るようになったのです」
祐介は、ちょっと乗り出し、
「月島さんは白石さんと付き合いだしてから、別人のようになった。それは何故だと思いますか?」
と尋ねた。
「ひとつ思い当たる節があります。これはわたしと嶺二が付き合っていた頃、嶺二から聞いた話ですが」と楊亦菲は、はっきりとした口調で言った「白石詩織はその頃、ある人物からしつこく言い寄られていたらしいのです。そのことを嶺二に相談していた。嶺二は白石詩織に同情していて、だんだんその問題に入り込んでいきました。そうしているうちに、嶺二は白石詩織と深い関係になっていったらしいです。その頃から、嶺二はわたしに対して、冷たくなっていったのです。色んな隠し事をするようになった。そして、彼はだんだん根暗になっていたんですね」
「その言い寄っていた人物とは誰ですか?」
と祐介は気になって仕方のないことを尋ねた。
「さあ。でも、嶺二は、わたしに一度だけその名前を言ったことがあります。確か、谷口という名前でした」
谷口、その名前を聞いた途端、祐介はどきりとした。ただの偶然だとは思ったが、どうも偶然でないような気がするのだった。
「谷口という名前を確かに聞いたのですね。それで、その問題があったのは、今から何年前のことですか?」
「今から五年前のことです」
祐介はなんだか、いよいよ偶然ではない気がした。祐介が思い当たったことは、もう五年も前の出来事だった。あれは、そう祐介の父が亡くなったあの時のことだった。警官殺し、谷口、それに五年前という言葉がなにやら深いつながりを持っているように、祐介は思えてならなかった。
……祐介の父、羽黒龍三の死よりも先に起こった警官殺しの被害者が、谷口という名の刑事だったのである。




