62 粉河の説明
粉河は大学病院を出ると、山奥の洋館へと直行しないで、群馬県警本部へと向かった。そして今、彼の手元には、柳家平八の死体についての報告がある。
大まかな現場の状況はこうである。柳家平八は、胸部と喉を切り裂かれて死んでいた。この傷跡は日本刀によるものと思われる。また、柳家平八は洋館のため靴を履いたまま、裏口から屋内に侵入したものと思われる。というのは、裏口から食堂まで、土のついた足跡が点々と続いていたからである。この裏口は、前回の捜査の時も、鍵が壊れて、出入りが自由だったことが確認されている。
彼が、根来に間違えられ、犯人に殺傷されたかという点については、現在のところ結論を出せていない。
その柳家平八の捜査も、坦々と進められている。
祐介とすみれは、すぐに東京に帰らずに、群馬県警本部へと向かい、粉河から現場検証の結果を聞くことにした。
粉河は凛とした表情で、ふたりを迎えると、すでに入手している情報を惜しげもなく、話してくれたのだった。
「山奥で倒れている根来さんを村人が発見したのとほぼ同じ時刻、つまり、午前十一時頃ですが、やはり、あの近隣の住民が、窓の外から柳家平八の死体を見つけて、警察に通報したんです」
粉河は、資料を見ながらそんなことを述べて、もう一度、祐介をちらりと見た。
「ところで、その柳家平八という人物は、なぜそんな山の中まで来ていたのですか?」
祐介にとっては、そもそも、それが疑問だった。
「なんでも、あのあたりに泣き地蔵という地蔵菩薩像があるのだそうです。確か、根来さんの話にも出てきたと思いますが……。殺された柳家平八の先祖というのが、柳家平六という百姓で、その泣き地蔵に毎日お参りしたおかげで、幸いにも、あのあたりで有数の長者になれたのだとか……。なんだか、昔話のような、落語のような変な話ですが。とにかく、そういう因縁で、柳家平八は今でも、その泣き地蔵を磨いだり、花を供えたりということを定期的にやっているのだそうです」
祐介は、粉河の説明になるほど、と頷く。すみれは、出された珈琲の香りを確かめては、一口ずつ飲んでいる。変に物静かになっている。
「その帰り道の途中で足を痛めて、夜も暮れてきたから、あの洋館に泊まろうとしたのですね」
と祐介。
「ええ。どうも靴を見ると、あのへんの泥沼にでも足をとられて、転んだらしいんです。両足の靴に土がべっとりこびりついていましたから」
「それで、裏口から食堂まで、土の足跡がついているわけですね?」
「ええ」
「その他には、土の足跡はついていなかったのですか?」
「ついていませんでした」
この粉河の答えに、少し祐介は首を傾げた。
「しかし、根来さんも犯人も山道を歩いてきた土足で上ったはずですよね?」
「根来さんや犯人は、泥沼に足をとられた様子はありませんから」
なるほど。一見、筋の通った話だった。しかし、何かが引っかかる。祐介は腑に落ちないでいた。
洋館の廊下は大きなL字だった。そして、その折れ曲がった角に玄関がある。そして、一方の廊下の突き当たりに裏口があって、もう一方の廊下の突き当たりに二階への階段がある。そして、裏口と玄関のちょうど真ん中あたりと、玄関と階段の真ん中あたりに食堂へと通じるドアがある。このように考えてもらって差し支えないだろう。
「それにしても、これからどうするのですか。おふたりは……?」
と粉河が変にあらたまった声色で尋ねてきた。
「しばらく調査をしたら、東京に帰ろうと思います。まだアリバイの問題が残っていますし」
「でも、せっかく群馬に来たのだから、もっと捜査をしていけば良いのに……すみれさんも、根来さんのことが心配でしょう?」
すると、すみれが代わりに回答した。
「それはできませんよ。羽黒さんは、東京で他にも仕事があるのだし……それに、今回は何の準備もしてこなかったんだから、一旦は戻らないと……」
そう言いつつ、すみれは何気なく、祐介の方を向いた。ところが、視線が上手い具合に重なると、なにやら慌てて逸らした。それがあまりにも不自然だったので、粉河はしばらくふたりの様子を不思議そうに眺めていた……。
祐介は、すみれの挙動に気がつかなかったらしく、そのまま粉河の方を向くと、
「根来さんはこれからどうなるんですか?」
と尋ねた。
「ううん。この群馬県警本部に寝泊まりするのが、一番安全でしょうけどね。もしかしたら、私の家に泊まるかもしれません」
粉河は、さも荷が重そうに、訳もなく二回頷いた……。




