61 クリスマスツリーの下で
二時間ほどして、すみれと祐介は根来拾三の病室を出ることにした。すみれは、父、拾三が怪我をしたことが心配で前橋に残りたかったが、拾三にしてみれば、すみれが一人でいることの方が心配だった。これからもすみれを一人にしないでくれよ、と祐介は根来拾三に念を押された。
さて、ふたりはすぐに東京に帰るのも何なので、院内でぼんやりと時間を潰していた。しかし、おふたりがここにいては、根来拾三がここにいることが犯人にばれてしまいますと粉河に言われて、ふたりはやむなく外に出ることにした。すでに日はどっぷりと暮れて、あたりは静寂と暗闇に包まれていた。
「すぐに退院できるでしょうね」
祐介は当てもなしに歩きながら、すみれにそう言った。
「うん、でもそれがかえって心配。病院なら他の人もいるけど……」
すみれは、心配そうに呟いた。
「ええ、確かに心配です。どこかに身を隠す必要があるでしょう」
祐介も何か考えているらしい。しかし、それは粉河が何とか考えてくれそうな気がした。
しばらく歩くと、大きな公園があった。運動場のような設備もある、ちょっとした気分転換にはもってこいの広さなのだった。風船をもった白髭のサンタクロースが、暗闇の中を楽しげにスキップしていた。真っ赤になったその顔は、酒を飲んだようだった。
その公園の道を歩いてゆくと、クリスマスツリーの赤っぽい灯りが夜空に滲んでいるのが見えてきた。その赤みにまぎれて、青やオレンジの灯もかすかに煌めいている。すみれは、今日がクリスマスイブだったことをようやく思い出した。ふたりはその美しさに引き寄せられるように、クリスマスツリーの下へと歩いて行った。
「綺麗ですね……」
すみれは、そう口にした。本当にそう思った。父が無事に生きていてくれたから、このクリスマスツリーは綺麗に見えるんだ、もし父の身に何かあったら、このクリスマスツリーの灯りは悲しみを一層強くしてしまったことだろう、とすみれは思った。
そういえば、とすみれは祐介の方を見る。
「さっきは、お恥ずかしいところを見せちゃって……」
すみれは冷静になると、涙を流しているところを祐介に見られたのが、急に恥ずかしく感じられてきた。
「恥ずかしいところ……?」
「ええ。涙なんか見せて……」
祐介は頷くと、にこっと笑って
「大丈夫ですよ」
と言った。
すみれは、それから、しばらくうつむいていたが、祐介に小さな声でこう言った。
「でも、わたし、時々、心配になるんです。父が……また今度のようなことがあって……その時、助からなかったら……」
それから、ふたりは黙って、クリスマスツリーを見上げた。しばらく沈黙が続いたが、祐介がすみれの方に向き直って、
「すみれさん」
と声をかけた。すみれが、祐介の方を向くと、彼は真剣な表情でこちらを見つめていた。
「実は、先ほどの根来さんとすみれさんを見ていて、父のことを思い出していました」
「お父さんのことを……?」
祐介は、少しうつむき加減に話しだした。
「ええ。そして、父が亡くなった時の自分の気持ちを思い出していました。あれは雪の日でした。山形の本家にゆく時の不安な気持ちとか、祖母の様子とか、色々なことを思い出しました。勿論、根来さんは無事でしたから、亡くなった父と重ね合わせるのは失礼に当たるかもしれません。でも、警察官の職務に命をかける根来さんは、僕の父に本当にそっくりです。仕事のためなら、命だって惜しくないんです。無茶をします。根来さんもそういう人でしょう。だから、そんな父のことが頭に浮かんできたみたいなんです」
ちょっとどう答えてよいか分からなくて、すみれは頷きながら、話を聞き続けた。
「だけど、根来さんには、父のようになってほしくないし、すみれさんには、あの日の僕と同じ思いをしてほしくありません。大切な存在であるすみれさんを絶対に悲しませたくありません。すみれさんは、あの日の僕みたいな気がするんです。だから、僕は、すみれさんの気持ちが少しでも分かるつもりです。おふたりの様子を見ていて、本当にそう思いました。だから……」
祐介はそこで言葉を切ると、もう一度、
「僕は、すみれさんの力になりたい。根来さんを傷つけた人物をきっと見つけだします。根来さんも、すみれさんも、僕にとって大切な存在だから。だから、どうか、僕を信じてください」
すみれは、この言葉を聞いた時、祐介が自分を大切に想う気持ちを感じて、嬉しかった。思わず、涙が込み上げたかと思うと、恥ずかしくて、顔を背けた。そして、この人ならずっと一緒にいても良いというような気がした。そして、その言葉が嬉しいと思うのと同時に、流れ星がいくつも頭上を越えていったような不思議な感覚が訪れた。途端、胸の鼓動が波のように押し寄せてきた。暖かな日差しがいきなり差したようにも思った。そんな訳のわからない感情が、一度にやってきて、ただもう我を忘れた。
「信じてます……」
とだけ、すみれは答えた。言ってからその言葉を恥ずかしく思ったが、それよりも、なにか運命的なものを感じていて、感無量だった。
間違いなく、この祐介の言葉は愛の告白ではないのだが、そう錯覚させられる何かがあったことは事実だし、すみれも心が疲れていたせいだろうか、その時、祐介という存在が何よりも大きく感じられた。
すみれは、ありがとうと祐介に微笑むと、あらためてクリスマスツリーの赤っぽいイルミネーションを見上げた。その暖かい色合いはどこか寂しげに美しく、胸に響いた……。




