59 大学病院のとある病室
すみれは昼頃、父、根来拾三が山の中で発見され、病院に運ばれたという知らせを受けて、池袋から大宮へ向かった。祐介も一緒だった。
それから、ふたりは新幹線に乗って、高崎へと向かい、ゆっくりする時間もなく、すぐに前橋に移動した。時刻は、すでに午後三時近かった。
詳しいことは分からないが、拾三は犯人に日本刀で切り付けられたらしく、左肩を負傷している上に、高熱を出して寝込んでいるということであった。それを聞いた時、すみれは、さすがの父でも命が危ないと思って、不安が胸をよぎった。
根来拾三は、某大学病院の奥まった病室に寝かされているということだった。
「どこでしょうね……」
羽黒祐介も、すみれも、方向音痴の傾向があるので、受付に尋ねずに、ただ奥まっている病室を探して、院内を歩きまわった。そもそも、すみれは、お父さんは命が狙われているので、受付に尋ねても病室は教えてくれませんよと、粉河に電話で言われていた。そこで、粉河に電話をかけると、電源を切っているのか、着信音ばかりが耳もとで響いていた。
白衣のポケットに両手を突っ込んで、風を切って歩く、若い医師たちが目に付いた。診察室の前の椅子に座っているのは、具合が悪そうな高齢者と、若い母親、走りまわっているのは男の子だった。白い照明に照らされた院内を歩いているうち、すみれは、不安に押しつぶされそうになった。
父の状態がどうなのか、電話口での粉河の説明が一向に要領を得なかったものだから、なんとなく安全とも危険とも取れて、すみれは心が真っ黒な雲に覆われているような息苦しさを感じた。粉河もはっきりとしたことが分からなかったのだろう。
しばらくすると、粉河が廊下に現れて、ふたりに気づいて手招きした。
「良かった。病室が分からなくて……」
すみれは、粉河にそう言うと、そのまましがみつきたいような気がした。
「根来さんは、今、奥まった病室に寝かされています。なにしろ、殺人犯に付け狙われているのですから、その場所は絶対に秘密なんです。おふたりとも、この病院に入るところを人に見られないようにして頂けましたか?」
粉河にそう言われると、すみれと祐介は顔を見合わせた。実を言うとふたりは、人目もはばからず病院に駆け込んだのだった。
粉河に引き連れられ、ふたりは、エレベーターに乗り、普通の病室とは異なる暗い廊下を通って、奥まったある病室のドアの中へ入った。
すみれが病室に足を踏み入れると、正面のベッドの中に父、根来拾三がいた。すみれの父親は、化膿止めの点滴を打たれているらしく、左肩も何針か縫われて、包帯を巻かれていた。顔は意外に晴れやかで、熱もある程度、冷めているらしく、すみれを見るとにこっと笑って、
「おう、すみれ!」
と小さく、しゃがれた声を出した。
その途端、すみれはなんだか無性に嬉しかった。無事だったんだ。涙が込み上げてきて、頬を伝った。それは暖かかった。父親が生きていて、元気そうにしていたのが何よりもすみれは嬉しかった。心配かけて、という腹立たしさもあったが、それはどこかに放り捨てて、今、何よりもすみれは父に抱きつきたかった。
「お父さん!」
すみれは、父に抱きつこうとして、隣に立っていた看護師に全力で止められた。しかし、それを思い切りよく振り払うと、父親の側にしゃがみこんで、
「また心配ばかりかけて……」
と小さな声ですみれは父を責めた。
「ごめんな。すみれ。でもこの通り、俺は元気だ」
拾三は、にっこりと笑って、すみれの心を慰さめた。
それから、拾三はしばらく黙って、
「俺が今、死んじまったら、お前が可哀想だからな……」
父のその言葉に、すみれは小さく頷くと、涙を拭いて微笑んだ……。