5 円覚寺
円覚寺の総門の前には、紅葉が折り重なって、真っ赤に色づき、深く息づいている。その下をくぐった先には、深い影の差した石段が、簡素な総門へと続いているのであった。
横を見れば、臨済宗大本山円覚寺の碑が立っている。
「これは立派だ」
と胡麻博士は満足げに呟くので、
「でも、先生ははじめてではないでしょう」
と祐介は尋ねた。
「いかにも。はじめてではない。それも二、三度ではない。しかし、いつ来ても同じということはない。毎回違う」
「違いますか、そんなに」
祐介はピンと来ていない。
「この世にいつも同じものなどない。羽黒君。君はこの空が昨日の空と同じだと思いますか。この紅葉が、去年の紅葉と同じだと思いますか」
「九割九分同じではないですか。昨日も晴れていましたし……」
「なんという憐れな。感受性のない男……」
胡麻博士は、深いため息を吐くと、じっと祐介の顔を見つめて、
「いいですかな。時は止まることを知らない。移ろい変わらないものなどこの世にありはない。水は、好む好まざるに関わらず、手の平からこぼれ落ちてゆくものなのですよ。この目でそれらを捉えられるか否かはまた別の問題ですかね」
一体、胡麻博士は何の話をしているのだろう。祐介にはやはり合点が行かなかった。
紅葉を楽しみながら、総門をくぐると、さらに見事な山門が、少しばかり厳しい風体で聳えていた。
胡麻博士と羽黒祐介のふたりは、拝観券を購入して、そのまま、山門を見物した。胡麻博士は何も語らなかった。てっきりこの山門について、長い説明が始まるかと思っていたが、そうはならなかった。
「山門ですよ」
あえて祐介が尋ねると、胡麻博士はあまり興味がなさそうに、
「見りゃ分かりますよ」
とだけ言った。
どういうことだろうと祐介が訝しく思っていると、胡麻博士は静々とこんなことを言い出した。
「羽黒君。君は物質にしか関心がないようですな」
「はあ、物質」
「そう物質。目に見えるものですよ」
「それは確かに」
胡麻博士は、少し震えた口調で、さらに続いた。
「いいですかな。羽黒君。これだけは覚えておいてもらいたい。本当に大切なものは目に見えないのです」
「はあ」
「目に見えないものを大切にしなさい」
「はい」
とりあえず帰りたいと思った。円覚寺まで来て、山門を見物していて、大切なものは目に見えないなどと言われる。つまり、紅葉も山門も仏像も、目に見えるから大切ではないという話になるではないか。
羽黒は、やれやれとため息を吐いた。
それからふたりは、本堂を拝観した後、紅葉の美しさに目を奪われながら、坂道を登ってゆくのだった。盛り上がった山に囲まれているような感覚になる。山は深い緑色だった。そこにぱっと赤い色がさす。紅葉だった。
竹が深い色をしていた。その奥に何か面白いものがあるのか知らない。苔の生えた石を見つめているとこれも風流だと思った。青空を見上げると、ずっと高いところに、鳶がくるくる、円を描いていた。
「紅葉も日の光を浴びて、透き通っているじゃないか」
胡麻博士はそんなことを言うと、さも愉快そうに笑った。
「実に気持ちの良いところですね。それで、この後どうしますか?」
「この後だと? 羽黒君ね、常に今を生きなさい。未来のことにとらわれて今を忘れてはいけない。また過去にとらわれて今を忘れてもいけない。目の前には何がありますか」
「はあ、紅葉がありますね」
「そう、それがまさに今なのだ」
祐介は、本当に帰りたい気持ちになった……。