50 すみれ、事務所を審査する
「未空ちゃん、クッキー買ってきたよ」
「えー、ありがとうございます」
未空はすみれからクッキーを受け取ると、嬉しそうにしていたが、すぐに食べる様子はなかった。
「すみれさん」
祐介は、すみれを寝室に案内した。ベッドが二つ並んでいた。
「僕と英治はソファで寝ますから、この部屋は未空とふたりで使ってください。そっちには一応、浴室もあります」
「へえ。なかなか便利な事務所ですね」
すみれは感心したように頷いた。
表向きは立派な探偵事務所なのだが、その裏側には寝室も台所も浴室も完備されている。元々、どういう目的でこのビルが建てられたのか分からないが、祐介たちにはもってこいの建物だったというわけだ。
それに、無味乾燥な生活になってしまいそうな男の二人暮らしであるのに、ちゃんと観葉植物を育てていたり、お洒落な照明を天井に取り付けて、少しだけジャズ喫茶風にしていたり、黄ばんだ背表紙を本棚に並べて古本屋風にしたりと、工夫しているところは、すみれも高く評価した。
「男性の二人暮らしにしては、上等ね」
とすみれは、完全に審査員の気分になって呟いた。もっとも、寝室は装飾の少ない実用的なものだったので、特に評価するほどではなかった。
台所には、フランスパンが置かれていて、鍋にはミネストローネが入っている。
「あと冷蔵庫に牛肉がありますので、ソテーをつくります」
「羽黒さんがつくるのですか? それとも、未空ちゃんが?」
「料理は英治がつくります」
すみれは、あの室生英治にも意外な一面があるのだな、と変に感心した。祐介はいつ間にやら、どこからか赤ワインを取り出して、じっくりと眺めていた。すみれは思わず呟いた。
「いいですねぇ、赤ワイン……」
「すみれさんはお酒は?」
「もう、大好きです!」
言ってから、すみれは少し恥ずかしくなった。
祐介は、根来拾三が芋焼酎とビールをエンドレスで飲み続けているところを思い出した。さすが、拾三の娘だ。
そして、ふたりは台所を後にした。
未空はどこか猫に似ている。相変わらず、室生とトランプを続けている彼女は、黒いショートパンツの裾から出ている色白な素足をソファーの上で伸ばしていた。そのうち、彼女は退屈になったと見えて、細い両腕を首の後ろにまわして、「んんん……」と小さな声を出しつつ、ぐいっと伸びをした。
少し仰向けざまの反り身、グレーの薄地のパーカーの真んなかあたり、水風船みたいなのがふたつ、浮き出るようにくっきり、真上に張り出している。胸の形だった。
英治や兄の前であっても、未空はそういう姿を見せることを恥ずかしがる様子もなく、また猫が丸まるようにソファーの中に小さくなるとトランプをひらひらと指で弄り始めた。未空がマイペースすぎて、すみれは少しやきもきした。
未空は厚着を嫌がって、到着後すぐにパーカーとショートパンツのような薄着に着替えたので、その分、事務所には目一杯、暖房を入れていた。
「今日はクリスマスイブの前夜ということで、少しパーティーのようなことをしたいと思います」
祐介がそう言って、テキパキとテーブルの上のトランプを片付け始める。未空は不満そうに兄のことを見つめていた。彼女はしばらくして諦めたらしく、兄から渡されたトランプを握りしめて、ふらふらとデスクに歩いてゆき、椅子に座ると、くるりと窓側に向いた。
すみれには、それが兄に甘えている妹の姿に見えた。
室生は台所にこもって、牛肉を焼き始めるようである。羽黒祐介は、テーブルを拭いて、皿を並べてゆく。すみれは、何かできることがあるかと思ったら、祐介。
「いえ、大丈夫です。未空と話でもしていてください」
それもそうだと思って、すみれはその不思議ちゃんっぽい祐介の妹の元へと向かった。
未空はなにか期待の込めたような視線で、すみれを見るのだった。
「すみれさんはいつまで東京にいるんですか?」
「ううん。捜査が終わるまでかな……」
それはいつ頃になるか、分からない。
「でも、もう上野は調べちゃったんでしょ?」
「そうだね……。でも、また明日、上野に行くよ」
「私、上野にこだわるのは良くないと思いますけどね」
「どうして……?」
「上野に三十分もいたのはね、きっと目くらましですよ……」
未空は、やはりのんびりしたペースで、つかみどころの無い話を語っている。しかし、その曖昧な言い方は、なにか意味ありげに聞こえる。
「お父さんに電話してみたら? 何か、状況が変わってるかもしれませんよ……」
未空の語り方は、どこか神がかりなものを感じさせた……。




