48 吊り革の下で
山手線の車内には、黒などの地味な色合いの上着を羽織った人々があるいは立ち、あるいは座っているが、皆斜め下に視線を落としている。
ぼーっという電車の音以外は静かだった。この静寂を破るのは、三人のおばさんたちの陽気なお喋りと、外国人のカップルの会話ぐらいなものだった。
すみれは、吊り革にぶら下がりながら、この後のことを考えていた。事務所に二人きりというのはさすがに気まずい。かといって、一度も会ったことはない室生英治という助手もいるのだとしたら、それはそれですみれの居場所がない。
「あの、羽黒さん?」
変にあらたまった感じで、すみれは祐介に声をかけた。
祐介は吊り革に掴まりながら、すみれを見ると、にこっと笑った。
「どうしました?」
「事務所には、助手さんもいるんですか?」
祐介はこくりと頷いた。
「助手の英治と、僕の妹が来ています」
「妹さんが?」
「そうです。事情を話したら、秩父のアトリエから来てくれました」
すみれはほっとした半面、拍子抜けしたような気もした。しかし、よくよく考えてみれば、すみれが事務所に泊まるというのは、祐介にとっても気まずいのに違いない。祐介が、さまざまな配慮から妹の未空を呼んだのは当然のことかもしれなかった。
「なんだ……」
よく考えてみると、すみれは祐介の妹に会ったことがない。一体どんな女性なんだろうと、すみれは想像を膨らませた。秩父にアトリエを構える画家ということだけど、ちょっと風変わりな人なのだろうか。
「ごめんなさい。気を使わせてしまって……」
「いえいえ、妹もすみれさんに会いたがっていましたから、本人も喜んでいましたよ」
すみれは頷くと、流れる景色を見つめた。もう暗闇の中にちらちらとネオンの光が流れてゆくのみだった。煌めきに包まれた街が近づいてくると、電車も速度を緩めた。それは駅だった。巣鴨駅を過ぎたあたりで、すみれは、いよいよ池袋に近づいてきたという実感が湧いてきた。
「そういえば、根来さんはクリスマスにサンタクロースの格好をするのですか?」
すみれは尋ねられて、はじめ何のことかよく分からなかったが、父のことだと気づいて、頷いた。
「ええ。なんだか、小学校に行って犯罪防止の演説をするそうで。そんなの需要あるんですかね。父が演説できるのは殺人とか……強盗とか……。まあ、その時にサンタクロースの格好をしているそうです。喜ばれますからね」
祐介は、根来拾三がサンタクロースの仮装をしているところを想像して、くすりと笑いそうになった。
電車が池袋駅に到着した……。




