47 日没の上野公園
それからというもの、すみれは祐介の気持ちが前向きになった気がした。ふたりが次の展示室に入ると、黒光りした彫刻が並んでいる。それを眺める祐介の目にはあきらかに輝きが蘇っていた。
男性の彫刻像を前にする。引き締まった太腿の足は、艶やかに伸びて、大地を硬く踏みしめている。光沢のある臍には柔かな脂肪が残り、胸のあたりは硬い筋肉が丘のように盛り上がっている。上半身はそのまま大きく後ろに反り返って、脇から背中にかけて筋張った筋肉が寄り集まって輝いている。首に巻きついた大蛇の後ろにその男の顔は隠れていたが、責め苦にあって、その筋肉は尚のこと燦然と輝き、活き活きと漲っているように感じられた。
これも元を辿れば、やはりラオコーンあたりに行き着くのだろうか、と祐介は美術の知識を振り絞った。
「父はこんな彫刻も好きだったんです……」
「へえ。確かにこの彫刻像はすごいですね」
祐介は何やら感慨深そうに頷くと、またふらふらと展示室の奥へと進んだ。
すみれは、捜査はどうなったのだろうと少し心配になった。祐介は父との思い出を追想するあまり、事件のことがもはやどうでもよくなってしまったのではないか、という気がした。しかし、たった今、祐介は事件を解決するという決心をしたばかりのはずだ。
(一体、何を考えているんだろう……)
すみれが追いかけると、祐介はナビ派の装飾的な絵画を眺めている。祐介は……つまりポスターのような……赤いワンピースを着た女性が、菱川師宣の浮世絵の女のようにとても軽やかに立ち尽くすところを、淡い草木で包み込んで絵にしたような、そんな不思議なものを眺めていた。
祐介は、そうした絵画を眺めながら、時折すみれのことを気遣って、話しかけてきたりしていた。
次第にすみれも疲れてきて、ふたりはこの美術館を後にすることにした。
美術館を出ると、かなり日が傾いてきたと見えて、闇があたりにたちこめていた。今日は美術館に時間を取られて、捜査があまり進展しなかったな、とまるで小学生が宿題をやり残したというような罪悪感を、ふたりは感じていた。それでも、まだ池袋の事務所に帰るには惜しい気がした。実際、まだ五時にもなっていなかった。
ふたりは、その後も上野恩賜公園を歩いた。しばらくは清水観音堂や不忍池の弁天堂、上野大仏の顔面などを拝んだりしながら、人の少ない場所を探し続けた。それでもやはり、この公園で人知れず殺人を行うことは不可能に思われた。
暗闇が公園に広がると、公園の桜の木にはイルミネーションが灯った。それは綺麗な桜色だった。
しばらく、ふたりはこの灯りの下を歩いていたが、祐介はふと腕時計を見て、時刻が六時をまわったことに気づき、
「今日はこのあたりで事務所に帰りましょう」
とすみれに言った。




