46 マネの絵
「父の実家は山形県の旧家でした。父は山形県警に勤めたので山形から離れることはできませんでしたが、本家を嫌っていました。それで父は、僕と妹の未空を東京の母方の親戚に預けるような形で、あの忌まわしき本家の呪縛から逃れさせようとしていたのです」
祐介にそう言われて、すみれは父から聞いた話を思い出した。
「お父さんは有名な警視だったそうですね」
「ええ。父はあの当時、山形県で起きた三つの不可解な事件を解決しました。それで警察関係者の間では、よく名が知られていました」
懐かしむような口調で祐介はそう言うと、田園の先に石灰色の山が横たわっている絵を見て、立ち止まった。
「これなんかどうです」
「うん……。私は富士山の方が好きです」
すみれは取り立てて言うこともなかったので、とりあえずこの場で日本賛美を表明することにした。
「富士山……。前橋からも見えますか」
「いえ。見えません。そんなことはいいから、この絵はなんなんですか?」
「山の絵でしょうね」
「それは分かってます」
ふたりは頓珍漢な会話を続けている。いかにも絵画の分からない二人組という感じだった。
ふたりはふらふらと鳩の番のように展示室を歩いていたが、何も芸術的感化がないままだった。その間も祐介はやはり何事か考え込んでいるようだった。
変化は突然訪れる。それはちょうどマネの絵の前に立った時だった。その絵は変てこにのっぺりとした色彩をしていて、やたら平面的に感じられた。その絵に描かれている紺色の上着と白いズボン姿の剽軽な紳士を見つめながら、次第に祐介の瞳が輝きだしたのをすみれは感じた。
「すみれさん」
「はい……」
変にあらたまって名前を呼ばれたので、すみれはどきりとして祐介の方を見た。
「お父さんの事件は僕が必ず解決します。任せてください」
決心がついたのか、このように語る祐介の瞳には迷いがなかった。すみれの父拾三が襲撃され、祐介の父が以前殺されたというふたつの事実が、マネの絵を前にして突然、祐介の意識の上で結びついた。このことが、すみれにはよく分かった。彼は、自分の過去とすみれの今を重ね合わせている。
お任せします、とすみれは言いそうになって、それも軽率だと思い止まった。ただ、すみれは頷いてみせた。
祐介は再びマネの絵を見た。釣られてすみれもこの絵を見る。すみれには何故、祐介がこのマネの絵を見て、そんな決心をしたのかよく分からなかった。それから祐介はぽつりと呟いた。
「父はマネが好きでした」
すみれはその言葉を聞いて、祐介の意識がどのように動いたのか、想像した。
祐介はマネの絵を愛していた父の面影を、この絵に見たのだ。その時、彼の思い出は膨れ上がったのだろう。
すみれは、祐介の意識がどのように進行したものかはっきりとは分からなかったが、おそらくこんなものだろうと決めつけた。
「行きましょう」
祐介はそう言って、すみれを誘った。大きな窓のある部屋に出る。窓の外に光が差していた。




