43 宙を飛ぶ鯨
羽黒祐介は、さっと髪をかき上げると少し戸惑ったかのようだったが、すぐににっこりと笑って、すみれにこう語り出した。
「十一月の……あれは下旬のことだったと思いますが、確か根来さんが何者かに襲撃されたということでしたね。この事件は、まさにこの瞬間から始まったとみて、まず間違いないと思うのですが……」
「そうかもしれません。でも、まだ長谷川さんの事件と同一犯かどうか分かってなくて……」
「ふんふん」
祐介は、何度か頷くとまた瞑想的なひとりの世界に没入したように、考え込んでしまう。しばらくして……。
「ヘルメットをかぶった人間が日本刀で斬りかかってきた。それで、その後、根来さんはその人物に襲撃されていないのですね?」
「……されていたら、とっくに話してます」
すみれは祐介とこんな話をしていたくないもので、少し不満げな口調で言った。
「長谷川刑事を殺害したのも、その首を切断したのも、やはり日本刀でしたね?」
「斬り口からみて……」
すみれはそう呟くと、祐介の目を見て頷いた。
「すみれさん。妙だとは思いませんか。なぜ犯人は日本刀なんてものを犯行に使用したのでしょう。持ち運びに便利とは言えませんし、少なくとも、武術を嗜んでいる人間でないと思い通りには扱えないでしょう。そうしますと、犯人像は自ずと絞られてくる……」
「それがトリックなんですよ。推理小説ってそういうものだもの」
すみれは、これが推理小説なんかではないことは百も承知だった。しかし、半ば投げやりな気持ちで祐介にそうぶつけてみた。
「なるほど、すみれさんは面白いことを仰いますね。確かに、犯人は武術を嗜んでいる人間だと思い込ませることがトリックなのかもしれません。すると、犯人はかえって、貧弱な体格の持ち主なのかもしれませんね……」
「ええ、そうです。そういうパターンなんです」
すみれはそう言うと、噴水の方をちらちら見た。噴き上がる水飛沫が冷たい風を呼んでいる。振り返れば、大きな鯨が宙を飛んでいる。すみれは、なぜだか、私もあの鯨みたいになりたいな、とほとんど無意識にそう思った。
それは巨大なオブジェだった。すみれは我に返って、祐介の方を見ると、彼は相変わらず事件について考えている。
「根来さんは襲撃された。で、あれから一ヶ月たったわけですが、根来さんはあれきり襲撃されていませんね」
「そうですね。だから、もうすぐ、また襲撃されるのかもしれません」
「一ヶ月も放っておいているのは何故でしょう」
「さあ、父にビビったんじゃないですか?」
すみれは、父親の強さには自信がある。
「長谷川刑事と根来さん、このふたりをつなぐ事件はあるのですか?」
「うん。何件かあるそうだけど、その事件の容疑者に当たっても、これといった目星はないみたい」
祐介は、空を見上げると一言。
「無差別か否か……」




