40 アメ横に行ったのか?
すみれと祐介は、月島の通ったであろうルートを歩いた。公園口から左に曲がって坂道と階段を降りてゆくと、上野駅の高架と上野恩賜公園に挟まれた賑やかな通りに出ることになる。右手には現代的なビルが軒を寄せ合い、左手には薄汚れた高架が横断歩道に影を落としている。この高架の下に不忍口はある。祐介が、ここから出ればよっぽど近かったはずと言ったあの不忍口である。
アメ横の入り口は、すみれたちから見て正面、つまり高架に沿って歩いた先にある。「アメヤ横丁」の赤字が掲げられた銀色の門をくぐると、もうそこは雑踏の中である。
すみれと祐介は、アメ横の銀色の門を前にして、話し合った。
「月島は、アメ横で何を買ったと言っていましたか?」
祐介は、坦々とした口調で尋ねる。
「いや、それは、何も買わなかったということらしいですよ」
「何も買わなかった?」
「ええ、アメ横の歩いただけで特に欲しいものがなかったから、と……」
「ふうん。それはまた不自然ですね」
祐介の言葉にすみれも頷く。わざわざここまで来てという気がした。しかし、これから鎌倉の師匠にモンブランを渡すのだから、そもそも、このタイミングでアメ横に行くこと自体がおかしい気もする。
「この時、モンブランは牧野さんが持っていたのですか?」
「そうですね。崩れちゃったら大変ですから」
とすみれは半ば想像を交えて、資料も見ずに答えた。
「とりあえず、アメ横を歩いてみましょう」
と祐介が言ったので、すみれも並んで、アメ横へと入って行った。
騒がしさに満ちている。黒い頭が波のように打ち寄せてゆく。肩がぶつかりそうになり、また離れる。江戸時代の銭湯はこんな様子だったろうと、すみれは変てこな連想をした。
すみれが小さい頃見たバナナの叩き売りを思わせる賑やかな雰囲気である。その叩き売りは子供たちに古き良き日本の文化を見せつけてやろうという大人の計らいだったらしい。すみれはそんなことを思い出しつつ、人波に導かれるままに歩いてゆけば、なかなか面白い。物珍しさで視線があちこちにさまよう。
しかし、こうしてアメ横をふらふら歩いているのは無意味に違いない。実際、それから二、三人の店主に月島嶺二の写真を見せたが覚えているものはいなかった。月島自身が何も買っていないと言っている以上、それは当然の結果だった。
「すみれさん。ちょっと冷静になりましょう」
「私はいつも冷静ですよ。やだな……」
「そうじゃなくて、作戦を立て直しましょう」
祐介はそう言うとアメ横の雑踏から外れた。すみれも付いて行って、人通りの少なくなったところで、祐介は次のことを語り出した。
「月島嶺二がこのアメ横の中で殺人を犯したとは到底思えませんね。人の目に触れないところなんてどこにもありません」
「うん。それは確かに」
「だとしたら、可能性があるのはむしろ上野公園の方だと思います」
「上野公園のどこかで殺人が行われた、ってこと?」
「これはあくまでも可能性の問題ですが……」
祐介は、まだ考え込んでいるらしく、曖昧な口調だった。
「それなら上野公園に行ってみましょ。善は急げです」
すみれはそう言って、祐介の背中を叩いた。すみれは上野公園に行きたかった。できることなら、美術館か動物園に行きたい。背中を叩かれた祐介はちょっと苦笑いを浮かべていた……。




