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37 新幹線の車窓から

 車窓に映る景色を眺めながら、すみれは深い息を()いた。(よど)んだ空は、少し雨降り模様に見える。それはどこかすみれの気持ちに似通(にかよ)っている。なぜなら、すみれは今、どうしようもない物悲しさに襲われているのだった。これは、クリスマスを共に過ごす相手が恋人ではなく羽黒祐介だからでも、父を襲ったであろう殺人犯のアリバイを調べにゆく中途にあるからでもない。一年の終わりが差し迫っているこの時期に、偶然に新幹線の車窓から、この(よど)んだ空と出会ったからだった。

 空に写っていたのは、すみれの心だった。この一年の折々に(はな)やいでは移り変わってきた我が心が、寂しげな空に走馬灯のように浮かんで消えた。あと一週間で、今年は永遠の過去となる。ささやかな日々を、静かに振り返ってみれば、さまざまな出来事がありありと(よみがえ)ってきて、すみれの瞳にわずかな(しずく)が浮かび上がって消えた。


 椅子に座り直してみれば、すみれの目の前にあるのは、ネットの一本のペットボトルと、見知らぬ人の椅子から飛び出した頭だった。感傷が消えると共に、雨の音が響く車内の静寂がこれに取って代わる。おそろしい無頓着さ。すみれはぼんやりとしたまま、ペットボトルを手に取って、一口含んだ。紅茶だった。甘い風味がすみれの舌をそっと包む。すみれは小さくため息をついた。

 すみれは足を伸ばして、低い天井を見上げ、これから先のことを案じる。上野駅に着いたら、羽黒祐介と会って、聞き込みを始めれば良いのだろう。その時に彼に何と言おうか。あまり私を意識させてもいけない。また意識していると思わせてもいけない。ただの他人でなければいけない。だけれど、ふたりで上野を歩いて、ふたりでお昼を食べている間、果たして意識しないままでいられるだろうか。

 すみれは不安だった。羽黒祐介は、決して自分にとって特別な存在ではない。それでも、クリスマスというロマンチックな香りを持つ日は、ふたりを過剰に演出しそうじゃないか。

(そんな、勘違いしないようにしないと……)

 すみれは自分の心が危なっかしい気がした。過剰な演出に、すっかり酔ってしまって、羽黒祐介が自分にとって特別な存在である気がしてきてしまうのじゃないか。そう思うと、ただ不安だった。


 すると突然、すみれは、説明のつけがたい感傷や、不似合いなロマンスに心を奪われている自分を責めたくなった。その心は、気恥ずかしさと嫌悪感が入り混じった格好をしていた。すみれは()()れなくなり、現実という味気ない世界にもう一度立ち戻って、自らの微細な心の動きをまとめて、どこかに放り投げたい思いにかられた。それで、すみれは、鞄の中からノートを取り出して、ぱらぱらとページをめくった。紙の音がひどく乾いているように感じられた。


 すみれは考える。

(上野で殺人は行われた……)

 そうでなかったら、月島嶺二に殺人は不可能だとすみれには思われた。ところが、彼に犯行が不可能であったなら、被害者の長谷川刑事のメモ帳に記されていた月島の文字が説明つかなくなる。間違いなく、長谷川刑事と月島嶺二はあの日会っていたのだ。その場所は「上野」しかない。すみれはそう思った。

 すみれは突然、右の手の甲が痒くなって、左手で二、三度こすった。少し乾いている感じがする。そして、風邪を引いたらしく、くしゃみをした。この頃は冷え込んでいるから、体調も崩しやすい。すみれは、分厚くてねずみ色のコートを壁にかけていた。これを羽織れば、少しは風の寒さも防げるかな、まあ、東京は群馬ほど寒くはないだろう、とすみれは楽観的に捉えて、何も言わずに、そっとコートの袖を触った。

 間もなく、新幹線は上野駅にたどり着こうとしていた……。

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