23 白石詩織の電話
祐介が夜空を遮るビルを眺めていると、デスクの上の電話機が高らかに鳴った。
「はい。羽黒探偵事務所です」
祐介は、くるりと椅子を回転させながら電話を取ったので、机の上のカップから珈琲が溢れそうになった。慌てて、カップを抑える。
『あの、羽黒さんですか?』
「いかにも、羽黒です」
なんだか、どこかで聞いたことがある声がした。透き通るような女性の声だ。
『あの、私です。白石です……』
「えっ……?」
祐介はその言葉に驚いて、カップを転がしてしまった。慌てて、ハンカチでデスクを拭く。
「……白石さんですか。お久しぶりです」
『ええ、ちょっと池袋に来ているのですけど……』
「ええ、池袋に……」
祐介は、状況を把握できぬまま、ハンカチでデスクを拭き続ける。
「……池袋ですって?」
『はい。今からそちらにお邪魔してもよろしいでしょうか』
どういうことだろう。祐介は判然しないまま、ハンカチを裏返した。
「ええ、来て頂けると僕も嬉しいですが……」
なんでまた、と尋ねそうになったが、電話口であれこれ喋るのも面倒なので、
「事務所の場所、分かりますか?」
と質問を変えた。
『実はもう入り口の前にいます』
そんな近くにいるのか、と祐介はちょっと驚いた。
「ええ、そうですか。それなら階段を上がらないといけません」
『そうではなくて、ドアの前にいます』
「なら、ドアを開けてください」
祐介の正面のドアがゆっくりと開かれた。紛れもない白石詩織が立っていた。
電話がかかってきてから、白石詩織が登場するまで、あまりにも忙しなかったので、祐介はまだ状況を理解できぬまま、中央のソファーへと移動した。
「お久しぶりです……」
白石詩織は、うつむき加減に言った。前回よりも頬が痩せた気がした。
「今、珈琲を淹れましょう。英治……?」
その声に、奥の部屋から室生英治がのそのそと出てくる。まるで熊だ。英治は、白石詩織の顔を見て「ああ、どうも」と無愛想なお辞儀をすると、洗い場にまわる。
「江の島の時はお世話になりまして……」
「いえ、こちらこそ。白石さんはあれから……?」
「友達の家に泊まって、翌日、東京の自宅に帰りました……」
そう詩織は述べた後、事務所の中をゆっくり見まわした。しばらく本棚を眺めていたが、犯罪学や法医学の本を見つけると、視線を外した。
「今日はどうして池袋に……?」
祐介は慎重に核心に触れる。
「羽黒さんに、お願いがあって来たんです……」
と詩織は答えたが、その内容をはっきり述べようとしない。
「浜辺で、僕に話してくれたことですか?」
「ええ……」
詩織は、祐介に先に言われて、少したじろいだ。
「そう。そのことです。私の恋人のことです」
祐介はつらいところらしく、少しうつむき加減に頷いた。
「どうも彼に不審な点がありまして。私たちが江の島で会ったあの日の、彼の一日の行動を調べてほしいんです……」
「あの日の、ですか?」
祐介はちょっと不思議な依頼だな、と思った。
「ええ、あの日の行動です。あの日、彼がどこで何をしていたのか知りたいんです……」
「失礼ですが、どうして、あの日なのか教えて頂かないと……」
「分かっています。出来る限り、お話しするつもりです……」
詩織はそう言って、髪を掻き上げた。
そこに英治が左右に体を揺らしながら、珈琲を二つ持ってきた。なんで二つなんだ。
「どうも、美味しい珈琲ですよ」
「ありがとうございます……」
「なんだか知りませんが、大丈夫ですよ。うちの祐介は名探偵ですから」
英治はそう言うと、愉快そうに笑った。それから、テーブルに置いた珈琲の一つを持って、隣の部屋に戻って行った……。




