2-5. ルールルルーとスキャットすれども心は晴れず
【本稿の執筆上の戦術】
本編だけ数えてももう通算第11節ですから、こんなところまでついて来てくださっている奇特な皆様には感謝の気持ちでいっぱいであります。今日はそんな皆様との親密な語りの場として、私が本稿をどのような意図を持っているかについてお話ししたいと思います。0-1で述べたことが戦略レベルの話だとすると、以下は戦術レベルの話といって良いでしょう。今までお察しくださいというスタンスでしたが、ちょっと気が変わりました。同じ文章でも京都新聞に書かれているのと虚構新聞に書かれているのでは180度評価が変わってくるということもあるでしょうから、記しておいて悪いことにはならないと考えています。
私は『トリストラム・シャンディ』シリーズが大好きで、いつかあのような抱腹絶倒の文章を書きたいと思っておりました。そのような視点で、小説家になろうなどウェブ小説サイトのインターフェイスを見ると、大変興味深いのです。小説本文、感想に対する応答を通して明かされる設定の補足、前書き後書きで語られる執筆背景、小説に関係あったりなかったりする活動報告、twitterでの宣伝……。これらは連続してグラデーションをなしており、読者は一体不可分な一個の塊として読み、評価し、議論することを強いられるわけであります(ここより開設が新しいサイトはそういう傾向がより顕著なように思います)。web小説は息を吸うようにメタフィクションであり、もはや技巧も衒いも存在しないのです。
このことはメタフィクションにとって大いなる祝福であるように思われました。20世紀、人類は悲壮な覚悟と決意をもって第四の壁の破壊に邁進してまいりましたが、その背景には現実への言い知れぬ不安があったはずです。しかしながら、本来メタフィクションはもっと素直で、正直で、楽しいものであったはずです。我らのトリストラム氏が再び光を浴びるべき時がやってきたのです!
とまあ、こういうとんだ大風呂敷であります。
無礼を承知で率直に要求を申し上げるならば、一つ一つの言葉に込められた私の意図について思いを巡らせながら精読していただきたく思います。そうは言っても皆さんお忙しいでしょうから、勿論飛ばし読みしていただいても問題ありません。
やりたいことは分かるがお前のそれは全く破綻しているだろう、と思われた方、ごもっともな指摘でございます。ぜひバトンを引き継いでいただきたい。
『トリストラム・シャンディ』なんて知らないという方、ぜひ一度お読みください(※冒頭から下ネタですので、苦手な方はご注意を)。この前、神保町の三省堂(神保町で最大の新刊書店です)で見てみたらなかったくらいなので、古書店を漁るかアマゾンかと思いますが。
(※レイアウトの都合上あらすじは省略しました。ご了承ください)
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翌日ヒロミが転入してきた。私とは別のクラスだった。ああ見えて彼女は理系なのだ。修学旅行直後、創立記念日のイベントの直前という最高に間が悪いタイミングでの転入にもかかわらず、ヒロミはすぐに友人を見つけたようだ。
その週の土曜日、私はヒロミの家に呼ばれていた。幼少期にはしょっちゅうとなりの関さんの家に遊びに行っていたから、彼女の両親も私のことをよく知っている。
関家の新居は中古の戸建て住宅だった。一乃さんの会社が斡旋したのだという。愛媛県の水準からすると広いとは言えないものの、三人で住むには充分に思われた。(ヒロミは設備のぼろさを愚痴っていましたが)
「一乃さん、三郎さん、お久しぶりです。」
「やあ、重信君、ずいぶん大きくなったね」
「うん、久しぶり」
一乃さんは快活に、三郎さんは低い声で応答した。
ふくよかな一乃さんとうらなり のような三郎さんという視覚的な対比も以前からのものだ。
「あ、おい」
関家の飼い猫であるシンジが現れると、徐に飛びついてきた。
確か小学校低学年くらいのころから飼っているからもう結構な長寿になるんじゃないかと思うんだが(尤も猫はかなり長生きだとも聞きます)、相変わらずの元気さだ。
「今日は重信君と再会できた記念だ。ガンガン飲むぞ。ヒロミ、シンジを向こうの部屋に連れて行ってくれ」
一乃さんは上機嫌だ。
「未成年に酒は進められないけれど」
そういって三郎さんは、オードブルと何種類かのジュースを指し示す。
「昔はこんな小さくて、ミニカーをなくしたとか言って、泣きながらうちに来たな。そうしたらなぜかヒロミも泣いちゃって」
「もう、いつの話よ」
シンジを別の部屋につないで戻ってきたヒロミが応じる。
昔の話でひとしきり盛り上がるが、一乃さんはものすごいペースで酒を飲んでいた。ついにはこんなことをのたまった。
「わたしゃねえ、酒も飲むし、たばこも吸う。それでいて、病院の世話になったことは一度もない。たんまり税金を納めて、一銭も使わない。これはもう国民栄誉賞ものだね。わたしみたいな人間がちゃあんと評価されるようじゃないと社会はおかしいね」
「はあ」
私にそんな意見を説いてどのような反応をしろというのだろうか。生返事をしてごまかしにかかる。
「あはは……」
娘も呆れている。三郎さんも何も言わず、妻を見つめながら苦笑している。
「はあ、もうないのか、酒とってくる」
一乃さんはとうに出来上がっていたが、まだ飲みたらないである。
更なる酒を調達すべく立ち上がって二階に向かった。
「ママ、ほどほどにしておきなよ」
ヒロミも一乃さんについていく。この家の最高権力者に対抗しうる唯一の存在である。
「重信君、愛媛とは面白いところに来たものだね」
私が一乃さんとの話を切り上げた頃合いを見計らって、ヒロミの父、三郎さんが話しかけてくる。意外にも愛媛での生活を楽しみにしているようである。
三郎さんは学者であったが、スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア に関する論文で捏造をしたとかで、追放された身だ。以来、専業主夫をやっているが、在野で研究を続けているようである。私には学会のおきてというのはよく分からないから何とも言えないが、どうにもこの人の人柄と不正行為というのが結びつかない。三郎さんは続けてこういった。
「特に能力者の君にはぴったりだ」
「はあ」
能力という単語が出たのに内心どきりとしながら応じた。三郎氏自身は能力者ではないが、一乃さんやヒロミの家族として、能力について一通りの知識はある。そして、この後が重要である。私はここまで再三再四、愛媛県の優れているところを強調してきたが、なぜここまで肩入れするかと問われれば、その答えは結局のところ、三郎氏が語った以下の内容に収斂するだろう。
「時に、都道府県の名前の由来を知っているかい?」
話が全く繋がりのなさそうな方向に飛び、たじろぐ。
「はあ、明治政府に協力的だった旧藩と対抗的だった旧藩で対応が分かれたっていう話ですか」
「そういう俗説もあるな。ただ、この説はどうも怪しい。確実に言えるのは47のうち44までが都市の名前か郡の名前に基づくということだ。例えば埼玉県であれば、岩槻に県庁がおかれる予定であったから、岩槻が属する南埼玉郡からとったわけだ」
普段は飲まない酒が回っているのか、男性の味方が現れたのがうれしいのか、三郎さんは饒舌である。
「三つだけ違うってことですか」
「そう!三つだ。例外なのは七道風の名称を採用した北海道、近世の俗称を採用した沖縄県、そして『古事記』の『伊予の国を愛比売といひ』という記述を引っ張ってきた愛媛県だ[1]。前二つは明治時代になってから領土が画定したものだけど、愛媛県は……」
「異質ですね」
「そう!異質だ。それでね、重信君、ここからは推測なんだが」
三郎さんはそこで「麦とホップ」の残りを一気に飲み干す。
「これには愛媛を他県と比べて重視するという明治政府の意図が込められているんじゃないかと思うんだ」
「でも、明治政府は東京に全部を集めたんですよね」
「そう、一面では確かにそうだ。しかし!例外はある。国防・軍事だ。東海道線を当初は内陸部を通そうとしたり、日清戦争中は大本営が広島におかれたりしたように、安全保障上の観点からは、明治政府はかなり柔軟に動いている」
「それで、愛媛県が防衛上何か重要だったっていうんですか」
三郎さんは机に身を乗り出し私に顔を近づけ、声を低めてこう言った。
「愛媛には『能力』を扱う拠点がある」
三郎さんは再び「麦とホップ」の缶に手をかけ、ひっくり返したが、既に空である。
「江戸時代末期から徳次郎(*1)、鳥坂豊三(*2)、巻潟東(*3)といった傑出した能力者が愛媛県から輩出している。どうも当時の政府は考えたようだ、環境か血縁か、愛媛県の何らかの要素がこれらの能力者を産んだのではないかと」
「はあ、そんなことがあるもんですか」
「もちろんこの説は相当胡散臭い。だけど、能力みたいな特殊なファクターについてそういう風に考えることは特におかしなことじゃないし、重要なのはそういう風に考えたということだ。尤も、今の話は全部こじつけで、住友財閥が誘致したなんて説もある。兎も角も、明治政府は能力の研究拠点を愛媛県内に作ったらしい」
「なんと」
三郎さんは私が驚いたのを見て満足げに笑い、続ける。
「当初拠点は新居浜にあったが、都市として発展してくるといろいろと不都合が生じ、明治後半には香川県の善通寺に移転した。戦後になると機能が大幅に縮小された代わりに愛媛県に戻ってきて、今度は松山になったらしい」
「お父さん」
サントリーオールドを持って台所から戻ってきた一乃さんが声をかけると、三郎さんは口をつぐんでしまった。彼の短い天下は終わった。
このままだと一乃さんがすごいことになってしまいそうだったので、キリの良いところで関家を辞す。ヒロミはバス停まで送ってくれるようだ。
「なんかごめんね、パパもママも久しぶりにシゲシゲに会えたのが嬉しかったんだと思う」
「一乃さんってあんな大酒のみだったっけ?」
「あはは、あの頃は小さかったから一応、子供の前ではセーブしてたんだと思うよ。いろいろ大変みたいだしね」
一乃さんの仕事は激務だと聞くし、酒でも飲まないとやっていられないのだろう。
「……まあそういうところも含めて、向き合っていかないとな」
雨脚が弱まっていた。明日は晴れるだろうか。
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〈註〉
三郎さんの話に登場する人物はいずれも能力者の間では著名な人物である。例のごとくその存在は一般には秘匿されており、ググっても情報が出てこないと思われるので、以下に補足しておく。
(うーん、このような記述が鬱陶しいというのは重々承知であります。不遜を恐れずに申し上げるならば、私はですね、あの、竹下さんよりもむしろ大平さんになりたいのです。読者の皆様に無用な誤解を与えないよう、多少読みやすさを犠牲にしようと、ストーリーに関わる重大な事実を、ああ……精密正確に記してまいりたいと、考えているわけであります)
私は少々急ぎすぎたのかもしれません。例えば死後ににわかに支持されるようになるという可能性もあるいは絶無ではないかもしれない、こう考えて書くことに集中して参りたいと思います。
*1 徳次郎: (?-1830) 感覚強化の能力者として知られる。浮穴郡の農家出身だが父・加平(生没年不詳)とともに、農村社会の秩序維持に努めた。能力を利用して双方の言い分を把握し調停することに長けていた。
*2 鳥坂豊三: (1829?-1891) サイコキネシスの能力者として知られる。松山城下の商人で、能力をダイレクトに活用したあくどい手法で財を成す。維新後は明治政府に取り立てられ、いわゆる不平等条約の改正交渉にも同行した。
*3 巻潟東: (1825-1880) 空間改変の能力者であったとされ、部屋にあるものすべてを消し去った逸話などが知られる。ただし、現在そのような能力の存在は確認されておらず、詳細は不明である。西条藩主松平頼英の陰のブレーンと活躍。同藩は親藩ながらいち早く明治政府に恭順したが、これは巻潟の慧眼によるところが大きい。
〈参考〉
[1]愛媛県庁/県名の由来 http://www.pref.ehime.jp/k/aramashi/kenmei.html
2017年5月3日閲覧