逢魔ヶ刻
「あなたが真剣に対処しないからこのようなことになるのです」
宝珠の説教を聞きながら、矢筈は気づかれないようにそっとため息を吐いた。
夢客の調査を始めてから丸二日が経過していた。
その間に遭遇した夢客の数は、片手では足りない。
「悪かったって」
「だいたいあなたは、私たちの失態は誠吾坊様の失態になるのだという自覚が足りないのです。夢客を発見するのが遅れて、人間が傷つくようなことになったら、誠吾坊様が悲しまれるのです。もし何の手がかりも得られず、すごすごと帰らなければならないようなことになったらどうするのですか。誠吾坊様は表立って私たちを咎めるようなことはなさらないでしょうが、それは誠吾坊様の期待を裏切ることになるのですよ」
宝珠はめったに声を荒げない。
その分懇々と言って聞かせるのだ。
相手によっては、それが効果的なこともあるかもしれないが、残念ながら矢筈の場合は全く功を奏していなかった。
あらぬ方向を眺めながら、脳内ではゲームの続きをシュミレーションして、嵐が過ぎ去るのを待っている。
「それで、これからどうするつもりなのですか?」
宝珠の声のトーンがひとつ下がったのを合図に、矢筈は視線を足下に戻した。
そこに転がっているのは、夢客。
正確には、その成れの果てだ。
やがて夢客の体は痕跡を残さずきれいに消え去った。
目の前には、なんら異常のない風景が広がっている。
歪みは、夢客が抜け出すのとほぼ同時に消え去ってしまった。これまでと同じだ。
矢筈と宝珠は、その歪みの中に使いを放とうとしたのだが、矢筈がそのタイミングを逃してしまったため、計画は失敗に終わった。
事態は全く進展していない。そこで業を煮やした宝珠の説教となったのだ。
「どうって、今度こそきちんとやるぜ」
「そう願いたいものです」
「おまえの、早く誠吾坊のところに戻りたいっていう気持ちはわかんねぇでもないしな」
そう言った矢筈を見る宝珠の視線が冷たい。
「あなたは早く帰って遊びたいだけでしょう。まあいいです。早く済ませるにこしたことはないですしね。そう、私は山が好きですよ。人間の町の、どこが良いのでしょうね。緑は減り、空気は汚れ、随分と棲み難くなりました。そして人間たちはそのことに違和感すら覚えず、今では彼らを守る我々の存在すら知らない者も多い。一体、私たちはなんのために存在しているのでしょうね」
「見返りを期待してるわけじゃねえし、別にいいじゃねえか。オレは好きだぜ。いやむしろ、町がなくなったら困っちまう」
「それは不純な理由からに他ならないですね?」
「全然不純じゃねえぜ。来月発売のゲームソフトのことが気になるだけだ」
「威張って言わないで下さいよ。誠吾坊様にゲームを没収されたくせに」
宝珠が呆れたようにため息を吐く。
「戻れば返してくれるさ。そのためにも、次は絶対にしくじらねえ」
「やはり不純ですね。今度失敗しようものなら、その時はしっかりと反省していただけるまで話をさせていただきますので、覚悟しておいて下さいね」
宝珠の瞳が剣呑な色を帯びている。
「ちょい待ち! それは立派な脅迫だぜ」
「脅迫万歳です。あなたが本気を出すのであれば、いくらでも脅迫してさしあげましょう」
「いや、それは遠慮しておくわ。さ、次の夢客を探そうぜっ」
矢筈が肩を回しながら周囲に目を光らせる。
その見事な変わり身に呆れつつ、宝珠はうなずいた。
夕焼け色に染まった空に、暗い闇が迫っている。
逢魔ヶ刻。なにかが起こるとしたら、やはりこの時間帯が有力だ。
昨日夢客が出現したのも今頃だった。
「やる気のあるのは良いことです」
宝珠はそんな矢筈の様子を見て、満足そうに呟いた。