昔馴染み
山奥に、杉の大木が群生している場所がある。
周囲に道はなく、普通の人間は踏み込むことすら許されない。
その中でもひときわ太く大きな杉の枝に腰かけて、誠吾坊は矢筈と宝珠の帰りを待っていた。
ふたりが山を下りて二日。
そろそろ第一報があってもよい頃だった。
「よ、小太郎。息災か?」
さわさわと風が吹いたと思ったら、一本下の枝に真っ白な天倶が腰かけていた。
行者姿に、長い白髪。
首の後ろでひとつに束ねられた白髪が、風に揺れる。
「仁平……と、益瑞か。どうしたんだ?」
更に杉の根元にひとりの少年の姿を見つけ、誠吾坊は笑顔を向けた。
切袴に草鞋姿の少年は無表情のまま、頭を下げる。
機嫌が悪いわけではなく、この少年はいつも感情をあまり表に出さないのだ。
そして最小限しか口を開かない。
しかし、この少年が自分を嫌っていないことを、誠吾坊は知っていた。
「最近会ってなかったから、どうしてるかと思ってさ」
「お元気そうで、なによりです」
仁平に続き、益瑞が感情のこもらない声で挨拶をする。
仁平は誠吾坊が人間のころからの知り合いだ。
天倶名は椚坊というのだが、誠吾坊は仁平、と昔の名で呼ぶ。
仁平も誠吾坊のことは小太郎と呼ぶ。
椚坊と一緒にいる十代半ばほどに見える少年は益瑞。
彼は天倶ではなく、椚坊が連れてきた人間の子だ。
歳をとらず、椚坊と常に一緒にいるが、特殊な能力はない。
歳をとらないのも、天倶と同じ場所に居られるのも、椚坊の術によるものである。
益瑞は山に捨てられた子どもで、椚坊に助けられた後も山に残り、椚坊の世話をしているのだ。
「そっちこそ、元気か? この時期にやって来たということは、おまえもなにかに気づいたんじゃないのか?」
誠吾坊はひょいと椚坊の腰かける枝まで移動し、その隣に腰かけた。
「おまえのところの天倶がふたりとも見当たらないな。それに関係があるかもしれない」
「やはりそうか」
ふたりは顔を見合わせてにやりと笑った。
昔馴染みなだけあって、相手のことはよくわかっている。
「まずはおまえから話してくれよ」
椚坊が腕を組み、誠吾坊をじっと見る。
誠吾坊はうなずいて、町で起こった出来事を話した。
椚坊は眉根を寄せて、その話を聞いている。
「さあ、次はおまえの番だ」
「こっちも似たようなもんだ。夢客が頻出している。どれも自力で越境して来られるような奴らじゃない。裏に何者かが潜んでいる可能性が大きい。このまま放置しておくわけにはいかないだろう? ここは幡紀、おまえの国だ。だからこうして報告にやってきたわけさ」
椚坊の話を聞き、誠吾坊はひとつうなずいた。
おそらく、まだまだ夢客がいるはずだ。
矢筈たちも、今頃、夢客と遭遇しているに違いない。
そのために報告が遅れているのだろう。
「仁平が把握している中で、最初はいつだった?」
「確か……一週間ほど前、だったかな」
「椚坊様、五日前です」
椚坊の曖昧な答えを、益瑞が訂正する。
「……だそうだ」
椚坊が苦笑する。
「五日も前なのか!? 何故もっと早くに報せてくれなかったんだ」
「二度目は、一昨日なんだよ。一体くらいなら、どこかから何かの拍子に紛れ込んでくる事もあるだろう? だから、還るのを見届けて、それで片がついたと思っていたんだ。それが、一昨日になって夢客を三体も見かけた。昨日も三体。おまえが見かけた夢客を合わせて八体。その後、矢筈と宝珠が何体と遭遇しているのかはわからないけれど、これは相当な数だ」
「ああ。確かに多すぎる。だが、おれはこれまで全然気がつかなかった。頻繁に山を下りていたにも関わらず、だ。おれが至らないばかりに、事態は刻一刻と悪化しているのかもしれない」
誠吾坊は悔恨の念にかられながら、唇を噛み締めた。