名
次いで誠吾坊は視線を少年に向けた。
「君、驚くのも無理はないかもしれないが、せめて一緒にいる女の子を守るという気概くらいは見せてほしいものだ」
誠吾坊は少々きつい口調になるのを止められなかった。
傍にいたにもかかわらず、己の身を盾にすることすらできない。
その程度の男には少女を任せられないという気持が強い。
「偉そうに、おまえ一体何者なんだ? 異界の住人だとかなんとか意味のわからないことばかり言ってるし、その格好も怪しすぎる。俺たちと同じくらいの歳だよな? 学校はどうしたんだよ。行ってないのかよ」
誠吾坊の予想に反して、少年は言い返して来た。
少女の手を放し、なんとか自力で立っている。
その程度の気力は残っていたということだろう。
「余計なことを言ったのなら、すまなかった。確かに、君たちからしてみればおれは怪しい奴だろうな。邪魔をして悪かった」
誠吾坊は謝罪すると、金剛杖を片手に歩き出す。
「あのっ!」
誠吾坊が少女の横を通り過ぎようとしたその時、少女が声をかけた。誠吾坊は足を止めて、少女を見やる。
「なにか?」
「あの……あっ!」
一歩踏み出した少女の足がもつれた。
体の均衡を崩して倒れそうになるのを、誠吾坊が受け止める形になった。
その時、少女の髪からふわりと芳しい香りが漂ってきた。誠吾坊の動きが一瞬止まる。
抱きかかえるようにして支えた少女の両肩はとても細く、誠吾坊が少し力を込めればすぐに壊れてしまいそうだった。
誠吾坊の胸に倒れ込んだ少女は、とても柔らかかった。誠吾坊は触れてしまったことに動揺する。
「だ、大丈夫か? やはり先ほどのことが堪えているのだな。立てるか?」
誠吾坊は慌てて体を離し、少女の様子を窺う。
少女はぺこぺこと頭を下げながら、数歩下がった。
「すみません。ありがとうございました。あたし、那子高校の佐々木葵といいます。よければ、あなたのお名前を教えて頂いてもいいですか?」
「え? おれ? おれは……」
誠吾坊は一瞬答えるのを躊躇した。しばらく迷った末、誠吾坊は口を開く。
「おれの名は、小太郎。小太郎だ」
ひとつの名を名乗る。
それは誠吾坊が久しく名乗っていない名前だった。
「小太郎さんですね。どうもありがとうございます。小太郎さんも、お気をつけて」
少女に名を呼ばれ、誠吾坊の心臓が跳ねた。
落ち着け、落ち着け、と自分にいい気かせる。
「ありがとう。君も気をつけて」
動揺を隠しつつ、かろうじて礼を言って少女に背を向ける。
もう、誠吾坊を呼び止める声はなかった。
そのまま歩き続け、角を曲がる直前に、ちらりと背後を振り返る。
ふたりの姿が、随分と小さく見えた。
少年も無事、歩くことができたようだ。
少女に小太郎さん、と呼ばれたことを思い出し、思わず赤面する。
だがすぐに、そんな場合ではないと、誠吾坊は気持ちを切り替えた。
周囲に人気のないことを確認した上で、翼を広げる。
翼は、衣服の下にしまえるほどの大きさにまで小さくして隠していたのだ。
金剛杖をひと振りして消し去り、誠吾坊は地を蹴る。
次の瞬間、夕焼け色の空に、黒い翼を広げた、鳥によく似た影が浮かんでいた。