折れた太刀
金属のぶつかり合うような音がした。
夢客の鋭い爪を、椚坊が右手に持った太刀で受け止めたのだ。
椚坊は左手に持った太刀を逆手に持ち直したかと思うと、迷うことなく夢客の心臓に突き立てた。
夢客の絶叫が山に響き渡った。
「仁平……」
「大丈夫か?」
「すまない。助かった」
「呼べって言ったのに、ちっとも呼んでくれないのな」
「余裕がなかったんだ。あ……矢筈はどうなったっ!?」
誠吾坊は矢筈の姿を求め、視線をめぐらす。
しかし闘っているうちに双方とも移動してしまったので、その姿を目で捉えることはできなかった。
「あっちには益瑞が向かってる。きっと大丈夫さ」
「益瑞が? 益瑞に何かがあったらどうするんだ。あの子はただの人間だろう?」
「心配するな。あいつは吹き矢の名人なんだ。遠くから矢を放つだけだから平気だ」
「だが……」
誠吾坊の言葉を遮るように、少し離れた場所から夢客の断末魔が聞こえた。
「ほらな」
椚坊が満足そうに言う。
「ああ、本当だな。助かった。異変に気づいて来てくれたのか?」
「結界が破れたのがわかったからさ。ここの結界は何重にもなっているだろ? その中の幾つかは俺が張ったものだ」
「そうだったな」
「それにしても、なんでこんなことになったんだ? 今の様子じゃあ、こいつらに結界を破るほどの能力があるようには見えなかった。でも、他に敵らしき奴の姿はない。どうなってるのかさっぱりわからない」
「おれにもわからん。おれよりは矢筈の方が詳しいはずだ」
「お、噂の矢筈だ」
椚坊の視線を追うと、生い茂る木々の向こうから、益瑞の肩を借りて歩いてくる矢筈の姿が見えた。
「矢筈!」
誠吾坊が駆け寄る。
「おお、そっちも無事か。よかったぜ」
矢筈が片手を上げて挨拶をする。
「こっちのことはいい。それよりおまえ、大丈夫か? 一体どうしたんだ?」
「体力を消耗しているだけのようです。少し休めば、すぐに元に戻るはずです」
益瑞が矢筈に替わって答えた。
「あの馬鹿力に刀を折られちまった」
「馬鹿力はお互い様だろう」
矢筈の怪力ぶりをよく知る誠吾坊が言う。
「まあな。椚坊、せっかくもらった太刀を折っちまって、悪ぃな」
益瑞の肩を借りたまま、矢筈が椚坊を片手で拝んで詫びた。
「仕方ないさ。矢筈が無事でなによりだ。新しい刀を用意するから、少し時間をくれ」
「恩に着るぜ」
「いつかたっぷりと恩を返してもらえるのを、楽しみにしてるさ。な、益瑞」
「はい。椚坊さまが楽しみにしていらっしゃるのであれば、ぼくも」
「というわけで、ふたり分だ。どうやって恩を返すかはおいおい考えるとしてだ。……矢筈、一体なにがあったんだ? こいつはまた山を下りていて、事情がよくわかってないみたいだしな」
「ああ。今回の行き先は町じゃなくて、羽雅神社だったらしいけどな」
「羽雅? そういうことか」
羽雅の名をきいただけで、椚坊には誠吾坊がなにを考えているのかがわかった。
羽雅のひとり娘が葵と同じ学校に通っていることは椚坊も知っている。
羽雅神社の神主である涼の父とは、椚坊も旧知の仲だ。
「そういうわけだ。まったく、本当に困った主だぜ」
「だが、それでわかったこともある」
誠吾坊が告げる。
「わかったこと?」
椚坊と矢筈の声が重なった。
「同じ時刻に、町の方にも異変があった。涼が高校に張っていた結界が破られた。おれの風で涼を学校まで送り届けたが、その後どうなったのかわからん」
「結界が破られた?」
矢筈と椚坊の声が重なった。
「ああ。結界を破れるほどの能力をもつ夢客が、そうそういるとは思えないが」
「羽雅の娘が張った結界だろ? それを破ったのなら、相当なものだな」
天倶と比べればその術力の差は歴然としているが、人間にしては優秀な術者だ。
椚坊が唸りながら眉根を寄せる。
「うへえ、怖ぇな。あいつの結界を破るなんて、なんて命知らずな奴だ」
「涼の結界だけでなく、山の結界も破られたことを忘れるなよ」
矢筈は、涼の怒る様を思い浮かべて身を竦ませる。そんな矢筈を誠吾坊が諌めた。
「そうだ、山の結界だ。話を戻そう。俺たちだけじゃない。古から幾重にも張られている結界だぞ。幾分その力が弱まっていたとはいえ、師匠の張った結界もあったはずだ。それらが全て破られるなんて、どういうことだ? 相手は余程大きな能力を持っているのか、或いは……」
「或いは?」
椚坊の言葉が途絶え、誠吾坊が続きを促す。
椚坊の視線は矢筈のところで止まっていた。
その視線を追っていた誠吾坊も矢筈を見る。視線が集中していることにきづき、矢筈が自分を指差した。
「オレ?」
「或いは、中から手引きした者がいたか」
椚坊が冷たく言い放つ。
「仁平、それは……」
「結界が破られた時、山には矢筈しかいなかったんだろ?」
「いや、だが矢筈は……」
「ま、疑われても仕方ねぇわな。疑いたいなら疑えばいいぜ」
誠吾坊が矢筈を庇おうとするが、矢筈は否定しなかった。
益瑞の肩から離れ、自力で立つと肩を竦めてみせる。
「可能性の話さ。そんなに怒るなよ」
椚坊が苦笑して矢筈を宥めた。
「怒ってねぇよ」
怒っているだろう、とその場にいる誰もが思ったが、口にはしない。
「とりあえず結界を張りなおすのが急務だ。検証に関しては、その後行うことにする。仁平、矢筈、力を貸してほしい」
「もちろん協力するさ。その間に益瑞を那子高校に行かせよう。向こうの様子を見て来てくれ」
「わかりました」
益瑞は首肯すると即座に踵を返した。
足音も立てずに駆け出す。その姿はすぐさま木々の向こうへと消えた。
それを見送り、誠吾坊は矢筈に目を向ける。
「体はどうだ? 手伝えるか?」
「当たり前だろうが。誰に向かって言ってんだ。ここはオレの棲む山でもあるんだぜ」
矢筈の返答を聞き、誠吾坊は笑みをこぼした。
矢筈が裏切るはずはない、誠吾坊はそう信じていた。




