羽雅神社
誠吾坊は山の麓にある小さな神社の境内にいた。
宝珠が留守ということは、誠吾坊を見張る者がいないということだ。
幸い、山のどこかに矢筈がいるはずだから、山が全くの空になるわけでもない。
そこで誠吾坊はこっそり山を下りてきたのだ。
「こんな早朝になんの用だ?」
境内に人影はふたつ。ひとつは誠吾坊。もうひとつはこの羽雅神社の娘、涼。
涼は那子高校の二年生で、佐々木葵のクラスメートでもある。
艶やかな黒髪が背中を覆い、大和撫子というには少々険のある目つきをしているものの、美少女であることに違いはない。
既に制服のセーラー服を着ており、汚れひとつない靴を履いた涼は、腕を組み、不機嫌そうに誠吾坊を見やる。
「悪い、こんな時間でないと抜け出せなかった」
「おまえのところの天倶はしっかりしているからな」
「ああ、おかげで身動きがとれない」
「うろうろしてばかりで、少しも腰を落ち着けないおまえが悪い」
涼は普通の人間だが、相手が誰でもずばずばと物を言う。
誠吾坊と羽雅神社とは、涼が生まれる遥か昔からの付き合いだ。
そのため、涼と顔を合わせる機会が多いのだが、それにしても、天倶に対してこうもはっきりと意見を述べる人間はめずらしい。
「ふたりにもそう言われている」
「わかっていてもこうして抜け出してくるのだから、どうしようもないな」
「今回は緊急事態なんだ。おまえの通う学校で行方不明者が出ているらしいが……」
「ただの欠席者だ」
涼が、誠吾坊の言葉を即座に否定する。
「ああ、そうだな。今のところはそうかもしれん。で、そのことについて何か知っているか?」
「色々と噂は流れているが、詳細は知らんな」
「夢客が出没している。しかも、相当な数だ。もちろん見つけたら還すようにしてはいるが、どうも埒が明かない。数日前には彼女も襲われかけている」
「葵から話はきいた。おまえ、小太郎と名乗ったそうだな」
誠吾坊は口を開けたまま固まり、遅れて言葉を発した。
「……おれの名といえば、それしかないだろう」
「かつてはな。……まあいい。で? 用はそれだけか?」
「いや。今まで以上に彼女に気を配ってやってほしい。それを頼みに来た。おれはこれから忙しくなる。そっちまで手が回らないかもしれない」
これまでも、誠吾坊は涼に、葵のことで幾つか頼みごとをしていた。
彼女を危険から守ること。彼女が困っていたら、助けになってやってほしいということ。
涼が葵と同じ高校に進学したのは、彼女の意思だ。
しかし葵と親しくなるそのきっかけに、誠吾坊からの頼みが全く無関係だったかといえば、そうとは言い切れない。
「ああ。まあ、可能な限りは気をつけておくが……わたしには人のデートを覗き見る趣味はないからな。ほどほどにやるさ」
「ほどほどでは困る」
葵のことは、誠吾坊の中ではほどほど程度で済まされるような問題ではない。
「困ると言われてもどうしようもない。あのな、わたしはおまえの協力者ではあるつもりだが、下僕ではない。それを忘れるなよ」
「忘れてはいない。だからこうして足を運んで頼んでいるんだ。どうも、彼女と一緒にいるあの男は、いまいち頼りない」
「一般人なのだから仕方あるまい」
「だからこそ、おまえの力を貸してほしいんだ。それと……彼女に会う機会があったら、これを渡してくれ」
誠吾坊が懐から腕輪念珠を取り出し、涼に差し出す。
「守りか」
「念のためだ。常に腕にはめているようにと伝えてくれ」
「おまえは葵、葵、葵、葵。久しぶりに姿を現したと思えば、葵のことばかりだ」
「そんなことはない……はずだ」
いまいち自覚の足りない誠吾坊を前に、涼は大きなため息を吐いた。




